お前の言葉の続きは待っていない
ここは灰笛はいふえ。
鉄の国を全能の神っぽく俯瞰した場合、ちょうど真ん中よりもずれた辺り。
波声なみこえ地方のなかでも、人工、生産力において他の引けを取らぬほどに主要な意味を持つ。
それが一応、灰笛と言う名の都市の大まかな情報。。
と、言うことになるのだろうか。
そうなのだろうか、少女にはいまいち自信が持てないでいる。
「ふう、む」
少女は椅子の上で息を、深く長く引き延ばすかのように吐き出す。
周りは静かさ。全くの無音という訳ではなく、手前にあるパソコンの類からは、絶え間なく吐息の様な電子音がブツブツ……、と鳴り続けているが。
しかし自身の体内で一時も、生命が止まらないうちは鼓動し続ける心臓の音。後はその他の、肉体の確かな雑音を含めたとして。
それでもなお、彼女の周りには圧倒的な静謐が場を支配している。
「……」
少女は椅子の背もたれに体を少し預けて、脱力する筋肉の温かさの中で耳をすます。
「パソコンの音、それより遠くに図書館の音がする」
少女は、丸いレンズのはまっている眼鏡の奥で、まぶたを柔らかく閉じて声を発した。
「また、彼女が気まぐれに模様替えを、しているのでしょうか」
独り言に返事は返ってこない。
彼女が言うとおり、その体が今存在しているのは図書館である。
紛うことなき魔法の図書館で、どうしようもないくらいに魔法使いのための図書館。
灰笛の、どこかしらの地下空間か、あるいは別の何処かか。
いずれにしても図書館は常に同じ場所には存在せず、その場所は持ち主が認めるところ以外には認知されない。
知られてはならない、ここに所蔵されているのは娯楽として。人々の心をいやすために制作された書籍ではない。
前述のままに、ここには魔法の本しか収められていないのだ。
魔法使いが、魔法を使える人間が作ったもの。作品の数々。
怪物を、この都市で「彼方かなた」、あるいはその他の名称で呼ばれている。
異形のものたちを、彼らの命を奪うために。
かつて作られたもの、今まさに作られようとしているもの。
あるいは、これからの未来に作られるかもしれない、新しい作品の数々。
それらのために、彼らのために、その図書館は存在していた。
大量の資料、記録。
その全ては決して外部に漏えいされてはいけない、使い方によっては人の命だって奪えてしまえる数々。
その中に、その中心に。
少女は椅子と机と、パソコンを構えて作業に没頭していた。
「先生」
どこからか、部屋の中、少女の近くから男性の声がしてくる。
「き、kiki……… キ、ン、シ………。先生」
上手く言葉を言うことができないのか、男性の声は違和感を覚えてしまうほどにゆっくりとしている。
「ん?」
だがキンシと、その様に聞こえる言葉で呼ばれた少女は、気軽そうに男性の声に返事をした。
「どうしたの、トゥーさん」
キンシと言う名の少女に、親しみを込めて呼ばれている。
男性の声はどうやら、彼女が使用している机の下から伸びているようであった。
「………」
彼女から返事をもらった、青年ほどの外見年齢を確認できる。
彼のほうは、どうやら相手側にリアクションを期待していたようではなかったらしく。
「………………」
「……なあに? 呼んだだけですか」
少女が溜め息を一つはきだし。
もう一度、作業に戻ろうとした。
「潮騒が聴覚に刻みつけられています」
手前で、苦し紛れに青年がキンシに話題を吹っ掛ける。
「海底はきっと荒々しく、一つの共通のもとに脈拍は継続されているのでしょう」
彼の言葉、一応言語的な形は辛うじて保てている。
だが、文脈にしてみると何一つとして、一般常識的な理解の範疇はんちゅうに含まれていない。
「え? ああ、うん」
しかし、キンシは特になにか戸惑う様子を見せる訳でもなく、いたって普通そうに彼の言葉について考える。
「確かに、遠くで海の音が、聞こえるような聞こえないような」
キーボードの上の指を止めて、キンシはもう一度眼鏡の奥のまぶたを閉じ。
そっと耳を、聴力をより鋭く研ぎ澄ませる。
確かに、青年の言うとおり。どこか、離れた場所から潮の音色が。
寄せては返すを繰りかえす、止まることの無い水の流れがそっと。
遠くの祭囃子のように、何も無い静寂の中においても掻き消されることの無い。否定のしようがない、活動の気配を匂わせている。
「今日は風が強かったですからね、海も慌ただしくなっているのでしょう」
唇にほのかな笑みを浮かべて。
キンシはもう一度、キーボードの上の指を動かし始める。
かたかた、かたかた。
かたかた、かたかた。
連続する衝突音。
電子画面は瞬き、その内部には文章を作成することに特化した。そのために構築されたプログラム。
命令にのっとった画面が表示されて、内部に彼女が入力する文字が。
言葉が、文章が。増えて、繋がって、新たな形を次々と増やしていく。
「……こういう」
しばらく、再びの沈黙が彼と彼女の間を支配する。
ややあって、鉛筆が擦れる音の間を縫って、キンシがそっと口を開いた。
「海が激しい夜は、あの人の体調も不安定になるんです」
指はパソコンから離れている。
作業を中断したキンシの表情は、青年が座っている場所からは確認することが出来そうにない。
青年は唇を閉じたまま、どう答えらたよいものか考え。
考えた後で。
「推奨します調整を視認して実行」
結局無難で、なんら目新しさの無い言葉、と思わしきそれだけを送っている。
「そうですね」
キンシもまた、この場において既に何度も繰り返らされたやり取りの上。
いつも通りに、軟派な笑顔を作って結論を結ぶ。
「あとは資料の手入れと、書架整理、それに……雨が弱まったら玄関の掃除も……」
「わたしは推奨する」
彼女が笑顔で誤魔化そうとしている、しかし青年は油断を見逃そうとしなかった。
「あなたの居住区域の清掃は急務を要する、ので、わたしは区域に累積している廃棄物の処理を推奨する」
「ちょ、ちょ? トゥーイさん?」
予想していなかった場所より畳み掛けられたキンシは、思わず青年の名称を丁寧に呼んでしまうほどに動揺してしまう。
「そんな、そういうのはもっと、余裕がある時にですね……。あと、それに、廃棄物はあまりにも酷いですよ」
両の指の置き所を一瞬見失いかけて、キンシは虚空を握りしめながら、トゥーイと言う名前の青年に言い訳をする。
「あれはですね、僕の大事な大事なコレクションでして。ですから、廃棄物と呼称する貴方の意見は断固、断然と拒否するべきであり」
痛い所をつかれてしまい、思わずトゥーイと似たように語調が奇妙なものとなりかけている。
「……トゥーさん、トゥーイ?」
だが今度は、青年の方が少女の言葉を体からすり抜けさせようとしている。
キンシはもうすでに、作業からだいぶ意識を乖離させながらも。
懲りずに、諦めずに、青年の名前を呼び続けて。
「……シーベットライトトゥールライン!」
一応の、彼が記憶している中のうちの一つ。
その中でもとりわけ、彼自身が好ましくないと思っている。
名称を少女に、机の上から叫びかけられて。
「………っ」
青年は、机の下で体育座りに体を丸めている彼が、少し驚いたように紫色の目を丸くしている。
「先生」
青年は唇を、右側に酷い裂傷の跡が残されている。
顔面を少しも動かさないままに、先ほどと同様の調子の外れた音声を発していた。
「どうかしましたか」
「どうしたもこうしたも、えっと」
じっと、アーモンド形の右目を自分の方に向けている。
右手に鉛筆、左手にA4サイズのノートをもっている。
青年の姿を見て、キンシは左手で頭に触れ。
がしがしと、黒色の中に桃の果肉に似た一筋の色彩がまぎれている。
「なんでしたっけ? なんの話でしたっけ……?」
頭部に左右二つ生えている、三角形の聴覚器官をぴこぴこと動かして。
キンシは青年への感情以上に、自分の記憶について疑いを抱いている。
「うああ……なんてこった。ちょっと前のことですら、あっという間にいつの間に忘れてしまう……。恐ろしい、自分の記憶力の貧弱さが末恐ろしい……」
耳をくしゃりと潰して、キンシは椅子の上でだらだらと頭を抱えている。
「魔法に支障はありませんか?」
狼狽える少女に、彼女の頭についているものと何となく似ている。
しかし、ようく見てみると微妙に色合いであったり、形や毛並みの質感が異なると。
そんな感じの、サラサラとしていそうな耳を、だが彼は全く動かさないままに。
「先生、作成中の作品をご確認ください」
自分の方はもう一度鉛筆を握り直し。
書きかけだった文章と、横に添えられているイラストへと意識を注入させている。
「えっと? どこまで書いたんだっけ?」
もうすっかり反論の意識を忘却し、キンシは再び制作中のものに意識を巡らせている。
「前に描いていた物は、とりあえずクライマックスを迎えて……。うーん、しかして、あの終わり方で良かったのかどうか。うん、そうでした。その事で悩んでしまして、ねえ? トゥーさん」
キンシがもう一度、机の下のトゥーイに話しかける。
トゥーイは少女の方に視線だけを向けて、しかし何を言うでもなく、三度自身の作業に戻ってしまう。
「相談しているんですから、もうちょっと真剣に……」
キンシは文句を言いかけて。
「そう言えば、そのノートっていつも、図書館に戻ってくるたびにかいていますけれど。一体、何をかいているんですか?」
しかしそれよりも、後から追いかけてきた好奇心の方に身を任せている。
「………」
青年は沈黙の中で、言葉を探し。
そして、今の自信ではうまく少女に内容をつたられないと判断をして。
「………」
「あ、見せてくれるんですか」
黙って、スッと差し出されたノートをキンシは受け取り、内容をさらさらと確認する。
「ふむ、ふうむ? これは……日記ですか」
ページをめくる音が一枚、二枚。
「その割にはどうも堅苦しい口調で、トゥーさんの視点から記録をしている、って感じの文章ですね」
最後のページ、つまりは一番新しい情報に目を。どちらかと言えば文章よりも、横に添えられたイラストレーションの方が、キンシ的には強く目を惹かれるものであったが。
あえて言葉にするものでもないと、渡されたものを持ち主の方へと返す。
「ありがとうございました。しかし、すごいですね、こんなに毎日の事を文章に出来るなんて」
キンシは机の下へ身を屈めたまま、呼吸が苦しくなるのも構わずに青年への賞賛を送る。
「僕なんて、昨日の夜に食べたご飯の事すらも、記憶に曖昧なんですもん。日記なんて、とても……」
言いかけた所で、キンシはトゥーイがじっとこちらを見つめていることに気付き。
何となくの気配を察して、言いかけた台詞を喉の奥に流し込んだ。
「日々は返りません」
青年が、言葉を発せられず、代わりに首元の機械で音を生成している。
青年の、ケロケロとした電子音が、彼女に彼の意識を伝える。
「昨日は永遠の彼方へ、今日は継続し、未来は不特定の梢を伸ばす」
トゥーイの言葉を受け取り、キンシは左の人差し指を唇へ。
「なるほど、なるほど……」
指の腹で、指紋の溝で薄い桃色の表面をぷにぷにと触る。
「そうです、そうですよね」
そして、次の瞬間に彼女の、左目の緑色の虹彩はパソコンの電子画面。
内部に明滅する文章へと、にっこり向けられている。
「そういうやり方も、別に大して、珍しくもなんともない」
少女は笑って、指はキーボードの上をかたかたと素早く滑らかに動く。
言葉が、文章が。
キンシと言う名の、魔法少女にとっての。
この世界における、魔法の一つが作られていく。
彼女の左目の、眼窩に埋めこまれている赤い色。
柔らかい鉱物でつくられた義眼の表面が、少女の魔法をキラキラと反射している。
「………」
部屋に再び、元の形の静寂が訪れる。
トゥーイと言う名の青年は、右側の耳をピクリと一回だけ震わせて。
彼もまた少女の同じようにノートの上へ記録を、その横に添える落書きの制作を続行した。




