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(・ω<)

ろんぐたいむのうしいどうゆうりめんばあみい?

 夢を見ていた。


 夢は連続しているものではなく、いくつかの幻が重なり合い、それが脳に同一のものを錯覚させていると。


 そんなことを、その様なことを言っていたのは。ルーフは瞼の裏で祖父の姿を思い浮かべていた。


 あれはいつの事だったか、思い出そうとしても、記憶は酷く不明瞭で要領を得ない。


「爺ちゃん………」


 瞼の裏は熱く、熱せられたフライパンのように、このまま眼球が目玉焼きになるのではないかと。

 そんな事を考えてしまうくらいに、皮の下には大量の熱が次々と溢れている。


「爺ちゃん、教えてよ」


 熱は温度を失わないままに、ルーフの頬の上を滝のように伝い流れ、落ちていっている。


「教えてよ……、俺は一体、どうすれば良かったんだ?」


 滴は顎から滴り、重力のままに身に着けているTシャツに点々と黒い染みを描いている。


「あの時、どうしたら、………どうしていたら、誰も傷つかずに。誰も、俺は、俺は………」


 溢れては新たに生まれ、次には落ちて溶けて消えて無くなる。


 しかし熱は累積を止めることなく、ルーフの体はやがて重みに耐えきれなくなった。


「誰も、誰が………誰が! 殺したくなんてなかった………」


 二本の足で立つこともままならない。

 獣のように四つん這いになりながら、ルーフはなおも目から熱を零し続けている。


「でも、仕方がなかったんだ! だって、どうしたら。あいつを……妹を見殺しになんて、出来るはずがないだろ!」


 ルーフは祖父の顔を見ることができなかった。


 顔を見てしまえば、今は自分以外の他人の姿を受け入れられそうになかった。


「だけど殺したくなかった。だけど………殺した、殺して………」


「君は殺して、その刃物で人間の命を奪った」


 四つん這いに、土下座のような格好になっている、ルーフの頭上から低い声が降り注いでくる。


「その手にある刃物は、間違いなく貴方の意識をもって、貴方の大切な人の肉を切り裂いた」


 違う、ルーフの頭の中で否定が言葉として構築されようとしている。


 だがそれよりも早く、彼の皮膚は感覚器官をもって、自らの体に触れている冷たさの正体を認知する。


「素敵なナイフ、とても綺麗。それは、貴方の家族が毎日、一日として欠かさず手入れをしていた物」


 そうである、その通りであると。

 ルーフは自らの手のなか、地面を食んでいる指の間に沈む金属のきらめきを見ていた。


 ナイフは彼の手の中に、大人の中指よりも長さのある刃を。

 まるで彼の体の一部のように。生まれてから死ぬまで、ずっと共に存在をし続けているかのように。


「素晴らしい攻撃でした、いささか不慣れな所作は数多くあれど。しかして、今後の成長をご期待できるほどに。貴方の殺意は、殺そうとする意識は素晴らしいものでした」


「違う………違う」


 否定をしないといけないことが沢山ある。

 そのはずなのに。


 ルーフの体はまるで、先ほどの熱の放出で全てを失ってしまったかのように。体の末端から中心にかけて、肉の温かみが丸ごと喪失してしまっているようだった。


「俺は………そんなことを教えてほしいんじゃない」


 否定をしている、していながらも手の中にあるそれをそっと。ギュッと、まるで闇夜の中に導きを見つけ出したかのように。


「なあ、教えてくれよ爺ちゃん。俺は………あの日、どうすれば良かったんだよ?」


 手の中の道具に安心感を抱いている、それは血液のようにあたたかく。


 経験も記憶も有してはいないが、もしも父親の手の温かさがあるとするならば、これこそがまさにそうではないだろうか。


 そんな錯覚を、下らない幻想を抱いてしまいそうな。ルーフは己の内の揺らぎを徹底的に否定しする。


 今はただ、ただただ近くにいる他人の姿に答えを求めること。

 それだけに集中を捧げようとする。


「教えてよ爺ちゃん………。…………」


 呼吸を一つ挟む。


「………教えてくれよ、あんた、………何でも知ってんだろ?」


 ルーフは武器を握りしめる。重さは感じられない。

 持ち上げてなどいないのだから、それも当然か。


 あるいは、もうすでに武器は、ナイフは彼にとって選択肢の一部と化しているのだろうか。


「ああ」


 彼が答えを、確信に形を見出そうとする。


 それよりも早くに、ルーフの近くにいる声は音を発していた。


「当然さ、わたしは何でも知っているからね」


 声が終わると同時に、その喉元にナイフの先端が突きつけられている。


 鋭く曲線を、嵐の海原の揺らめきを空間から切り取り、灰色の内部に固定されたかのような。


 先端は他人の首元、皮膚の防護能力が保たれるギリギリの瀬戸際のまま。

 ルーフは手のひらに吸い付く柄を握りしめ、ナイフを真っ直ぐ目の前の他人に固定させていた。


「お前は誰だ」


 すでに両の手は地面から別れを告げている。両の足で立ちながら、ルーフは刃の先にいる他人を見た。


「爺ちゃんはそんな、馬鹿みたいに正直なことは言わない。あの人は、そんな優しい人じゃなかった」


 強く握りしめた、腕の力は早くも決意を失いかけていて。

 今すぐ腕を下ろしたいと、甘い弱音がルーフの頭の中を羽虫のように飛び交っている。


 だが今だけは、彼は何としてでも自分に嘘をつき続けて、貫き通さなければならない。


「お前は誰だ、………いや、問題はそんなことじゃないな」


 ただ一つの意識、それですら曖昧で目的らしいものなど一切含まれていやしない。


「ここはどこだ? 俺は一体、あの後………どうなった? 俺は、俺は………?」


 右手にナイフを握りしめたまま、左の腕でルーフは自らの頭部を鷲掴みにする。


「どうなったんだ? 俺は確か………あいつを………、あの子を」


 記憶を一つ否定する。生まれた空白には安息は訪れず、満たされたのは新たな、新鮮で瑞々しい、艶やかな不安、ただそれだけ。


「そうです、貴方は何一つとして間違っていない」


 揺らぐ少年の体、しかしナイフは空気中に固定されたまま。まるで見えない何か、それこそ魔法のように不思議な力で操られているかのように。


「昨日は永遠に返されない、わたし達は選んだ選択の先に立ち続け、決して元の道を戻ることも。時には、振り返ることすらも、わたし達は許されないのよ」


 虚空に留まり、己の首元を今にも切り裂こうとしている。


 ルーフの目の前にいる。

 男なのか女なのかよく分からない音程の声は、じっと彼のほうを見つめていた。


「貴方は、あなたは命を奪った。救いでなくてはならなかったはずの、終わりを他人に強要した。もうあなたは元には戻れない」


 彼らの周辺は暗闇に包まれている。


 だがそれは普通の暗黒などではない、満たされているのは深い、深い深すぎる赤色の密集。


 血液が赤色を、ヘモグロビンの粒が酸素を失い、失われた色素は硬直と共に赤黒く。


 傷口をふさぐかさぶたの、ほのかに生臭く鉄臭い赤茶けた塊が。それととてもよく似た色彩の密集がルーフと、彼にナイフを突きつけられている。


「一度でも罪をその身に受ければ、人間はもう二度と元の姿には戻れない。選択は一瞬でも、得られた結果は永遠に続く」


 相手が、女の姿をしている他人が、一歩だけ前に進んできた。


 そんなことをしてしまえば、少年の手の中に握られているナイフが、己の喉元に赤色を咲かせてしまうのではないか。


 実際に彼女の、まるで死体のそれと同じくらいに白い皮膚の上に、赤々と真新しい体液が溢れて。


 そのまま表面を伝い落ち、小川のせせらぎの様な波がプックラとした鎖骨の上にまで達している。


「あなたは罪を償わなくてはならない、その身を炎で焼かれ、やがては灰になる。そうしなければ、貴方の罪は永遠に許されない」


 女はもう一歩、近付いてくる。


 ルーフは武器を離すことができなかった。刃から柄を、指に他人の体が害される感覚が。


 表皮を破り、真皮から脂肪をかき分ける。やがては血管の膜まで、挿入されるナイフの冷たさが。

 武器を手にしている、持ち主に忠実な情報を与えている。


「罪から逃れたいのならば、灰になればいい。灰になって、そうなればもうあなたは人間でいる必要もなくなる」


 女は歩みを止めようとしない。


 ナイフはすでに彼女の体に深く、もう取り返しがつかない程に深々と突き刺さっている。


「止めてくれ」


 だけど、灰色の目をした女は歩くことを止めない。


 伸ばされたルーフの腕、指先に女の体温が、毛穴から染み出る汗の気配が伝わってくる。


「あなたは灰になるべきなのです」


「止めてくれ、もう………止めてくれ」


 ルーフは懇願するように声を絞り出す。


 もうすでにナイフは完全に女の体に食い込んでいる。

 刃物の硬さを通じて、少年と女の体は一つの個体に成り果てようとしていた。


「灰になり、罪も後悔もすべて跡形もなく消してしまえばいい」


 それでもなお、女は少年への言葉を止めようとしなかった。


「そうでなければ、あなたはただ怪物に成り果てるしかない」


「もう、お願いだから………」


 ルーフの体から、思い出したかのように再び熱が溢れだした。


「止めてくれ………お願いだから、許してくれ、許してください」


 女はまた、少年に近付く。


 もうすでに彼らは完全に体を重ね合せ、少年の胸元に女特有の、女にしかない柔らかさが圧迫感を与えている。


 女は囁いた。


「あなたは死ななくてはならない」


 少年は否定する。


「あなたは死ぬべきなのです」


「どうして、許してください」


「あなたは死ぬべきなのです」


「どうして、どうして………何で」


 あなたは死ぬべきなのです、彼の聴覚が言葉を受け取る。


 言葉には言葉を返さなくてはならない。人間と言う生き物としての、本能に近い手段が彼に言葉を。


「あ………」


 吸い込んだ空気が肉の熱と重みを得る、膨れ上がる意識が喉の奥から膨れ上がってくる。


「ああ、あああ」


 それは爆発に等しい激しさ、言葉は抱き合う男女の間に籠る空気を震わせて。


「いいい! いいいい!」


 やがて音の残響の後に、女のもとに彼の言葉が届いた。


「嫌だ! 嫌だ嫌だ! 死にたくない、後悔なんかしてやるか!」


 声が体の内部を通り過ぎる。

 言葉と共に抜ける空気が、少年の体から意識の大部分を奪い去っていく。


「後悔なんてできる訳がない、俺はなにを犠牲にしたってかまわなかった。あいつに、妹があいつに殺されるなんて、絶対に許せるはずがない」


 崩れ落ちる体、女の体がルーフに引っ張られて地面に転がる。


「あいつのためなら俺は何だって、誰だって殺してやる。神様だろうと、王様だろうと、関係ない。全員殺してやる」


 それは嘘に近い言葉だった。


 自分には到底そのような勇気などないと、他でもないルーフ自身が誰よりも自覚している。


 だが、同じ嘘ならどうせ、自分についたとしても大して変わりはないだろう。


「殺してやる、お前も邪魔をするなら………」


 ナイフは女に突き刺さったままだった。


 彼女の体から溢れる血液がボタボタと、ルーフの顔に粘度のある温かさを点々と灯している。


「……」


 女はもうすでに言葉を失っている。


 彼女の体液が少年の視界を赤色に染める。

 だが強烈な色の集合と密度でも、しかし女の灰色の瞳の輝きはいつまで経っても消え去ろうとしない。


「お前だって殺してやる」


 だが構うものか、ルーフは武器を握りしめ続ける。


 結局ずっと武器を手放すことはしなかった、それが答えであると。


「ミッタ」


 ルーフは彼女の名前を呼びながら、ようやく見つけた答えに鈍く痺れる、蜂蜜のように甘い快感を舌の奥で味わっていた。

久しぶりの会話だったそうですね。

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