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シャウトは首を斜めに、店内だけに留めてください

すくりいむざねつくぷりいずおんりいいんざすとあ

 音は混雑を極めていて、キンシは自分の体から連続し、その命が継続する限りに決して失われることはない。


 呼吸の音、筋肉の音、骨と関節部分が軋む音、心臓の音。全ての肉体の音も、外部から与えられる異物、雑音に取り込まれ、飲み込まれて溶かされようとしていた。


「ぜえ、ぜえ……」


 最初のほうこそ、調子よく侵攻を行うことができたものの。


「いつまで……、切れども切れども我が身は救われず……ですね」


 昔の、おそらくは何処かしらで唱えられた詩を引用してまで。

 キンシはどうにかして、自らの疲労感を誤魔化そうとしていた。


「どんどん増えていっているわ」


 キンシから離れないよう、しかしその体の攻撃を阻害しない程度に。


 適切な距離感を保ちつつ、メイは周囲を再三ぐるりと見渡している。


「このまま飲み込まれてしまいそう……」


 比喩表現が口をついて出る。


 だが心持ちとしては一切のおふざけなどなく、胸の内にはずっと引きつるような不安が。


 感情は雨水のように、確実に痛みをメイの胸中に累積させている。


 痛みはやがて変化を伴い。

 彼女はそれを恐怖であると、大して時間を有することもなく独りで発覚を終えさせている。


「お兄さま……」


 ここは間違いなく兄の近くで、それはメイにとって何よりも望んでいる場所。

 彼女にとってそこは、いかなる天国も桃源郷も公衆便所以下の無価値と成り果てる。


 そのはずの場所。にもかかわらず、メイは今自分の体のなかで渦巻く心情に、複雑な迷いを見出さずにはいられなかった。


「まったく、これこそ真なるやれやれ、ですよ」


 疲労感にだいぶ言葉を怪しくしていながら、しかし依然としてキンシの体からは闘争心の炎が燃え盛っている。


「大事な、この世界で一番大好きな女の人が会いに来ているってのに。まったく、このチェリー坊ちゃんは!」


 もう一度、しつこく突進してきた赤色の集合体に、キンシは武器を握りしめて跳びかかる。


 長靴の底がなめらかな表皮を駆け上がり、次の瞬間には爬虫類の頭部の様な形が切り刻まれていた。


 肉の破片がバラバラと落下する、赤い体液が噴出して飛沫がメイの体にまで及ぶ。


「このままだと……あの人にたどり着くまえに」


 メイは魔法使いの精神力……は問題ないとして。むしろ体力的な不安も胸の内に添えながら、どうにか現状の打破を考えなくてはならないと。


 つまりはこのままごり押しでどうにかなるほど、事は単純には終わりそうにないと。


 考えた所で、メイは自身のみの思考能力ではどうにもならなさそうであると。

 

 感情の正体を見つけた時と同様に、メイは早々と結論を結んでいる。


「仮に魔力があるとすれば、そこの供給源を」


 頭の中で言葉が音を伴い並んでいく。


 はたしてそれがメイ自身によるものなのか、それともキンシが攻撃の隙間で発した呟きでしかなかったのか。


 声音だけでは判別できそうにない、どちらにしても現状の打破にはもう一つ、決定的な何かが必要となる。


 意識の一つだけを共有していながら、彼女たちは各々現状から脱しきれずにいた。


 その時。


「? なにか近付いてきて……」


 キンシがいったん立ち止まり、メイが急速に接近してくるものに耳をかたむけている。


「うわっ」


 次の瞬間には、彼女たちの体は激烈な衝撃に包まれていた。


「な、なに?」


 キンシが若干体幹を崩して、しかしすぐに元の感覚を取り戻している。


 その挙動に視線を向けながら、魔法使いにとってこの現象は想定以内であると。


 メイは気付くと同時に、だがそれ以上のショックに直立もままならいでいた。


「うるさい、すごくうるさい?」


 体をびりびりと電流のように刺激してくる。

 それがものすごく大きい、まさに耳を(ろう)する程の轟音であると。


 思わず、たまらず両手で塞いだ聴覚器官の内側。


 手の平と、黄色いカッパとヘッドフォン。三重の障壁ですら関係なしに、大量の音は彼女たちのいる空間を。


 そして赤色の触手たちの肉体を、問答無用かつ無遠慮に刺激している。




 青年の姿を見ながら、瞬間的にぼんやりとした意識の中で。

 ナナセは何故かライブハウスの光景を思い出していた。


 壇上で激しく歌唱するアーティスト。その横で音色を観客に轟かせる、人の子供ほどのサイズのあるスピーカー。


 今の青年の、怪獣の体を支える根っこの部分に、大量の魔法を文字通り一直線にぶち込んでいる。


 余りの激しさにその場にいた全員が、まさかこの場に天の怒りよろしく雷が落ちてきたものかと。


 少なくともナナセは、そう思い込みかかていたが。


「音響を利用した……魔法になるわね、あれは」


 モアが耳をふさごうともせずに、眼前でおこわなわれている魔力的行為に釘付けとなっている。


「なるほど、咥内に設計されている刻印を利用して、発生する力を魔術道具で増強しているのね」


 先ほどまでの動揺など露ほども感じさせずに、モアと言う名の少女は青い瞳を青年にカッチリと固定させている。


「硬くて大きくて、その場から絶対に動かない何かを攻撃するのには、まさに打ってつけ。ですね」


 直立したままになっている、ナナセは少女の耳を手で塞いであげつつ。


 他に出来る事もなしと、ナナセは魔法を使っている魔法使いの姿を眺めている。


「───! ───! ───!」


 青年はまだ音を止めようとしない。


 引き裂かれた唇の端、右頬にかけてブスブスと打ちこまれている金属片。


 その幾つかが外れそうになるほどに、それも構わず青年は口を開き続けて。

 ずっと、まだまだ叫び続けている。


 開かれた口の奥、酸素と肉の振動を基本として放たれる。


 魔力の波動は怪獣の根元を抉り、貫いて。


「穴が」


 聴覚の安全をナナセに守られている、モアがその手を無視する勢いで身を乗り出した。


 それと同時に、青年の叫びによって開け放たれた根から、大量の透明な質量が溢れだしてきた。


 ゴムホースの途中に、(きり)で穴を開けたかのように。

 モアはそこから確かに、液体のような何かが噴出していたのを視認する。


 果たしてそれがなんだったのか。地面から吸い上げられた水だったのか、それだけは違うと。


 溢れた端から鮮やかな赤色に変色し、魔力を放っていた青年の体に直撃している。


 ベットリと赤色に染められている、青年は口を閉じて自らが穿った怪獣の一部を一瞥し。


「………」


 当然と主張するかのように、まるで何事もなかったかのように。

 そこには元の、無色透明な無表情だけが浮かんでいた。


「なるほど、根元の供給源及び支柱たる部分に大穴を開ければ、情報にも栄養が届かなくなり、活動に害を及ぼすことが可能となる。というわけね」


 音が終了した、足元が大量の体液によって水没している。

 空間の中をモアは、ナナセの手の中から離れてよろよろと進んでいる。


「これで動きは止まるでしょうけれども、でも」


「しかして、根本的な解決には至らない、ですよ」


 モアの背後でナナセが、すっかりいつもの軽々しい調子に戻った様子で、壊された根に視線を向け。


 そのまま滑り上がるように、視線を上層へ。


 穴を開けられてもなお、依然として屹立を保っている。だがいずれは倒壊の可能性を与えられた、青年はすでに破壊の対象からは興味を失っているように見える。


「………」


 青年は溢れ流れる水量などまるで意識する素振りも見せず、その視線は一方に定められている。


「………」


 彼の体は怪獣の体液に染められ、顔の右半分にかけてその殆どが真っ赤に塗り込められている。


 だが彼は自らの肉体を苛む異常など露ほども気にかけず、紫色の視線をじっと。


「どうしたんだい、………じっとわたしの顔なんか見て」


 視線の先は男に固定されている。耳をつんざくノイズが響き渡ろうとも、大量の体液が自らの体を濡らそうとも。


 もしかしたら世界が滅亡の危機に瀕したとしても、男はきっと青年の動向を見守り続けたのではないだろうか。


 そんなくだらない不安を想起させるほどに、男は根が壊される後と前と、何ひとつとして変らない様子のままに。


 男は青年を見ている、彼の顔面にある、右の眼窩に花開く器官を見ている。


「紫か………、いや、青いバラと言った方がいいのかな?」


 本来あるべき球体は喪失している、代わりにあるのは薄い色に包まれた花弁の重なり合い。


「しかし、言葉に表される在りようなど、………君には何の意味など為さないのだろう。………そうだろ? トゥーイ」


 男が青年の名前を呼んでいる。


 限定された空間はまるで外部の影響を受け付けず、さながら午後の窓辺の様な穏やかさえ感じさせる。


 だがそれは、結局は無意味な幻想に過ぎない。


「ヤバいですねモアお嬢さん、このままだと激ヤバですよ」


 すでに青年と男を気にかける余裕は失われている。


「王子の汁に水没する前に、早いところここから逃げましょう!」


 ナナセは上司の手を取り、急いでこの場からの退避を思考に組みこんでいた。


「そう、そうね……」


 ナナセの手に引かれるままに、モアはその場から逃げるために足を動かす。


 男女が逃げようとしている、だが二人の男性はその場から動こうともしていない。


 足元には大量の赤色が、同じ色が頭上にも降り注いでいる。


 彼らがいる場所は気持ちが悪いほどに、一つの色彩に支配され尽くされていた。


 にもかかわらず、どうしてとモアは思う。


 あからさまに、否定の仕様など一切存在していないといえる程なのに。


 美しいと、そうかもしれないと。モアは考えかけた言葉を否定する。


「──────」


 男が口を動かしている、遠目で見ても解るように。


 きっとこの部屋が静謐に包まれていたとしたら、きっとモアたちがいる所まで、声の響きが届いていたであろう。


 言葉はここまで届くことはない。

 だけどモアには彼の、ルーフと言う名の男性の言葉がしっかりと、紛れもなく理解できてしまった。


「ここをよじ登るしかなさそうですね」


 かつては地下室の壁であり、天井でもあったかもしれない。

 

 残骸の山々を見上げ、その先にある外部の空気を鼻先に感じつつ。


「ボクが踏み台になるので、お嬢さんは先にどうぞ」


 早速身を屈めようとしている、だがモアはそんな部下をサッと制止する。


「わざわざそんなことしなくても、自力で登れるはずよ。あたし達は魔法が使えるんだから」


 少女の主張、それは特に考える必要もないくらいに、この世界では当たり前の事実。


「……」


 しかしナナセは、それが一秒に満たぬほどの短さであったとしても、思考の中に確実なる空白を作りだし。


「そうでしたね、そうですよね」


 すぐに、とても分かりやすく取り繕うように。

 不真面目そうに笑っていた。

昨日は死ぬかと思いました。

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