絶叫と常に共にあるピンク色の触手
ぴんくてなこるすおうるうぃるずういずゆう
あまりにも場にそぐわない、絶妙とも言えぬ微妙な空気が間に流れて。
そのまま、誰にも受け入れられずに溶けて、跡形もなく消えていこうとしている。
「……………」
確認を一つとれた、それだけで十分と。
無言の青年は言葉を必要としないほどに、体の動きだけで戦闘場面の終了を表現していた。
溜め息のような吐息が一つ、裸の唇から吐き出された後。
「あ、ちょっと?」
いまいち状況が掴めていない、モアの声に構うことなく、青年は武器を携えたまま踵を返し。
「あれえ? どこ行こうってんの」
先ほどまで間違いなく対峙していた、ナナセの声すらも無視して。
青年は剣を手に握りしめたまま、瓦礫の中をすたすたと進み。
やがて、大きな瓦礫の山へ。かつて地下室を形成していた物体の、今は無数の残骸の内の一つとなっている。
「………」
青年はそれらの、他の全てと何ら変わりなさそうに見える。
とある一部にそっと、手に持っている黒い剣の切っ先を向ける。
「?」
モアは依然として、青年の行動を理解できないままでいる。
だが彼女の近くにいる、刀を手に持ったままのナナセは、その時点でようやく彼の真意の端を感じ取っていた。
「出現を望みます」
今まで沈黙を保っていた、青年がまたあの変わった音色で何かを。
「ゆったりとした空気は否定される、わたしはあなたに出現を要求する」
ケロケロと、わざと音調を狂わせたかのような。青年は声で、剣の切っ先にいる相手に話しかけて。
少し待ち、返答が来ないことを瞬間的に脳へ納得させる。
そして、手にしている武器に攻撃の意識を。先ほどナナセと対峙した時とは異なる、もっと一方的で我欲に満ち満ちた感情をのせる。
「分かった分かった………、もう覗き見は止めるよ」
青年がついに我慢の領域を踏み越え、何かしらの決定的な行動を起こそうと。
ちょうど彼の限界を見切ったかのように、瓦礫の陰から男の声がのびてきたのがほぼ同時のこと。
「やれやれ、このまま上手い具合いに殺しの場を見物できるものかと。………そう期待してしまったが、残念だよ」
一体いつの間に。いや、最初からずっと此処にいたことには間違いない。
そうだとして、あの激烈で強烈な爆発と膨張の中に、どうやって身の安全の確保を下だとか。
余りにも、異常ともとれるほどにその体からは清潔感が安定している。
ナナセは男の姿を。
藍色に染まる髪と芽を持つ、集団のリーダー格とされるスーツ姿の男をじっと視覚に確認する。
「ルーフ氏……」
モアが男の名前を呼ぶ。
彼女自身の立場であったり、仕事上の役割だとか、人間的役目とは遠く離れた。
もっと根本的な感情。少女は至極単純に男の無事が確認できた現実に対し、純粋な驚きを言葉の上に呈していた。
「なんともまあ、無事だったんですね。てっきり爆発の中心に巻き込まれて、体を無残に霧散させていたものかと」
そしてその感情は少女だけのものではなく、彼女の近くに構えているナナセにも共通していた事らしく。
思わず立場に然るべき演技すらも忘れて、ナナセは男に向けて皮肉とあてこすりたっぷりの軽口をはたいている。
実際疑問は次から次へと生まれ、葉を広げて根を深く刻もうとしている。
どうして? 彼はとある目的のために、一人の少年の精神を弄び、あろうことか崩壊のレベルにまで追い込んだ。
行為は間違いなく、紛うことなく男の手によって命令され。行動の殆どは彼の、彼による実行によって果たされた。
その結果がこれで。被害者たる少年は今地獄の苦しみと共に、はたして今はどのような状態になっているのだろうか。皆目見当もつかない。
「しかし、君たちには悪いことをしてしまったね」
原因を生み出した、破壊と崩壊の根源を発声させた。
男は人形のような造形の顔面に、穏やかな微笑みをたたえながら。
異常で異形なる現象についての謝罪を短く口にする。
「すまないな。どうやら彼の心は、我々が思っている以上に脆弱で、………柔らかく繊細だったらしい」
赤く揺らめく光の下、深い橙色に染められた男の顔がそっと上へと向けられている。
「計画は大きく崩れたが、しかし、大いなる前進には変わりない」
嬉しそうに話している。
だが男の視線は何処も、何も捉えていない。
はるか上空で暴れ狂って利る怪獣の姿も、自らの肉体に注目を向けている人々の視線ですら。
男の意識には含まれていない。
「いいサンプルが取れた、………これでまた一つ、我々は王国への道の手掛かりを掴むことができた」
男は遠くを、ここではない、此処にはない世界について思いを馳せている。
「不毛」
穏やかそうに、ようやく芽吹いた新芽の瑞々しさを眺めるかのように。
優しげな笑顔を浮かべている。男に向けて青年が言葉を発する。
「不毛だ」
音は短く、だからなのか、僅かながらに違和感を感じさせながらも、普通の人間のそれと遜色ないもののように。
そう錯覚させている。
青年は言葉の後に、無言で男の方に近付いていく。
「………」
手に持つ武器は依然として掲げられたまま、墨色の切っ先は真っ直ぐ男の方に向けられている。
一歩二歩、三歩。武器は男の方に向けられ続けている。
「して、………君はいったい何者かな?」
ある一定の距離。触れるほどには離れすぎていて、しかし今この瞬間に駆け出せば、おそらく武器は男の皮膚を切り裂かんと。
「見た所では、なんて……視覚的情報などは無意味だな」
男は接近してくる青年に視線を向け、言葉を介するまでもなく、これ以上の歩み寄りを制止しようとしている。
「この場に居合わせるということは、君もまた………魔導の同胞ということ」
唇の端を上に曲げたまま、男はまず青年に。
次に彼の後方で、じっと様子を見守っている二人の男女に笑いかける。
「して、そうとなると………この元気そうな若者は、君たちの同僚ということになるのかな?」
まさかとは思っていた。
よもやこのような人物に、人を人と思わず、ただ己の欲望のみを追求し続けている。
この男に限って自分たちの虚偽が完全完璧、百パーセントのクオリティを保てていたなどと。
モアはまさかそのような思い上がりをしていたわけでは、決してなかった。
無かったものの。
それでも、自身の意志によって秘めていた事柄をこうも易々と翻されるのは、どうにも居心地が悪いと。
衣服の下に膨れがる鳥肌、モアは毛穴の一つ一つの縮小と硬直を、布と肌の中間で擦れ合せている。
「やっぱりバレてましたね。やれやれ、これはまたお兄さんのお叱り案件ですよ」
ナナセがひそひそとモアに囁きかける。
秘匿の必要はもうないと。
そうであったとしても彼としては事の最後まで、一応の形態を保っておきたいらしい。
「して? 君の目的は。………いったい何のか、ぜひとも教えてもらいたいところだ」
モアは一瞬、男が自分たちに向けて尋問を、それに似た状態まで誘導しようとしているのかと。
体に緊張感を走らせたが、しかしそれは思い込みにすぎなかった。
「君は誰だ? どうしてこんな所にいる?」
男が足を動かす。瓦礫と砂塵にまみれたその上を、不自然なまでに音を欠落させたまま。
まるで空中を滑るかのように、男は微笑んだまま青年に歩み寄る。
「君は誰だ、いったい何者で、………どうしてこの場所に居る?」
男は笑っている。
だがその表情の奥にある感情は誰にも、他人との共有を一切受け付けようとしていない。
相手が数歩ほど近付いてくる、このまま手を伸ばせば触れられる程度の距離まで。
ナナセが不安に思うと同時、同等の期待を抱いている。
「答えは、」
だが男がもう一度足で、砂を噛みしめんとしている。
それよりも早く、青年から音声が吐き出された。
「答えは、答えは、答えは」
だが音はいよいよ人間性を喪失している、まるで壊れきったテープレコーダーのように。
「ああ、あああ、ああああ」
だがここへ来て限界が来たのか、音声は酷いノイズ音の後にぶっつりと途切れる。
ああそうだったのか、彼は声が出ないから、音声補助を使っているのか。
ナナセが気付く、と言うよりは、忘れていた記憶を不意に掘り当てていた。
「………。/// /// AA,AAA」
やがて彼は首元に手を伸ばし、そのままの格好で息を吐き出す。
「/////////.BSFFVZ94UE,C4Q\?」
それが果たして言葉と呼べるものなのかどうか、音を耳にしたモアはとっさの判断をつけることができなかった。
「6;FQQ,3KVSTE.PTE6GZZ:.FTTQEGOEUQ:Q」
なんと言っても、一体全体その音がどういった意味のあるものなのだろうか。
ふざけているようにしか、ただ何となく零れ落ちる呻き声を、適当に寄せ集めて縫いあわせただけ。
そうにしか聞こえない、雑音の香りが空気の間を震わせて通り過ぎていく。
「ああ」
しかし、まるで意味の無いような連続は、彼らにとっては重要な意味を持っていたらしい。
「ああ、そうか君は」
さっきの自分と似たような反応をしている。
紛れもなく当事者である、ナナセは男の表情の変化に気付いていた。
「そうかそうか、そうだったんだな」
やはり相変わらず、もうその形がデフォルトであるかのように。
男は唇に笑顔を刻み続けている。
「そうだった………君はそういう奴だったよ」
だが変化は、この世界の全ての事物に共通しているように、前と後では異なる世界を彼にももたらしていた。
「/// /// /// 」
青年はもうすでにどこも見ていない。
忘れていた用事を思い出したかのように、青年は男から視線を逸らし、その場から移動を開始する。
「………」
体からはもう、一つの言葉も発せられていない。
スタスタと、一切の迷いもない足取りで、青年は部屋の中心へ。
かつて魔法陣があった場所、少年の体が合った場所の辺り。
今は、はるか上空に伸びる怪獣の、体を支える巨大な紅緋色の根がはびこっている。
彼はそこに近付き、そして停止して。
「………」
少しだけ視線を上に向け、赤い光が降り注ぐそこで青年は唇を大きく開く。
「あ」の形、楕円形の穴の奥、青年は光の中でそれを空気中に曝け出す。
「あれは……」
真昼の太陽とまではいかずとも、夕暮れの始まりほどには明るくなっている。
モアは目で青年の体を、開かれた唇の隙間から覗いている。
本来は味覚を、そして言葉をつかさどるはずの器官。
ほとんどを筋肉と、大量の血液で構成されている柔らかな突起物。
「舌の上に、何か……?」
モアと、その他の彼らは、赤い光に照らされている舌の上に刻まれているそれを。
不思議で奇妙な、とても自然に発生したとは思い難い。
何よりも、彼らにとってはあまりにも既視感が強すぎる。
彼らは青年の舌の、そこに刻まれている紋章にしばし、ひと時の集中を捧げていた。
「………」
口を開いた青年は、大きく息を吸い込み。口内、喉の奥、肺から肺胞の全てに大量の酸素を取り込み。
そして、ありったけの魔力と、後は全力の気合を込めて。
「─────!」
溜めて込めた力を一気に炸裂させて、青年は音声による魔法を根に向けて。
一切の躊躇いもなく魔力の塊を、音の砲撃をぶちかました。
人にも触手じみたものは幾つかある。




