表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
328/1412

扉を開けて逃避行

喉から血がでる。

「おやおや、そんなに(よだれ)を垂らして。………よっぽどお腹が空いていたと見える」


 ちょうど自身と同じような視点に移動している、男はルーフの顔を見て笑っていた。


「落ち着いて、そう急くこともない。………すぐにメインディッシュを用意しよう」


 胸の前で手を合わせている、妙案を思いついた、そういった感じのジェスチャーを作り。


 ルーフという名を持っている男はクルリと体の向きを変え、少年に背を向け。


 台の上に手を伸ばし、上にある塊。沢山の刃物で、すでに元の形を半分くらい喪失している。


 真っ赤な、バラバラになっている、男は隙間に指を伸ばし。


 手を隙間にうずめて、中心の奥に潜んでいるものを鷲掴みにする。


「食物に限った話ではない。………この世界に存在する事物は、おおよそに共通して鮮度を重要視する傾向がある。それこそ───」


 小さな、カッターナイフをさらに縮小させたかのような、道具を使って男は目的の物体を手際よく。

 サクサクと軽やかな音をたてて、丁寧に一つの器官を塊から剥離している。


「人の心、感情、思考や意識。文化でさえ、常に同一のものは存在せず、生まれた瞬間から常に腐敗への道を進み続けている。滅んだ文化、新たに生まれる流行。それらは所詮、どれだけの鮮度があるかどうかによって価値の在りかたが、終わりの時まで引き継がれるんだ」


 何やら小難しく、上から目線に偉そうなことをベラベラと話し込んでいる。


 男は言葉の終わりの空白も与えようとせず、手の中にある器官をそっと、片手で慎重に持ち上げた。


「つまりは………、魔術や錬金術、………魔法ですら。人が人である以上、そこには新しさが何よりも重要とされるべきであり、それによって」


 まだ何かを言おうとしている。


 だけどこれ以上は無意味だ、聞いていったい何になるというのだ。下らない。


 男の手から器官がひったくられる。

 人の手から別の人の手に渡る、丸みのある細胞の塊は断面から雫をボタボタト垂らしていた。


「………」


 もうすでに、とっくの昔に活動は停止を迎えている。


 そのはずなのに、器官は。

 ルーフという名の、男と同じ名を持つ少年の手にあるそれは、まだ熱を失っていない。


 ルーフは赤い枝が纏わり、がんじがらめにされて殆ど自由が奪われている。


 路傍の石とたいして変わらない、辛うじて指先だけはまだ血液の温度が通っている。


 温かさの中で、ルーフは確かに器官の内部に秘められていた。今はただ、当然の現象として冷たさに浸食されつつある。


 手の中にある、幼い子供の握り拳ほどの大きさしかない。


 指の中で握りしめる。

 内層の弾力が皮膚と反発し合い、中に潜んでいた汁の残りが手首を伝い落ちていく。


「………」


 この後どうするべきか。


 後は、この生臭く鉄臭い。


 同じ名前を持つ男が言うとおり、すでにこの瞬間から腐敗への道を進んでいる。


 内臓の一つ、循環のための器官を手に。


 この後どうするべきか、誰に聞かずとも答えはすでに頭の中に存在していた。


「ii eee...eq...q3-g ………」


 口を開くと声が漏れる、だがルーフはその音が自分の喉の奥、声帯から肺胞の酸素を活力に発せられたものだと。


 信じることができなかった、もうすでに少年は自分の事など何一つとして信じていない。


 確信できるのはただ一つ、もっとも根本的な欲望だけ。


 歯の隙間に柔らかく、生々しく瑞々しい肉の感触が触れる。


 前歯で断絶を、奥歯ですり潰す。

 舌の上だけではない、口内の粘膜全体でルーフは味を楽しんでいた。


 他の誰にも命令されない。

 自由に、自らの意思で咀嚼をして、嚥下する。


 食堂に個体が滑り落ちて、やがて腹部に次々と吸い込まれていく。


 もう一度口を開いて、そうすると頭蓋骨の奥に短く鋭い痛みが走った。


 ズキズキと、痛みは脈拍に合わせて頭を、脳膜を見えない手でギリギリと圧迫し続けている。


 これは良心の痛みだ、業火の後に焼け残った燃えカス、灰色の意識が最後の抵抗を。

 もう手遅れのなのに、ルーフは自分で自分の心に憐憫の目を向けたくなる。


 無意味である、もうすでに唇は二口目を実行している。


 大量の水分が口の中に、唇の端から顎へと溢れて落ちていった。


 噛んで、飲み込んで、もう一度唇は手の中のそれを。


 もう二度と鼓動することの無い、ルーフは自分でそれを食べ続ける。

 

 もぐもぐと、ムシャムシャと。


 もぐもぐ、ムシャムシャ。


 もぐもぐ、ムシャムシャ。


 食べ終えた時、満たされた腹は膨らみ。


 熱が蠢く。


「膨張が開始する、後は見守るとしよう」


 大人の声が聞こえた。

 

 それはとても愉快そうで、きっと口元には快活そうな笑顔が浮かんでいたに違いない。






 翼が開く、体が大きく膨張して、全身に大量の風が含まれる。


「メイさん、もう少しこちらへ……。そこだと翼の躍動に巻き込まれてしまいます」


 まるで航空機のアナウンスのように、キンシはメイの体を優しくて丁寧に誘導する。


「おおお? なんだかすごく揺れますよお?」


 振動に耐えきれず、四つん這いに近しい恰好でエリーゼが叫び声をあげている。


「なにが、何が起ころうっていうんですっ」


「エリーゼさんもこちらへ!」


 キンシからのばされている手を掴む。


 彼女たちが身を寄せ合っている、それを横目にエミルは何とか背中の上でバランスを保ち。


 転ばないよう細心の注意を払いながら、ソロリソロリと前方へと歩を進めている。


「飛ぶ前にぎっくり腰とかになんなよ」


「ダいじょうぶ、ダいじょうぶ! ソこまでモウロクしていないからー」


 オーギとシグレ、魔法使いの若者と冥人(みょうじん)の二人がやり取りをしている。


 だがエミルの目的は彼らではなく、彼らの近くにいる一人の男に視線は固定されている。


「リリックスティック、ミなさんしっかりつかまってて!」


 シグレが地面を蹴る。


 小規模な地響きが一歩二歩、三歩ほど続いた後に。


「……!」


 エミルは自身の周囲を取り巻く空気が、そこに含まれている「水」が。


 自身の魔力の源たる要素が大きく乱れ、しかしすぐに一定の流れを生み出している。

 変化は肌を突き刺し、衝撃は呼吸を一瞬忘却させるほどの存在感で圧倒していた。


「ホントにとんだ! すごい!」


 悲鳴をあげる暇もなく、後方でエリーゼがまるで少女のように歓声をあげている。


 女性特有の鼓膜を直接待ち針でつつく様な、音を背後にエミルは真っ直ぐ前へ。


 自らの体を乗せているドラゴン、の形をしている男性の首元。


 そこに棒立ちになっている、一人の青年の元へ魔術師は接近する。


「時間の経過は恐ろしくも救いであったのです」


 暗い色のレインコート。城から配給されているものとはデザインも、材質も異なる。


 頭部の大きい聴覚器官のために縫い付けられている、三角形の繊維の膨らみがピクリと震える。


「ですがやはり喜ばしいことなのでしょう。緑色の瞳をした天使が笑い、やがては彼らの夢と狂気が城壁を築き上げることを望んでいる」


 ドラゴンは羽ばたいている。


 もうすでに体は地面から遠く離れて、驚くほどに、恐ろしくおぞましいまでに。


 異形の体が都市の郊外の上空を、暴風雨を軽々と掻き分けて飛行している。


「これはやはり、本当の意味で飛んでいるという訳ではないんだろうな」


 怪獣じみた人間の、本来ならば首の後ろの骨がある辺り。


 分厚い表皮と肉の下、大木のごとき骨がうずもれている。


 そのうえで慎重にバランスを保ち、エミルは自身から見て左側に立っている。


 直立して、じっと向かうべく場所の方角を見続けている。青年の隣に立って、さてどうしたものかと。


「お久しぶりです」


 とりあえず本当に、自身の予感が本物であるかどうか。


 確認作業をするために視線を向けた、先端がちょうど相手のタイミングと合致した。


「時間の経過を測りかねますそちら側で判断を仰ぐことを望みます」


 左側の視線。正確にはそこに人間らしい、哺乳類的眼球は埋めこまれておらず。


 代わりにあるのは紫色の重なり、薔薇の花弁に造形がよく似ている。


「そうだなあ、あー……俺も正直あれから何年経ったかよく覚えていねえけど」


 花弁の色を眺めながら。

 エミルは自身の言葉が若々しく軽々しいものになりかけているのを、心の中でそっと制約する。


「でも、あれだな」


 懐かしさが胸の内に灯る。


 それは決して日の光に晒せるようなものではなく。


 暗くドロドロと、地面に落下したまま落命した雛を見てしまったかのような。そんな苦々しさが舌の上に一滴染み入る。


「あのコがあそこまで大きくなったってことは、それほどの時間も経ったし。オレ等もそれだけ年を取って、老けても。何も可笑しいことはないな」


 音もなく蘇り、自らの喉を圧迫する感情。


 逃れられようもない、内層からの上昇に戸惑いつつ。

 エミルは苦し紛れに視線を青年から、違う人間の方に逃がしていた。


「ちょうど妹と同い年ぐらいだったか」


 そしてすぐに体の向きを変えて、影が吹き付けてくる方向を青い瞳で見据える。


「あいつも、何かミスってなきゃいいけどな」





 爆発は二度目なので、急激な視点の切り替えにももう慣れきっている。


 モアはそう思っていたのだが、やはり思い込みにすぎなかったのだと。


 二度目の爆発に巻き込まれた時、重力が根こそぎ奪われた時。


 肉体を構成する力の一端が、まさに神がかり的な腕に薙ぎ払われ。次の瞬間彼女が目にしていたのは、赤々と燃え盛る巨大な炎。


 熱が実体を持って、やがて骨を生やし。筋肉がパン生地のように膨らんで、火花は体毛を形成している。


「aaaa! ###### #### a####-AAA」


 悲鳴はまさしく雷鳴の如く、ついに自らを囲み覆い隠していた部屋ごと破壊する。


 少年は、もうすでに人間としての形すらも失っている。

 彼は上を向く。


 壁も床も、天井も、今らなんでも壊せると。彼は確信している。


 手を伸ばせば天を裂き、このまま雲の上まで達してしまえば。


「さあ行こう、ハーモニーの王国へ。………ここではない、異なる世界へ」


 言葉を失ったはずの彼に、ルーフの言葉の理由はわからない。


 とにかく彼はここではない、どこか遠く、異なる場所に行くことを望んでいる。

体調不良。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ