フォークの隙間に願いを捧げる
でりしゃすすめる
報告書によれば、こんな事が記述されている。
とある、過去の世界に存在をし、ある一定のレベル。つまりは、文明の一つとして歴史書の項目に記載される程の。
それ程の基準まで繁栄をきたした。そんな感じの、どこにでもあった、ありきたりな国の一つ。
金師帝国、……またの名を波国と呼ばれた土地。
そこにはとある伝統があった。
全ての土地、人が暮らし集団を形成する環境において、それらが時間を経ることによって自然と生み出す習慣。
その例に外れることもなく、当然のことながら、然るべき伝統がその国には。
もうこの世界に、国家としての形態を果たしていない。
亡くなった国には、とある一つの伝統が存在していた。
「君の家族は、君に何も教えようとしなかった。………我が子よ、君は知らないことがあまりにも多すぎる。あまりにも、だ」
男の口から語れる。
人間の肉と骨の伴った音が、ルーフに一つの歴史を情報として一方的に与えてくる。
「人は生きている内に、世界の全ての事象を知ることはない。例え………自身の内側に生じた摂動ですら、わたし達は全てを掌握しきれているとは、言えない………。………だが」
男は藍色の瞳を。
まるでお気に入りの戦隊ヒーローを前にした子供のような、そんな輝きをキラキラと灯している。
「行き過ぎた無知は、もうそれだけで千の殺戮にも勝るほどの罪となることが、ままあるんだよ」
笑顔の中で男はルーフに優しく、柔らかで真綿のような、何かで首を内側から圧迫するように。
藍色の瞳が彼の、明るい茶色の眼球と交差する。
「人間が、人間として生きていくうえで何よりも優先しなくてはならない欲望とは。………君なら何と答える? 我が子よ」
男がルーフに質問をする。
質問の意義、意味の方向性が理解できない。
それでも納得を追従させるよりも早く、ルーフの頭のなかでは三つの言葉が、欲求の捉え方が浮上してくる。
「栄養、繁栄、あとは睡眠だったかな? ふむ………確かにそれらの三つは確かに我々には必要不可欠なものであることは、確定された事実ではあるが」
だが男の方はルーフの考える答えなどすべて理解していると、そう言わんばかりに。
悠々と雄大そうな態度のまま、ルーフは瞬間的とはいえ男の次の言葉を期待している。
自分の思考に気付かないでいる。
この場合は気付かない方が、彼の精神上においては優先性が高いと言えたかもしれない。
「しかしそれではあまりにも単純すぎる。人間と言う、現時点のこの惑星において第一位の繁栄力を気付いている。もはやその影響力は全ての空間を把握していると、そう形容できる。可能としている、生物の本質を語るうえでは、たった三つの言葉で括りきると。そのような思い込みこそ大いなる勘違い、おごりであり愚かさの本質だと、そう思わないかい?」
長々と語る上で、男はやはり相手の答えなど最初からまるで、一切求めずに。
一人で勝手に結論を結んでいる。
「それを段階に踏まえて、我々が強く求める数々の欲望。その内の基本たる言葉、それは知識欲だとわたしは主張する」
知識欲、ルーフの頭の中に侵入し、脳細胞に取り込まれて吸い込まれていく。
その言葉は何故か、彼に形容しがたい懐かしさを胸の内に、密かに蘇らせた。
「知ること、人間は何よりもそれを求めている。誰よりも早く情報を、誰も知らない事実を、胸の内を高鳴らせるリアリティを。人間はずっと求め続けてきた、そしてそれは現時点において。電力と言うエネルギーを基盤としてある一定の到達に届きつつある」
男はそこで少し言葉を止めて、ルーフから目を逸らしつつ、気まずそうな笑みを浮かべている。
「その辺の技術力の発展については、君のような若者こそ当事者であって。わたしの様な年寄りには理解し難い所があるかな」
散々と語られて、結局ルーフに理解できたことといえば。
「さて、そういった前述の上に。君には一つの歴史から学んでもらおうか」
それまでかなりの量の言葉を話したにもかかわらず、未だに疲労の色を見せようとしない。
むしろ思考と意見を重ねれば重ねるほどに、男のまっすぐ伸びた肉体からは大量の熱が、若々しい活力が次から次へと溢れ出てきている。
そんな錯覚を抱いている。
全身の殆どと重力に捧げていながら、ルーフの頭は疲労感が霧を段々と濃密にしていた。
「波の国、そう呼ばれていたかつての帝国。つまりは我々の故郷であり、君の、………そしてわたしのルーツが息衝いていた土地」
だが男は相手の体調などまるで構う素振りもなく。
霧を吹き飛ばす暴風のように、少年へ情報の鉄塊をまさに問答無用で叩き込み続けた。
「土地には、例によって一つの支配体系が存在していた。斑入りという遺伝上に他の生態を組みこまれ、それが肉体に個別の特徴として表れている。そういった種族を中心として、彼らの頂点に座する一組のグループ。言うなれば一族とでも言うべきか」
言葉を選んでいる、慎重さを演出している。
だがそれはあくまでも演技でしかなく、本当はすべて決まりきっている。
あとは決定事項を、台本を空読みするように、まるで物語の登場人物のように。
男は頭の中の文章を、次々と肉の声として変換していく。
「そのグループは多数の種族の中で絶大なる権威を誇っていた。どんなに頑強な肉体をもつものであっても、どんなに優れた頭脳と魔力を誇るものであったとしても、一族の前では赤子の小指程度の脅威でしかなかった」
まさしく伝説上の、架空の物語を語り聞かせるかのように。
男はルーフに歴史を、事実を伝える。
「彼らがそれほどの影響力を誇れた、その理由は? ………それは一つの魔術だ。一族は………、我々の同胞はとある魔法生物を捕食することによって、体内に強大かつ強力な術式を構築する機能を、血の繋がりの中で進化させてきた」
魔法生物。
単語を口にした後に、男の体が動き出したのをルーフは目で追いかける。
「魔法生物、つまりはこの世界の理から外された者たち。彼らの内包する魔力、影響力の多大さを考えてみたとして。………わたし達の家族がその結論を導き出すのにそう大した時間がかからなかったことは、想像に難くないだろう」
男はルーフの視界のなかで、水槽の中にそっと手を伸ばしていた。
円筒の上に備え付けられていた、金属質に輝く重厚そうな蓋を軽々と片手で持ち上げ。
開かれたその内に指が伸びる。
内部に満たされていた液体が男の手を、表皮に包まれた太い指関節を柔らかく、滑らかな内部へと受け入れる。
水と肉が触れ合う音が響く、やがて男の腕は一つの体を内部から取り上げる。
そうすることよって身に着けている、捲り上げてすらもいない袖が水分に侵されている。
その事などまるで気にも留めずに、男は水槽の内部に沈んでいた肉体を引きずり出した。
「むしろ現存する世界線の波を考慮したとして、彼らはその存在そのものが我々………。わたし達が信じる王のために、彼が支配する世界の礎たる糧であると。………わたしはそう考える」
男は水槽から取り出した肉体を、そっと台の上に置く。
いつの間にそこに用意していたのだろうか、これもやはり集団の行動による結果か。
肉体が置かれた台は長方形で、ルーフの視点からは地面に食い込む小さな車輪と、その上に伸びる細い脚部。
手術台のようだと。
既視感のある造形はルーフの記憶の中で、特に迷い悩むことなく該当する画像が検索される。
「見給え、この素晴らしき魔力の結晶を。肌は若々しく艶めき、内臓は一寸の狂いもなくあるべき形を、正しい形状を保ち続けている」
ここからでは何も見えない。
地面に近い視点。
ルーフの耳に男の足音が、巨人の進行のような存在感を放ちながら近付いてくる。
「我々が存在している現存の社会において、これだけの完成度を誇る魔術がどれだけ残されていよう………」
男のささやき声、低く伸びる音の後に指がルーフの額に。
そこに刻まれている、目玉のように色濃く存在感を放っている模様に、指の腹が這わされる。
「この世界にはあまりにも醜いものが増えすぎた………、掛け替えのない美しい光でさえも、醜悪な肉の塊の前ではいとも簡単に掻き消されてしまう。………それは許されざることだ。忌まわしい」
指は軽く痣をひと撫ですると、少しの別れですら寛恕は至らないと言うように。
寂しそうに、名残惜しそうに離れていく。ルーフは男の指を見ていた。
「嗚呼………、美しくないものを受け入れなくてはならない、それはとても悲しく、同時に虫唾が走ることだ」
語られる言葉、音色の響き、ルーフの胸の内にまたしても正体不明の懐かしさが顔を覗かせる。
「増えすぎた憎悪は、繁殖の到達を果たした醜悪は、もうすでに認可出来る領域を遥かに超えてしまっている。………手遅れになる前に、我々はもう一度物語のスタートへと戻る必要がある」
直立している男が片手を軽く掲げる。
その手にそっと、静かに、存在感も感じさせないくらいスムーズに。
集団の内の一人、男なのか女なのかすらもあまり判別できそうにない。
無表情な人間が、男にとある道具を手渡している。
「全てを昨日に返すことによって、世界はもう一度あるべき姿へと回帰することができる………」
つまり今ある、現存の文明を何かしら、巨大で強大で凶悪な破壊力のある爆弾一つで、丸ごと真っ新にしてしまおうと。
要するにそういった根端で、彼らは行動をしている。そのつもりだったのか、なぜかこんな場面になって。
皮が、肉が、男の持つキラキラとした道具に切られている。音を聞きながら、ルーフの頭はかつてないほどに、爽やかと言ってしまえるほどに状況を理解し尽くしていた。
「破壊と創造の回転を繰り返すことによって、ようやくわたし達は正しい道を一つ歩みだすことができる」
骨が、関節が切り取られる、硬い音がする。
いつの間にか、時間と空間を丸ごと画像へ貼り付けたかのように。
台の上には沢山の人が群がっている。
皆一様に手に道具を持っていて、男と同様の行動を。肉の解体を行い続けている。
「そのために現存する世界が失われようとも、やがて訪れる甘く美しいユートピアの前には、必然的な犠牲でしかない。そうだろう?」
答えを求めていない問いかけの先。
男の指先にはフォークが握られている。
普通の、どこにでもありそうな。食卓の上に並べられている、四つ又の。
まさかそれで肉を? 想像はすぐにルーフの中で否定される。
「さあ、繰り返そう。何度でもやり直そう、セーブとロードを繰り返して、いつかは作品を完成させなくてはならない。そのために」
フォークの先には肉がくっ付いている。
串刺しにされた、親指一本分の大きさに切り取られた。
「食べなさい、………お腹が空いただろう?」
男は跪いて、椅子を元の形に治そうともせずに。
まるで愛しい家畜に食料を与えるように、フォークの先端をルーフの口元へと運ぶ。
ルーフは、たとえそれがどんなに無意味であると理解していたとしても。最後の抵抗を諦めようとしなかった。
触れようものなら男の指を噛み千切ってやる。………いや、それよりもここで、自らの舌を噛みきった方が確実ではないか?
ルーフは考え、実行に移そうとする。
「………………」
しかし彼の望みは叶えられない。他によるそれ以上の力、この場合においては男の指、指から伸びる腕全体の力。
それらの集合体によって、ルーフの顔はまるで石化したかのように、残されていた数少ない事由ですらも粉々に握りつぶされていた。
「───! ─────! ────! ─!」
ルーフは悲鳴をあげる。抑え込まれた口の隙間から、呼吸の必要性すらも忘れてただ声を荒げることだけを考え。
逃げることを望む。
「静かに、黙って」
そんな少年の、必死の抵抗を目に。
男は何を言うでもなく、はじめた行動は一かけらも否定しようとしない。
「始まったものは終わらさせなくては、詩に終わりを告げられるのは君だけなんだ」
彼は子供で、もう一人の彼は大人であって。
だから、結果は決まりきっていた。
柔らかく、湿っていて、存在していたはずの熱はすでに空気に溶けて消えている。
肉が触れて、唇の間に水分が侵入する。
逃れようもなく、腕も足も、さらには首ですら。いつしか彼の体からはありとあらゆる自由が損なわれていた。
口の中に入り込んだそれは、大人しい人形のように為すがままになっている彼の体へ。
舌の上に体液が触れる、味蕾が塩気を覚えた。
拷問器具だったのはスプーンかフォークのどちらかだったか。




