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レインコートは黄色とポップコーン

あーゆうれでぃ

 いたって普通の、あくまでも常識の範疇内でしかない。


 たったそれだけ、一般的な人間のサイズ感では、シグレがどのような挙動をもってストレッチを行ったのか。子細な描写をすることは困難である。


「aaa---i ヨうやく肌も馴染んできた! アま粒が心地いい……」


 それでもシグレは、誰に見せる訳でも見られていようとも関係なしに。


 現時点の肉体における、ありとあらゆる関節をミシミシと引き延ばしている。


 鶏の爪をそのまま百倍に引き延ばしたかのような、鋭利な爪先が硬い地面を僅かに削り取る。


「翼は横にして下さいよー」


 水溜まりにたむろしていた魔法使いから離れた所、魔術師の近くにいたヒエオラの留意が飛んでくる。


「そのままデカいのをぶつけられたら、ご近所に迷惑があー」


 それこそまさに一般市民の善良なる注文であり。


 シグレはこっそり、と言ってもその図体だといくら気をつけようとも空気の量は半端ではなく。


 周囲の雨水を、軽く吹き飛ばす程度の空気を鼻から吐いた後。彼は畳んだ状態から、器用に上向きに限定して展開を行う。


 パキパキ。氷が解ける軽やかな音を奏でて、シグレの翼が広げられる。


 白金色の主骨格は暗闇の中においても、艶やかで細い表面をきらめかせている。


 神秘的で、非現実の象徴たるそれ。


 何といってもドラゴンの翼なのであり、だからこそ、こんな風に考えるのもあれだが。それはどことなく、四輪自動車のワイパーウォッシャーを連想させる。


 スマートな骨組には、必要最低限の翼だけが引き伸ばされている。


 付け根にあたる銀色の筋骨、肉の盛り上がりは皮が薄く人工的な凹凸(おうとつ)に富んでいる。


 隆々とした根元から、白く薄い翼は骨の先端にかけて流線型のに広がっている。


 一般的な鳥類や昆虫類、あるいはメイのような春日(かすか)種の持つ翼とは大きく異なる。


 どちらかと言えばコウモリのそれのようで、しかしどうにも生き物の気配、例えば肉の隙間にたまる汗の臭気であったり。


 生々しく「生きて呼吸をしている」感覚が、その翼には圧倒的に欠けている。


 何というか、ヨットの帆だったり使用済みテントの切れ端だったり。

 その辺の廃材を適当に、いい感じっぽく背中にくっ付けた。


 そういった形容をした方が、この翼に関してはより正しい形容に近しいのではないかと。


 つまりは、どういうことかと言うと。


「立派な翼ですね」


 子供のような顔つきで、自分の一部を褒めてくる。


「エ、アあ……ありがとう?」


 男性魔術師の視線を下方から感じ取りつつ、言われた本人はどうリアクションすべきか答えあぐねている。


「ウん、ウーん? マあ、ソんな事より!」


 少しだけ奇妙な気分になった所で、気分を展開するつもりでシグレは大きな声音を使う。


「コっちの準備は終わった! オわったから、サっそく移動を開始しましょう」


 そういう訳で、魔術師と魔法使いとその他諸々の、とても統率力も統一感も欠片もクソもない一行は移動を。


 生白く不気味な空想的造形の生物への登場を、行おうとしていて。


「あれ、乗らないんですか」


「ああ、いや、あー……そちらからお先にどうぞ」


 キンシが男性魔術師の、引きつったような笑顔に首をかしげつつ。


 重たそうな鞄に顔をしかめて、なんとか尻尾をつたって滑らかな背中へと這い登っている。


「さあ皆さんも」


 ひょいひょいと何のためらいもなく、さっさと異形の体の上に登りつめている。


 キンシが笑顔で、悪意の込められていない表情で、地面の上の彼らに手招きをしている。


「早く上に来てください」



 色々あって、なかば消去法的な展開によって、最後の順番になったエリーゼが鱗の一つに足を引っ掛ける。


「ひええー、ツブツブしてるう」


 魔術師として、都市のエリートとして、それなりのキャリアを積んできた。


 と密かに自己を肯定していたエリーゼは、しかし現在自分の身にまさしく密着している現象に、今はただ未知への好奇心を。


 まだ何も知らぬ幼子のような、純粋な驚きに胸をいっぱいにしている。


「気を付けて、鱗で肌を切らないように」


 そろりそろりと、まどろっこしいとも言える速度で登ってきている。


 キンシは女性魔術師の様子を上から窺い、手を伸ばして彼女の補助をしようとしている。


「きゃあきゃあ言っとらんと、はよ登ってこいや」


 後輩女性の歓声に、エミルが眉間にしわを寄せて溜め息をついている。


「……」


 そういった彼らの、ある意味では活力に溢れたやり取りを背景に。


 メイは唇をじっと閉じて、魔術師と魔法使いの行動をどこか遠くのものとして、離れた意識の中で眺めている。


 沈黙を続けている、ここまで特に意見することなく彼らについてきた。


 キンシはようやく登ってきた女性魔術師の手をにぎり、そのたっぷりと重たそうな体を軽々と引き揚げている。


 そしてオーギは。


「まったく、こんなデカいもんを使って、何をしようってんのかねあいつは……」


 後輩魔法使いのわがままにぶつくさと。

 していながらも持ち寄った物品の点検らしきことを、甲斐甲斐しく行っている。


「……元気ね、みんな」


 光景についての感想を、とりあえず言葉にしてみたはいいものの。


 予想以上に卑屈っぽい響きになってしまい、メイは自分の言葉に呆れと、自虐的な匂いを感じずにはいられないでいる。


「推測します」


 かなりシニカルな顔になっていたに違いない。


 とは言うものの、その時点においてメイは自信の表情を確認する術をもっていない。


「私は推測します貴女の心情は脱出の見込みを喪失しかけている」


 自らの正体も不明瞭になっている。


 彼女の頭上から、さらに不可解な言葉づかいが雨粒と共に降り注いできた。


「魔導士の眷属などは信頼に不足している言葉は不快感を否めないでしょう」


 メイが首を上にあげると、ちょうど真正面から少し右に逸れた所で、トゥーイがじっと彼女の姿を見下ろしている。


「なあに? どうしたの」


 理解が言葉の意味に追いつかず、心の内は少しばかり億劫の色を滲ませている。


 だが、それをどうにかして表に出さぬよう、努めて笑顔を作りだしている。


「否定はしません許容できない拒絶は相応に環境と則している」


 きょとんと人畜無害そのものの振る舞いをしている。


 だがトゥーイは彼女の必死の演技などまるで意に介すことなく、手前勝手に発声装置をチキチキと鳴らし続けている。


「────、───、──────。なので」


「なので、なに!」


 トゥーイは彼女の都合などまるで鑑みようともせずに、勝手にベラリベラリと意味不明な言葉を話し続けている。


 疲労と緊張で心境の余裕が足りていなかった、メイは荒げた声で青年の声を遮断した。


「用があるなら、はやく言ってくれないかしら、」


「これを」


 湿った吐息とともに吐き出される彼女の苛立ちに、トゥーイは食い込むかのように短く返事だけを。


 音もなく、自然な動作で、さも当たり前かのように、青年はメイへ布の塊を差し出した。


「ええ、なあに? これ」


 何の前触れもなく、一切の脈絡も介さずに差し出されたそれは、闇夜のなかでも確かな存在感を放っている。


 ヒマワリやキンポウゲの花びらと同じ色、どこかくたびれた質感は雨粒を受け入れることなく、全てを拒絶している雰囲気を匂わせている。


 それは。


「布? ううん、ビニールの塊のように見えるけれど……」


 為すがままに、流されるままに、メイは特に躊躇うこともなく青年の手の中にあるその布を、手でそっとつまみあげた。


「おお、これはこれは」


 予想以上の面積に戸惑う、メイの聴覚にキンシの声が流れ込んでくる。


「綺麗なイエローのかっぱ、いえ、レインコートと呼ぶべきでしょうか。城の配給品と少しにている、エミルさんたちのと似たようなデザインで、かっこいいですね」


「そう、ね?」


 キンシの注目のなか、メイは手の中のビニール素材を体の前に広げる。

 

「それにしては、ずいぶんとミニマムな感じだけど」


 展開された黄色に目を通し、そしてその向こう側にいる大人二人、男女の格好に目を向け。

 メイは違和感に首をかしげずにはいられない。


「子供用かしら? あのお城って見た目の怖さとはうらはらに、こんなカワイイものまで作っているのね」


「そうですねえ、これで赤い風船もセットでポップコーンも付けたら最強ですよ」


「それは……別にいらないと思うわ」

 

 キンシの軽口を受け流し、メイはとりあえずその黄色いレインコートを手に、青年の方へ視線を向ける。


「それで? これをどうしろと」


 わざわざ答えるまでもなく、トゥーイは無表情のままに彼女たちをじっと見下ろしている。


「このままだと、色々とベタベタになるかもしれませんからね。ちゃんとした上着を装着しないと」


 戦いの前にはきちんと装備を整えろ、的なことを口走りながら。


 キンシはメイからそっとレインコートを預かり、彼女が腕を通しやすいように袖の辺りを持ち上げる。


「いろいろ、ね」


 言葉の意味をそのままに、よもや魔法使い相手にそんな愚直さが通用すると、考えられるはずもない。


「ヒエオラさんのとこに、子供用に配布されていたのが余っていて。それを……えっと、かってに持ってきてよかったんでしょうか?」


 キンシが不安そうな目線を地面の方に向けている。


「おーい、おーい」


 視線の下、アスファルトの上からヒエオラが手を振っている。


「結局何が何だかわからなかったけれどー、とりあえずキッチリバッチリ暴れてきなよー!」


 道理など自身にはまるで関係なしと、呑気そうに、それどころかすでに店の中に体を引っ込めようとしてさえいる。


「大丈夫そうですね」


「ええ、そうね」


 自分とは関係の無い、それは同時に相手にも共通している。


 世の中の大多数を構成している事実に、彼女たちが雨よりも湿度の高い溜め息に溶かして、喉の奥に押し込もうとしている。



 一方、納得がひとつ迎えられている中。


「……………」


 その様子を横目に、トゥーイは唇を固く結んで鱗の道を歩き出す。


 いつの間にか雨の勢いはさらに強さを増して、もうすでに水の強さは豪雨の域に達しようとしている。


 風が吹きすさぶ。

 

 トゥーイの着用している袖と裾の長いレインコートが風雨を内部に含み、パタパタと軽やかな音を奏でている。


「……………」


 トゥーイは鱗の上、肉の道を進み。


 やがて道が細くなるところ。つまり背中の終わり、シグレの首元から顔面にかける部分へと足をつける。


「転生者よ」


 一人、青年の首元から調子の崩れた音声が発せられる。


「準備はよろしいか?」


 確認の動作、それをしている時点に、すでに彼の視線はこれから向かうべき場所へ。


 意識の刃が向けられようとしている。

ミステイクをしかける。

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