爆弾の準備は出来ているか
ぷりーずあぼむ
見れば見るほど、考えれば考えるほど、キンシの行動はメイにとって不可解そのものであった。
「いったいぜんたい、地面と仲よく水たまりに手なんかひたして。キンシちゃんは何をしようと、したいと思っているのかしら」
もはや彼女と魔法使いの距離感は、手を伸ばせば触れられるほどには近付いている。
ここまでくれば、流石に相手も自身の声を無視できるほど。それほどに相手が無礼で無神経で、図太くなれないことも、メイはすでに理解しかけている。
「ああ、メイさん」
声自体はすでに聞こえ、情報として確認していながら。あえて、と言うほど思惑を働かせていないにしても、意図的に無視を行っていたことには変わりない。
「大丈夫ですよ、万事オッケイですよ。もう少し……あとちょっとで終わるので」
何も始まっていない、むしろ全体をかんがみてみれば、これから事が始まらんとしているはずなのに。
キンシは自らの口からついて出る言い訳に滑稽さを覚えつつも、それでも手で実行している作業を止める訳にもいかず。
「いやはやほんとに困りましたよ、彼女もいい加減引きこもり根性をどうにかしてほしい所です」
結局キンシに出来たのは、この場にいない他人に対して場の不手際の責任をおっかぶせること。それだけであった。
しかしメイが求めているのはそんな、正体のわからない言い訳などはなく。
「困るとかそうじゃなくて、何をしているのかを聞きたいのだけれど」
上手く話しの通じない相手に、魔女がそろそろ呆れの一段階下にある感情を一粒滴らせようとしている。
「どうしても持っていきたい道具があるんだとよ」
彼女の頃合いを察したのか。
オーギがゼエゼエと息を切らしながら、簡潔かつ明瞭な事情説明を口下手な後輩の代わりに話した。
「なんだっけ、けっこうデカいブツだからいつもは図書館……、こいつの住み家に保管してあるんだが。コイツがこれからの厄介事に、どうしてもそれが必要になるって聞かなくてな」
「道具?」
それはやっぱり、普通の道具ではない。
わざわざ考えるまでもなく、メイはそれが魔法による、あるいはそれらに関連する事物であることをごく自然、容易に連想させていた。
「でもそれで、どうして水たまりに……?」
目的は判明した所で、しかし行動の理由はまるで解明できていない。
むしろ、事物がほのかに明確化されたことにより、逆に目に見えている光景の奇妙さが際立ってさえいる。
「ああ、もう、めんどくせーな」
首をかしげているメイの視線を感じながら、これ以上無駄な時間を有するわけにはいかないと。
オーギがついに右手を大きく振って、その手の中に光が閃き、次の瞬間には大きな木箱のようなものを。
それは少し前にメイの体を癒した傷薬、その他等々が内蔵されている薬箱で。
同時に彼の、オーギと言う名の魔法使いの仕事道具、武器でもある。
「ちょっと離れてろ!」
キンシが彼の行動を見て、考えて声を出すよりも先に、体を水溜まりから退避させている。
オーギはそれを目でしっかりと確認しながら、手の中の武器を盛大に、出来るだけためらいを抱かないように。
「おんどりゃあ!」
全身の力を瞬間的に爆発させて、オーギは薬箱を水溜まりの内部に、全力で叩き付けた。
一体何を、ついに彼らは気が狂ったのか。いや、もともとがかなりクレイジーで、基本がすでに狂気的に気持ち悪い日常を送っている彼らではあるが。
と、驚きの余りに深層意識に封じ込めていた本音さえも、表層へと引き上げかけている。
メイのカッと見開かれた視界のなかで、オーギの薬箱は水溜まりの表面へ触れ。
圧迫によって留まっていた液体を周囲へと発散させながら、やがて箱はアスファルトの底面へと到達するであろう。
その後は、メイは自信が何を期待していたのか。薬箱が、粉々とまではいかなくとも、角の一つぐらいは破損するだとか。
あるいは、もしかしらたら地面のほうこそが、アスファルトに盛大なるひび割れでも生じるのではないか。
せいぜい魔女に予想できたのはそれぐらい、それが精いっぱいであった。
だからそれらの予測が全て、概ね外れる。
箱も地面も何一つとして破損することなく、飛び散って霧散するはずの水は、まるでカメラで写真に収めたかのように。
空間そのものを静止画で切り取ったかのように、水しぶきが空中で制止している。
そんな感じになった、結果に対してメイは何を言うでもなく。
ただただ沈黙の中で、唇を閉じて光景の次の展開を待つばかりになっている。
パキリ、ポポキン。
硬い物が割れる音が響く。音の発生した部分に視線を向けると、そこには僅かな、三十センチ定規ほどの光の筋が発生している。
暗闇の雨空の下、しかもこの辺りは外灯なども少なく、その上にシグレの巨体がさらに濃い影を広げている。
そのように暗黒をより集めて煮詰めた感じの、そんな空間において。
光の筋は光源としては淡く弱々しいものであっても、どこか絶対的な支配を感じさせる存在感がある。
「……この光」
はて、さて、それだけ?
メイは疑問に思う。確かに地面のくぼみに生じた光は美しく、虹色のように色とりどりで、色のそれぞれが水の粒に反射をしている。
その光景。
現象は美しいと呼ぶべきもので、視線を奪われる理由についてはそれで、それだけで十分と肯定出来得る。
だけど、本当にそれだけで、たったそれだけの言葉で片付けられるものだのだろうか?
メイはどうしてもそう考えることが、結論を結び、次に移ることができないでいた。
「この光、私はこれを見たことがある」
脳が情報をより集める、心と呼ぶべき不確定な存在が納得と言う結果を生み出すのも待たずに。
情報は記憶と言う形を得て、彼女に限りなく正解に近しい回答を導き出していた。
「この場所の、灰笛の空にうかんでいる、あの光とよくにている」
確信はなかった、証拠も確証も何もない。
ただ思っただけのことを、直観的な思考をメイは意識から少しだけ離れた場所で言葉にしている。
「流石ですねメイさん」
じっと視線を奪われている、眼球の表面に光をキラキラと反射させている。
キンシは魔女に短く賞賛を送った後。
ほとんどうつ伏せになっていた姿勢から、のっそりと体を起こしつつ、光の正体について説明を行う。
「これは傷口と同じ原理でもあります。今僕たちのいる空間と、こことは異なる別の場所とつなぐ。道と道の間の。無、と呼ぶべき空間」
無いことが、それがどういった状態であるべきなのか。
あいまい過ぎて、哲学さえも見いだせてしまいそうな感じがする。
「でもこれは、ちゃんと目的のある通路ですよ」
自身の口からついて出た台詞に気恥ずかしさを覚えながら、キンシはもう一度体を全方向に沈め。
全身に力を持たせるために両の足を踏ん張りながら、両腕を真っ直ぐ光の筋へと沈み込ませる。
キンシの動作に躊躇は感じられない、きっと慣れきった動作の一つなのだろう。
人の手に触れられた小さく簡易的な「傷口」は、触れた端からゼラチン質の振動を全体に共鳴させる。
ブルブル、ブル。
ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ。
べちゃ、べちゃりべちゃり。
開かれた口のなか、内部にたたえられている「水」の音が、雨音に紛れて存在感を放っている。
キンシは特に何も考えていなさそうな表情で、思考を必要としない程度の動作を。
「あ、あったあった、やっと見つけました」
口の中の探索を短く行い、そしてようやく、ついに目的物に指先が触れた。
キンシはそれを光る傷から、遠慮なく一気に引き揚げる。
荒れ狂う海原の海岸線、を百分の一ぐらい程度に縮小させた感じの音を奏でて。
待ってましたと、傷から引き抜かれたその一品は。
「それは鞄?」
「ええそうです、これは鞄です」
キンシが珍しく重さに会え意義ながら抱えている、メイはその腕の中にあるものについて簡単なコメントをした。
「えっと」
混乱してはいけない。
これからのこと考えて観れば、この弱々しい体に少しでも体力を温存しておくべきである。
頭ではそう理解していても、やはり行動は理屈に素直に従えるほどの、優しい柔軟さを発揮するはずもなかった。
「その鞄は、いったい何なのかしら」
聞いたところで、期待しているような答えなど返ってくるはずもない。
そもそも自分がこの魔法使いになにを期待しているだとか、考えてしまえば根本的なことまで追求し始めてしまい。
メイはそれ以上、疑問の矛先を研ぎ澄ませないように、質問を諦めて溜め息を吐きだした。
「ううん、答えなくてもいい。……教えてほしいことはただ一つだけ」
「何でしょう? 僕に答えられることなら何なりと」
決まりきった文句を言っている、メイはキンシの右目をじっと見据える。
「この場にあるぜんぶは、みんな、お兄さまを助けるのに役立つのよね?」
これは質問でもなければ確認ですらない、限りなく命令に近しく、脅迫といった意味を内包したとしても。
彼女には何の問題もない、彼女は目的を果たすためなら何だって、なんでもできると信じているのだ。
「大丈夫ですよ、まかせてくださいメイさん」
キンシはにっこりと笑いながら、重たい鞄を肩に提げつつ、彼女に言葉を向ける。
「灰笛の魔法使いは、キンシは、美しいものを守るためならば何だってしてみせます」
かなり調子のいいことを言っている、しかしキンシの瞳には虚構と言う、ある種人間らしい思惑は一切含まれていない。
人間でありながら、どこか獣の本能を匂わせる。
直接的で混じり気の無い、安直な欲望だけがこの若い人間の全身から満ち溢れて、氾濫を起こそうとしている。
「イいねいいねえ、ソの調子だよキンシちゃん」
そろそろ頃合いが良いと判断した、もしくは単にじっと雨の中で待ち続けることに飽きたか。
シグレが大きく体を動かして、発破をかけるように翼を広げ始める。
「ソれでこそこの灰笛の魔法使いだ、イい感じにバカっぽくて向う見ず。ヤっぱり魔法使いはそうでなくちゃ」
森林の巨木、あるいは剥き出しになった鉄骨が落下するかのような、盛大な音をたてて。
シグレと呼ばれる男性は、ファンタジックに巨大な体をいよいよ訪れる稼働のために、丁寧な準備をし始めた。
そう雪になった。




