君にだけ声を届ける
ウィスパーウィスパーウィスパー。
とはいえ、もう一度ちゃんとした環境を整えられるほど、彼らは生真面目でもなく。
「立ったままで、失礼を承知で進ませてもらうけれども」
結局椅子に腰を落ち着かせているのは、疲労感にこらえきれなくなったエミルだけで。
あとの数人はそれぞれ勝手に、作業なり思惑なりを働かせて、その場に棒立ちをしていた。
「こっちとしては、あんた方の調査をちょっと手伝わせてもらって。そこで、少しばかり個人的な介入をさせてもらいたい。との事ですわ」
それとなく嘘っぽくて、しかしながら間違いなく真実に近しい。
こちら側、オーギはキンシの方にチラリと目配せをしながらつらつらと。
滑らかな口ぶりで説明をしている。
「キンシちゃん? は、」
ようやく名前を頭に入れ始めたのか。エリーゼがキーボード入力を一旦停止して、キンシの方に目配せをしてくる。
「どうしてまた、アタシ達の……こんな事件に首を突っ込もうなんて、思うようになったのかしら?」
ガラス玉のように光るアイメイクの隙間、曲線を描いて整えられた睫毛の下の瞳。
アイスティーににている色合いの虹彩が、じっと、若い魔法使いの姿を捕えている。
「理由は、語るべきことは特にありませんが」
視線をしっかりと意識して、そうしながら。
キンシは出来るだけ平静に、表情を中心とした雰囲気を、均一に保つことに意識を集中させた。
「彼女の身内が、その団体の被害に晒されたとのことで。被害者の救出ついで、あなた方にも協力出来たら。と、そう思っているのですよ」
キンシの供述。精一杯誤魔化そうとしていながらも、どうしようもなく言葉づかいに不慣れが見え隠れしている。
「ふうん。そう言うことならば、アタシ達のほうでもやぶさかではない、って感じだけれど」
エリーゼは瞬きを一回、まつげを慎重に上下させた後。
椅子の上にいる先輩魔術師へ、視線の先を変えた。
「力無き一般市民への被害が確認されたし。灰笛城公認魔術師たる我々は、一刻も早く市民の安全を確保しなくてはならない」
エミルが後輩の方を見やる。
「また、そんな社員マニュアルをよお暗記できんな」
特に感情を込めるでもなく、いたって生理的な溜め息を一つ。
「つまり、オレ達は君たちの提案に、ぜひとも協力をさせてもらう。という訳で」
簡易的な休憩が終了したのか、エミルは年齢相応の深みのある二酸化炭素を深く吐き出す。
「エリーゼ、早速奴さんの居所から、最短のルートを──」
後輩に、これからすべき仕事内容の指示を。
しようとした所で。
「あー……っと? 何してん」
男性魔術師は青い瞳をパチクリと。
「えええー、マジでえ?」
「そうよお、マジなのよお」
彼の視界にはエリーゼが、何故か飲食店の店長と団らんの中で何かしらを言い合っている。
そんな彼女と、彼の姿が映っていた。
「ここは、知る人ぞ知るヤバい所じゃんよ」
いつの間にやら。
魔術師と魔法使いと魔女、穏やかならぬ彼らが語らいをしている間。
店長たるヒエオラ氏はとっくに自らの仕事を。やがて来る朝のためにする準備のあれやこれやを、きれいさっぱり終えていたらしい。
「かつての区画整理の際に余った廃屋やらなんやらが集まっていて、そこに不良が集まって、とかで。とにかく、その辺りはあまり治安が良くないんだよ」
いかにも他人事らしく、実際その通りで、それ以外の何ものでもないのだが。
「ここにその、子供を誘拐してヤバい事しようとしている人たちが、たむろしてるってこと?」
不安そうにしているヒエオラ店長。
体を近付けてタブレットを覗き見ている彼に、エリーゼが調子よく微笑みかけている。
「さすが地元住民、土地の情報にお詳しいですね」
近くもなければ、遠くもない。社交的なやり取り、もしも何も関係ない人物がこの光景を見たら、それだけの感想しか抱けないだろう。
「これからここに行こうとしているの? 止めた方がいいよ」
止の部分にことさら強めのイントネーションを込めて、ヒエオラはとりあえずお得意様の方を。
魔法使いたちのほうを見やる。
彼らは市民なのだろうか。そうだと仮定するとして、世の中に自らの異常性を隠匿するという点において。
彼らほどに上手く方法を活用しているものはいない、それこそ魔術や魔法なんて必要ないくらいに。
彼らは自信を上手く隠せていて、それは最早透明に等しい存在感と言えた。
「………世の中にあまねく存在する、すべてに共通しているように」
彼らの注目を浴びている、しかしルーフは集団をまるで意識していない。
「限りない美しさを誇る計画であっても、その内部は完全体と呼ぶには及ばない。………途切れ途切れに生じる摩擦は逆らいようが無く、それは不完全たる我々に課せられた、………ある種の宿命とも言えよう」
ルーフと、彼と同じ名前を持つ。
大人の男は、まるで朝のニュースで何かしらの、嘆かわしい一報を耳にしてしまったかのように。
愁いを帯びた眉毛は、飛行機の翼と同じくらい滑らかな曲線を描いている。
「君のお爺さんが興した反旗の色、………それもまた人間的な行為の一つであったのだろう」
奴らが語る、「計画」がはたしてどのよう内容のものなのか。
口と言葉から与えられる分には、情報があまりにも少なすぎると。
ルーフは未だこのような事を考えらえる、自分自身に一種奇妙ともとれる意外さを覚えている。
「だが彼が起こしたほんの小さなさざ波が、時間の経過とともにやがては巨大な、すべてを飲み込む津波へと変化する」
はたして男は、どの時点のことについて語っているのだろうか。
ルーフは、ルーフを取り巻く環境にあまりにも対照する事物が多すぎて、彼は思わず罪を一つずつ数えていた。
「本来の計画では、………君にはもっとしかるべき教育を行う予定だったのだが。………まあ、過ぎたことは仕方がないだろう」
男が優雅に溜め息を吐いて、そっと手を。
ルーフから生じている赤い翼に手を伸ばす。
「!」
男と少年、彼らのやり取りを見守っている集団。
それまで、まさしく背景の一部と同様の意味しか持っていなかった。
彼らの内から幾つか声があがり、ルーフはそこでようやく人々の姿を、他人の存在を思い出していた。
「ああ、美しいな………」
人々の心配。そんなのは一切お構いなしと、男はさも当たり前のように。
「これはまさに、君の魔力そのものと言っていいだろう」
何のためらいもなしに、今は静かに硬直している翼を撫でている。
「君の魔力が成長と共にピークに達した、その頃合いを見て我々は計画に基づいた魔術を展開させる。………本来の筋としては、そのはずだったんだよ」
淡々と解説をしている。
説明口調の合間に不意に登場する語り口調が、ルーフの調子を程よく不快に乱していた。
「だが君のお爺さんは、その計画の途中で自身の意見を主張しようとした。それが何だか、君にはわかるかい?」
聞かれたとして、まさか相手から答えが返ってくるものとは、男も考えてはいなかったのだろう。
「──………、それは………」
何故か、理由も証拠も何一つないが。ルーフはここで自分が口を開くことに、そうすることで相手が不快感を抱くと。
そう確信していた。
「ぁれ、か? ぉ家の復興でも、企てようとしたん、………か?」
正直息をするだけで辛さが天井を破りかけている。
本来熱を持つべきところではないはずの場所が、ガスバーナーを直接吹き付けられたかのように痛む。
だが、それでもルーフはしっかりと、自身の声が相手に届いたことを目と耳と、肌の神経で確認する。
「あはは」
一言、嫌味にも皮肉にもなれない、中途半端な言葉を声に出すだけで。それだけで全身の力を使い果たした。
脱力して意識を手放さないようにするだけで精一杯、そんなルーフに聞こえたそれが。
その笑い声が男のものであることを、判別するのにルーフは幾ばかりかの時間を要した。
「いや、失敬。………聞き覚えのあるジョークだったもので、笑いを堪えきれなかったよ」
痛み、あるいは疲労、あまりにも多すぎる要因によって、磨りガラスを眼球に押し付けたかのようになっている視界。
酷くアバウトになっている光景の中で、それでもルーフは男の笑顔を、悍ましい鮮明さで意識に認めていた。
「ああ………愉快だ、これはお爺さんの、彼の教育の賜物かな? なるほど、計画の変更もまた無意味という訳でも無し、………か」
少しでも情報を多く得たくて、瞬きをするのも惜しんでいる。
だがこの異常事態であっても、ルーフの目玉は然るべき潤いを求めていたらしい。
強烈な痛みの中で、瞼の裏に熱い涙が溢れ出る。
「この羽根は………、ぉれっ………俺の魔力そのもの、と言ったな」
もう一度目を開く、そこには既に男の笑顔は存在していなかった。
「だけど、俺は魔法は使えない、魔力があったとしたら、爺さんがそのまま俺を普通に育てたと、思えるはずがない」
なにせ彼はルーフに、庇護の対象であった少年に殺された彼は、他でもない錬金術師。
魔女を一人、完全なる魔女を作り上げようとしていた、そんな男である。
「俺に魔法の才能があったら、爺さんが、………よりにもよってあの人が、俺を普通に育てるはずがないだろうが」
声を出している途中で、喉の奥に小虫が張り付いたかのような不快感が膨れ上がる。
ひとしきり話した後で、逆らい難い衝動がルーフの体を駆け抜ける。
「げほっ! うぐふ、」
生理的な咳。
その後に忘却に沈めようとした痛覚が掘り起こされ、ルーフは体が急激に圧縮される気分に襲われる。
「君が魔法を使えない、それはわたしも知っている。わたしは君のことなら何でも知っている」
痛みは血液の流れ、血管に走る振動、心臓の震えと同時に全身へ。
よせては返す潮騒のように、延々と止まることなく少年の体を圧迫し続けている。
「君は魔法を使えるんだ。いや………君だけではない、全ての子供は魔法を使える。自覚するかしないかに関係なしに、この世界の人間には魔法を使う方法が決められている」
ルーフがあからさまに苦しんでいる。
だが男はそれに構うそぶりも見せずに、視線はどこか遠くに意識を捧げている。
「それは呪い、人が人である限り、永遠に続く呪詛の連鎖だ」
やがて、男はその手を翼から離す。
「人は、この世界はその檻から逃れることは出来ない。………いつしかわたし達は、自らを縛り付ける拘束そのものを神とあがめ、範囲の中で繁殖と繁栄を広げていった」
ルーフは痛みの余り、すでに男の方を見る余裕すらも失いかけている。
だが男は、誰に見られていようがいまいが、関係なしに笑顔を浮かべていた。
「はは、あはは、あははははははは」
笑い声は空間を振動させて、少年に、少年以外の人間たちに届く。
「………はあ、まったく」
笑いが収まる。音の引き際、最後の一言。
「虫唾が走る」
それだけは、ルーフの耳にしか聞こえなかった。
ひそひそ、ひそひそひそひそ。




