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私を心配しないで

不安症候群

 役者は揃った、とでも言うべきなのだろうか。


「さて、形も整えたついでに、チョイとばかしやるべきことがあるな……」


 赤いリボンの眼帯をつけた格好のエミルが、装飾品の軽快さとは大きく乖離(かいり)しているほどに暗い声音で後輩魔術師に目配せをする。


「ああ……うん、そうですねえ」


 体を水道水でスッキリきっぱり清潔にした、そしてそのまま元の格好のままでいるエリーゼは、とりあえず整えたスーツに皺を寄せながら、化粧を落とした顔面にもそれと同様の陰りを帯びる。


「ヒエオラ、さん」


 顔に着けた仮装を取り除く素振りもなく、そのままの格好で自分に話しかけてくるエミルにヒエオラは分かりやすく身を固くする。


「重ねて迷惑をかけるが、もう少しだけこの場所を借りてもよろしいかな?」


 もう一度自分に向けて深々と頭を下げてくる男魔術師、彼のくすんだ金色な頭を見下ろしながら、ヒエオラはぎこちなく承諾の意を伝える。


「あ、ええ? うん、営業時間にはまだ間があるし……たぶん大丈夫だと思うけど……」


 そう言いながらヒエオラは自身の仕事場を、昨日の不幸なダメージから必要最低限の補強を簡単に施し、外の雨を防げる程度に密閉性を取り戻した。


 それでもまだ砂塵の雰囲気を残している店内、そこの壁にかけられている奇跡的に昨日の惨事をまぬがれた時計を確認して。


「おいおいヒエオラの旦那よ、そんな安請け合いをしても大丈夫なのかよ」


 ここまできたらどうにでもなれと、受け身の流動性を発揮している一般市民殿に対して、オーギがガスマスク風の仮面の下から静かに危惧を発する。


「これ以上はその……すこし厄介な展開になりそうな、そんな感じがあると思うけど。本当にいいのか?」


 仮面という物理的な隠匿ももちろん十分関係しているのだろう、それでもやはり曲がりなりにも魔法の一部、仮装によってオーギの表情は見えず、そこに含められているはずの感情も酷く希薄になっている。


「え? どうしたのさオーギ君」


 顔が見えない分相手の心情が見えず、ヒエオラはどこか居心地の悪そうな素振りで首ををかしげる。


「これからその、メイちゃんのお兄さんを助けるための、えっと、何かしらの何かをするんだろ? それだったらむしろ、いくらでもこの店はこの人たちに協力するつもり、だけど」


 ここに来て自身の立ち位置をわざわざ言葉にするつもりなどなかったのか、ヒエオラは言葉の終わりにかけて段々と言葉の雰囲気をフワフワと不安定にしていく。


「ふーん、そう言うことなら別にいいけど」


 ヒエオラの言い分にオーギは後頭部に指を伸ばし、爪でガリガリと頭皮を弄くりながら首を下に傾ける。


「そうと決まれば、準備をしないといけませんね」


 キンシは彼らのやり取りを観察しつつ、固まりかけた沈黙に穴を開けるような声を発する。


「まずは何をするのでしょうか、そう言えばそちら側の手段についてなにも相談しませんでしたね」


 予想外の提案から詰めの議論をなあなあにしてしまったことについて、キンシは何気なく話のタネとしてエミルに差し向けてみる。


「そうだな」


 エミルはもう一度軽く眼帯の位置を整えて、依然として納得のいかぬ雰囲気を指先に漂わせたままに、あくまでも平坦な声で一つの提案をする。


「まずは、記憶の検索について行おうと思っている」


「きおくのけんさく?」


 それはどういう意味なのだろうか? そう考えたのはメイであった。


 記憶を検索するということはつまり、インターネットの検索サイトみたいにキーワードを入力して……?


「ねえねえキンシちゃん、きおくのけんさくってどういう──」


 メイはそっとキンシのいる方に近付き、目立つ汚れをある程度取り除いた上着の裾を指で掴み、顔を見上げて何気なく質問しようとして。


「……キンシちゃん?」


 魔法使いの顔に浮かんでいる感情の、思わずためらうほどの激しさに言葉を一瞬忘れかける。


「そんな、何もそこまでする必要が、あるのですか。いいえ、僕は思いません」


 キンシは驚いているようだった。その証拠に言葉は怪文法になっていて、メイは久しぶりとさえ思える怪文法に大して意味を考える暇もなく、頭上の人間の顔に浮かんでいる驚愕の意味を掴みかねている。


「他の、方法を僕は提案して。えっと、だから……もう少しましなのを」


 興奮を抑えきれていないのだろう、それでも安定した取引を行うためにキンシは静謐(せいひつ)なる努力のもとに、どうにか常識的な言葉づかいを繰り出している。


「それは無理よ」


 立っているだけで相当の体力を消費している。


 それは体力の損害などではなく、むしろその逆。己の内層に突発的な雷雨の如く荒れ狂う激情を、その場に留めるので多大なる精神力を費やしている。


「後出しじゃんけんみたいで悪いけれど、どうか許してちょうだい」


 そんな状態に陥っている魔法使い、キンシに向けてエリーゼがいつもの調子の、少なくとも声だけではそういう風にしか聞こえない声音で事情の説明を行っていく。


「ハルモニア……、かの魔術師集団はありとあらゆる情報網から逃れるために、ときには全事態的ともとれる凶暴な魔術によって己の秘匿性を高めている。それに対抗するにはこちらも、いかにも原始的で粗暴な、いかにもオカルトチックな魔術を使わざるを。……うーん」


 それらしいことを、エリーゼは理屈的な供述をしようとして、しかし途中でどうにも上手い言い回しを考えるのに嫌気を覚えて諦めている。


「アタシがあれやこれやと言っても、そう。これは……そうねえ、言い訳でしかないわ。汚らしいわね」


 自虐的な台詞を言っていながらも、その奥にある言葉には確実に展開を進めることだけの意欲しかない。


「確かにいかにもずるいやり方だけど。でも、先に話を持ちかけてきたのはあなた達のほうで、そうであるならばこちら側の条件も甘んじて受け入れるべき。ねえ、そう思わない?」


 女性魔術師は、エリーゼはキンシに語りかける。


 彼女の性格が一体どういった傾向があるのか、この短期間で何がわかるものか。そう思っていながらもメイは、この女性がらしくなく状況を相手に説き伏せようとしていることに違和感を覚える。


「でも、それだとメイさんが……」


 キンシは首の骨ごと曲げるかのような、それほどに視線を暗く下に向けている。


 そうすることでメイにキンシの、眼鏡の奥にある深い色合いの瞳がメイによく見える。


「キンシちゃん、その……よく分からないけれど、私のことはだいじょうぶ」


 魔術師たちの、一方的とも言い切ることもできない提案。それはきっとなにかしらの犠牲をともなう、行う前と後で変化を余儀なくされることで。

 

 そしてそれは自分に深く関係していることであると、それだけがメイに理解できたことだった。


「ここに来ることは、そしてあの人たちに会うときめたのは私。だからきっとだいじょうぶよ、あなたはどうか心配しないで」


 そのためにこの魔法使いは感情を動かしている、いまにも魔術師たちに掴みかからんとするほどに、しかし自身のてまえ感情に従う訳にもいかない。


「メイさん」


 抑えきれぬ心が腕に熱をもたせ、重さをもって指先に伝わる。


 なにも身に着けていない左手は音もなく握りしめられている、岩石の如く堅牢で頑強な結束は内側の皮膚をおのが詰めで侵害しようとしている。


「ほら、そんなにつよく手を握りしめたら血がでちゃうわよ」


 その上にメイの桃色の爪がそっと重ねられる。


「きおくのけんさく、検索ね……。うん、だんだんと思い出してきたわ」


 自傷行為に近しい風景を見たことによる不快感が、メイの中の魔女としての記憶を呼び覚ましたか。


 あるいは魔法使いがあまりにも自分のことを心配して、思っておもんばかって、言葉こそ静かでも感情はあまりにも激しすぎて。


「知っておられましたか、うん、それもそうですよね、貴女は魔女なんですから」


 これ以上は何をしようとも、自身が何を主張した所で無意味であると。


 他でも無い魔女自身がそう望んでいると、魔法使いはそこでようやく気付かされる。


「貴女が覚悟の上なのに、僕がどうこう言っても仕方がない。ので、少し失礼いたします」


 そう言ってキンシは床に膝をつけて、キンシに両の腕をそっと伸ばしてくる。


「記憶の検索、つまり人間の脳に蓄積された記憶領域を除く魔術は、大きな魔方陣を必要とします。ですので──」


 そのためには店の中を平坦にする必要がある、ろくに動くこともままならぬ自身の体は邪魔でしかなく、そうであるならばせめて安全な場所に、カウンターの辺りにでも安置したい。


 つまりはそう言うことで、メイは何を言うでもなくキンシの腕を受け入れる。


 と、しかしそれでもなにか、なにか言うべきではないかと彼女は思う。


「お店のなかを片づけて、絵をかいて中心にいけにえを。よね」


 魔法使いの顔が、その蛙みたいな色の目があまりにも陰鬱としていたため、メイはせめて相手を元気づけるために軽口を言ってみた。


「そうですね、つまりはそう言うことになるのですよね」


 が、魔女の冗談はキンシの心を晴れやかにすることはなかったのだった。

悲しい予感がします。

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