初期設定からの乖離
花屋の店先に並びましょう。
またしても、つくづくと、お決まりのようにその質問は彼らにとってはあまりにも当たり前すぎていて、基本の内にすら入らないほどに基本的すぎている。
朝の挨拶にお早うと言うことに今更疑問を抱く必要性などないはずなのに、どうしてわざわざそんなことをこの幼女は質問してくるのだろうか。
「そうだね、うん、あー……っと、言葉で色々と説明するよりも、こういうのは実際に実物を見せたほうがはやいかな」
それでもタイミングの悪いことに、聞かれたことにたいしてぞんざいな扱いを決め込めるほど彼らは優しくない心を持ちあわせておらず。
一体どんな言葉を使って説明をしようか、オーギがあれやこれやと頭を悩ませている間に、エミルはいたって単純で直接的な方法を選んでいた。
「君の名前は……メイだったかな。ちょっとこっちを見ておいてくれないか?」
エミルは顔面に新作映画俳優のそれととてもよく似ているスマイルを浮かべ自身の頭部を、傍目に見ればそれなりに完成度の高い顔を指さしている。
「ん?」
俺の顔を見てくれ、つまりはそういう内容の要求をされたメイは不思議がり、次に大部分を怪訝さに染めて、それでも特に疑うこともなしに彼の言うとおりにしてみる。
「お顔を見ていればいいんですか?」
「そう、そのまま視線を固定して……」
エミルはそこで言葉ごと呼吸を軽く止める。
何なのだろう、まさかいまさら自身の顔を覚えてもらうだとか、お見合いの初歩ステージみたいなことをしたいわけでもあるまいし。
大人であり男性魔術師でもある彼の指示に従うまま、メイは見て。
彼の顔から一瞬笑顔が失われ、命令を失った内部の肉は本来あるべき形に。
彼を見て、一回ほどまばたきをしたかもしれない。
意識するまでもない本能的な行為。もしかしたらその間になにか、なにかしらの変化でも起きたのだろうか?
「うわ? わあ! 顔がリボンでぐるぐるに?」
いつの間にかエミルの顔は隠されていて、それはキンシが仕事の時に装着しているゴーグルによく似ている。
薄い布、細長くて艶々と赤色に染色されている布の筋。
それはリボン、のように見える。濃厚で一切の薄れの無い赤色のリボン、それが男性の顔面をグルリと何週も取り巻いている。
「えっと?」
メイは考えようとして、
「……それは、前はちゃんと見えているのかしら」
しかし思考が現実に追いつくはずもなく、自分でも掴み所がよく分からない質問をしてしまっている。
「ばっちり見えとるよ、視界は必要程度に良好だな」
そう言いながらエミルは身に着けたばかりのそれを指で少し調整する。
色の薄い指で眼窩を圧迫している布をまさぐっている、そうしているとまるで監禁被害者がどうにかして視界を確保しようと奮闘しているような、そんな物々しさを想起せずにはいられない。
「視界はいいとして、久しぶりに着けたからちょっと違和感があるな……」
だが本人はいたって普通そうに、それこそ上着の裾を軽く治す程度の気軽さで、顔を隠す道具を自身の納得のいく形に整えている。
「とまあ、こんな感じに」
ちょうど左目の辺りに、聖なる生誕祭の贈り物にラッピングされていそうな形状のリボンが結ばれている、そんなデザインのゴーグルを装着したエミルは、なんともなしにメイの方へ元の笑顔を向けてくる。
「これが仮装で、昔の魔法使い……、その時代はまた別の名称があったんだが、彼らはこうした装いをすることで自身の精神性を高め──」
「え、え?」
丁寧に実践までしてくれて、そこに不満を呈するほどにメイの心情は図々しさを発揮できないでいる。
「ようするになー、顔を隠して戦う相手に秘密を作るっていう行動ですでに、自分の体を使って一つの魔法を作りだすってことなんやって」
ようやく思考がまとまったのか、それとも実践を目の前にしてようやく相応しい言葉を見つけることができたのか。
オーギが結論を結ぼうとして、それでもなお上手い言い回しを思いつけないままに、心許なしと幼女の方をそっと見おろしてくる。
「ふう、む。むう、……すこしわかりかけている、ような気がするわ」
彼らの言葉を待つこともなしに、メイの方もまた行動の影響によって記憶を適切にひらめかせていた。
「正体のいんとく、それによって引き起こされるじしょうのきみつせい……。……それはもしかしたら魔女の魅了技術とちかしいのかもしれないわね」
ブツブツと漏れ出る言葉が唇の端から零れ落ちていく。
「……君は随分と小難しい言葉を使うんだね」
エミルは思わずつぶやいた後で、すぐに自身の意見を己の内で否定する。
「まあ、魔女を自称するくらいだから、それは特に珍しがることでもないか」
見た目に左右される思考回路の矛盾を、からだ一つでそのまま丸ごと証明しているような存在が目の前にいるのだ。
「あなたはどうなの?」
エミルの注目を浴びていることに気付くこともせずに、意識するまでもなくメイはすぐさまオーギに気軽な問いかけをしている。
「え、俺? いや……俺は別に……」
自分の方には矛先が向けられるはずはないと、そう信じきることもできないままに、それでもオーギはどうしても羞恥心を隠しきることができないでいる。
「いいじゃないですか、見せてくださいよ」
メイがいかにも魔女らしくねだり。
「そうそう、減るもんじゃあるまいし」
何故かヒエオラの方が異常に、異様さを感じさせるほどにテンションを昂ぶらせて笑っている。
「いやあ、最初はきな臭いと思っていたけど、こうして昔の慣習を則ってみると途端にかっこよくなっちゃうんだから。ホント、イヤんなるね」
口でこそ否定的な意見を述べているものの、ヒエオラはまるでヒーローショーを目にした子供のそれと同じ輝きで瞳を輝かせている。
「うわあ、センパイその顔どうしたんですか」
彼らが身支度を整えきった頃合いに、ちょうど良くエリーゼの軽薄かつ軽妙な声音が伸びてくる。
「コスプレ? コスプレにしてみたらずいぶんとセンスも完成度も悪いの一点ですねえ」
そういう彼女はすっかり、スッキリきれいさっぱりとした様子で、その表情は快活さによるごく自然な笑顔を浮かべている。
「あー……? ようやくシャワー終わったんか」
時間としては四分ほど合間があったかもしれない、全体じみた広い心をもってしてみれば、どこかで行われている盛大な計画を前にしてみれば、それは砂漠の砂の一粒程度に些細な事柄でしかないのだろう。
「ええ、おかげさまでスッキリしましたよお。ねえ?」
彼女が後ろの辺りで大人しくしている人間に笑いかけている。
「こうして秘密をつくることで……そうすると肉体じたいが魔法としての形質をたもつから……」
そうしている間にも、メイはひとりで事象に対する思考を深めている。
「うわあ、お二人までどうしたんですか……」
各々で自分自身に正直に、勝手な挙動を振りまいている彼女たちと相対して、キンシはどこかぐったりとした様子で光景に対する感想を短く述べる。
「ああ? あー、あんままじまじと見んなや」
後輩に見つめられてオーギが気恥ずかしそうにしている、その顔はなんとも終末思想を予期させるかのような、パンキッシュでクレイジー的要素たっぷりのガスマスクにすっぽりと隠されている。
「メイに着けろ着けろって言われて、仕方なしにやっとるんやて……」
「そんな、恥ずかしがることもないですよ、よく似合ってますよ?」
若さゆえのありあまる体力に頼り、キンシはすぐさま疲労からの回復をはたそうとしている。
「薔薇でも弔いますか」
「やかましいわメガネ、クソ猫耳メガネが」
オーギの睨みに搬送してキンシの耳がぴくりと、以前は乱雑に乱れて居た毛髪に紛れていた聴覚器官のひとつが、図らずして清潔感を得たことによって本来の形を取り戻していた。
そして木を切り倒す。




