リップサービスは止まらない
口先だけだけ
「ンン……? あー……っと、こういう時ってなんて言えばいいんだっけ?」
沈黙はほんの数秒しかなかった、そのはずなのにエミルはずいぶんと久しぶりに言葉を話すかのような慎重さで、ゆっくりと思いつくままの台詞を舌に乗せて、唇を芋虫のようにムニムニと蠢かせる。
「なんかあったろ? 魔法使いの口上みたいなもんが。なんだったっけ?」
彼は魔術師のはずなのに、どうしてわざわざ魔法使い側のことわざを、わざわざこんな所で使おうとしているのか。
「えっと」
理由を考える暇も余裕も、必要性も見いだせないままに、青い視線を向けられたキンシはほぼ反射的に回答を声に発して。
「私たち……僕たち魔法使いは空に生まれず、つめは土を食まず、海底に骨を沈めることもない。僕たちの信じるべきものは石と、水があれば十分」
言っている途中でキンシ自身が誰よりも先んじて、言葉の意味を理解しかねている。
「うんうん」
エミルはキンシの、年恰好の割には低めの声音をしっかり耳で受け取りつつ、
「うん? そんなに長かったかな? まあいいか、ありがとう」
はたしてこの要求にどんな意味があったのか、魔法使いの怪訝な視線を一身に受けつつも、エミル本人はどこか独りよがりに満足げな笑みを浮かべている。
「なんだっていうんです?」
ついにはエリーゼの方までクスクスと不気味さが溢れかえる笑顔で唇を曲げ始めて、キンシはもちろんのこと、この場にいる魔術師以外の人間が皆一様に男女へ怪訝そうな視線を向けている。
「サイコロは投げられちゃった。なんやかんやのんびりしていたら、知らないあいだに事は引き返せない所まで進んでいたってこと」
エリーゼは手にしているスマートフォン、電子媒体を軽く操作して、今しがた閲覧したばかりの動画を即座に別のデータベースに保存する。
「取引は終了だ」
エミルが一方的に突き放すかのような口ぶりで通告する、その視線には笑顔など一欠けらも含まれておらず、表情の変化の激しさにメイは微かなめまいを覚えそうになる。
「俺達は、あー……っと、我々灰城の魔術師は、君たちの要求を全面的に受け入れる」
目的の達成の瞬間、それは現時点の望み、最大の目標に到達するために必要な関門のうちの一つ。
それを突破したことはとにかく喜ばしいこと、そのはずなのに、この胸の虚無感は一体何だというのか。
「ずいぶんと事を急くんだな」
筆舌に出来なさそうな、微妙に鬱屈とした感情で眼鏡の奥の瞳を曇らせているキンシ。
オーギはその頭に手を、指を真っ直ぐのばして。
「……たしかに、この状況じゃあなりふりかまっている場合でもないよな」
伸ばした指は一切の筋力を帯びることもなく、ぐったりと後輩の脳天を覆う毛並みに指の腹はするすると沈んでいく。
「そうなのよお、大問題よお」
エリーゼは依然として軟派な態度を崩そうとしていない。
「まさかねえ、相手側がこんなにも大胆な手を使ってくるなんて思っても見なかったから。あああ……、これはきっと始末書ものです、謝罪文三万文字はくだらない……」
しかし言葉の端々に状況に対する困窮と、これから待ち受ける難事へのおののきが隠しきることすら出来ずに滲みだしている。
「なんや、ようわからんうちに勝手に物事が進んどるようやけど……」
後輩魔法使いの頭を乱雑に毛並みが乱れることもいとわずに、ぐしぐしと掻き乱しているオーギはどうにも要領を得ない表情を浮かべている。
「状況の説明の欠落に関しては、申し訳なく思っていま……ぐえ」
エミルに質問された時とは比べ物にならないほどの滑らかさで、謝罪文を口にしようとした後輩の挙動をオーギは腕の力で阻害する
「ぐええ? 何をなさるんですか先輩、止めてください、それ以上腕を下にしたら僕の首が発芽したての新芽のようになってしまいます」
注視を求める後輩の声、しかしオーギは腕の力を緩めず、そのままの位置で固定を続けている。
「謝罪は聞き飽きたんだよ、そういうのはもう、やることが全部終わって落ち着いてから……、三万文字くらいにまとめやがれ」
それ以上に到達することもなく、一定の安定感のある圧迫感のもとでキンシは頭皮から彼の手の温かさを感じる。
「……そうですね」
確かに彼の、先輩魔法使いの言うとおり、かもしれないと、キンシは思った。
「言葉はもう少し後で、傷をいやしてお腹を満たしたあとに考えればいいんですよね」
「うん? うん、まあ……そういうこった」
相変わらず主要な点ははっきりとしないままに、しかしオーギは後輩の勝手を視線の下で見守るだけにする。
「全ての物語はおわりの三文字へと、はじめたものはおわらせなければならない。そうじゃないと──」
「そうじゃないと? どうなるの」
状況の急展開に身を晒されて、次の展開に身を投じるよりも前のほんの僅かな空白。
どんよりとした沈黙に覆われている魔法使いたちに、エリーゼが妙にはっきりとした問いかけを放り投げてくる。
「え?」
ここでも質問されるとは思っていなかった、それでも二度目ということもあってキンシは先ほどよりも明確な答えを空間に投じることができた。
「ああ、これは……その、さっきの口上の続きみたいなものですよ」
言った後でようやく羞恥心がよみがえってきたのか、キンシは先輩の手を振り払いつつ、しどろもどろに眼鏡の奥の瞳を四方八方にさまよわせている。
「古い言葉です、魔法使いの間でずっと信じられていること。魔法使いにとって大切なこと、それは夏の日差しよりも確実に、生きている体に影響を与え続けている」
「ふうん、詩的ね」
魔法使いは真剣にしている、見栄もしないことに真剣に悩んでいるのを魔術師は少しだけ食うような目つきで眺めていた。
「そんな事はどうでもいいんですよ」
彼女たちが視線を交わしている、その合間を無遠慮に遮るかのような声が情報から振り落とされてくる。
「なに、なになに? 取引は終了したの、していないの、結局どっちなのさ」
連中が声のする方へと振り向く、注目の的はこの店の店主、ヒエオラ殿であった。
「あー、大丈夫大丈夫っすよ綿の旦那、取引なら上手い具合にまとまったんで」
「それは?」ヒエオラは側頭部に生えている薄い色合いの花弁、によく似た器官を指先で軽く揉む。「魔法使い的に良いのか、それとも魔術資産的にグッドグッドなのか、どっちなの?」
「うーん? どっちもどっちって感じ、ですかね」
そんな根本的なことを改めて問いかけられても、なんて本音も言えずにキンシはどうにかしてそれらしい言葉を捻り出す。
「ふうん、ホントかなあ」
キンシの素振りにふざけた様子は見て取れない、にもかかわらず疑りの視線を解除しようとしない店主に、魔法使いは無駄に狼狽をきたさずにはいられなかった。
「なんですかヒエオラさん、なにがそんなに気になるんですか」
どうにも含みのある様子、キンシは机から身を離して少し離れた所、魔術師たちが座っている椅子からみて背後の辺りにある厨房、その中から渋面を覗かせている男性に真意をもとめようとした。
「というより、珍しいですね、ヒエオラさんがこんなにもよそ事に首を突っ込もうとするなんて」
追及のついでと言わんばかりに、むしろ純粋な疑問をぶつけられてヒエオラは少し居心地を悪そうにする。
「他所事っていうか、現時点で真正面に影響を及ぼされているっていうか」
「何ですか、はっきり言ってくださいよ」
キンシに見つめられてヒエオラは体から生えている植物を、その瞳と似たような色合いの葉脈を指でこする。
「ねえキンシよ、取引が終わったってことは、これからカチコミに行くんだろ?」
「ええ、そうですよ」
言葉の使いよう、時代錯誤な言い回しにキンシの背後で戸惑いがさざ波を起こしている。
それにはあえてかまわずヒエオラは思い切って、思ったままの事実を相手たちに伝える。
「これから出かけるっていうのに、そのかっこうは不味くないか? 君たち、血まみれずぶ濡れ泥まみれだよ」
そこでキンシ達はようやく、自身の身なりがかなり雑雑と、それは日のある内に怪物と戦った時の残骸だったり。
あるいはその他の汚れによって、目も当てられないくらいに乱れまくっていること、そのことに気付かされた。
「なにをするか知らないし、魔法や魔術かどうかなんて興味ない。けど、ご飯とシャワーならいくらでも提供するよ?」
言い終わりかけた所で、ヒエオラは一言付け足しておく。
「もちろん、営業時間外限定だけどね」
その場しのぎのお世辞




