関わり合いは綿のような柔らかさ
腹痛
魔法使いと魔術師、彼と彼女とその他諸々が語り合い、睨みを利かせている。
灰笛の片隅にて、別の男女も一つの決着を果たそうとしていた。
「お嬢さん、モアお嬢さん」
とは言うものの、とっくの昔に話すべき事柄はすべて終了を迎え、そこにあるのはこの世の気まずさを煮詰めて練り固めたかのような沈黙ばかり。
「楽しそうにお喋りしているところ申しわけありませんが、そろそろお時間が」
ハリと言う名前の部下を、モアは少しだけ嫌悪感を含ませた表情を浮かべる。
「わかっているわよ。あー……でも、いざ時間が迫るとなると、どうしてもあとから次々と後悔がね」
ハリは少女の言い分に耳をかたむけつつ、それでも平然と業務的な返答だけを行い続ける。
「そんな、閉演前の遊園地に居座るちびっ子みたいなわがままをいわないでください。仕事ですよ、お遊びは終わって、お仕事が始まるのですよ」
口ぶりはいかにも、なにか悩ましい現実に対して困惑しきっているといった、弱者的意見を申し立ててはいるものの。
しかし表情は誤魔化しきれないでいて、楕円形のガラスの奥に輝く卵焼き色の虹彩は肉食獣のそれと同等、同様の輝きを放っている。
「辛い、苦しい、死にたくなって、なにもかも終わらせたくなる、破壊以外の何も望めそうにない。絶望的なお仕事が始まるのですよ、元気に張り切って笑っていきましょう」
「楽しそうね」
これから何をしようと言うのか、椅子の上でなにも出来ないでいるルーフを他所に、男と女はお構いなしに次の行動へと意識を移動させようとしている。
「まあ実際、王様的には今日という日以上に楽しいことなどなさそうとも、思えるけれど」
モアはちらりとルーフに視線を向ける、青色と赤色の輝きが空中でぶつかり合い、それぞれの思惑は交わることもなく別々に墜落をする。
「逃げる訳にも、いかなさそうだな」
計画は既に頭の中で幾度となく繰り返され、そのどれもが最悪の結末に向けて終着を受け入れざるをえなかった。
「そもそも逃げるにしても、どこへ行ったらいいものか………」
いよいよこらえきれずに言葉に漏らしてしまった独白に、ハリがいかにも愉快極まると言った笑みを返してくる。
「逃げるにしても、これから向かうのは地面の下の下ですし、巨大なドリルでも持ってこない限りには」
「は……じゃなくて、ナナセ」
男の軽口に少女が硬質な声音でいましめを差し向ける。
「無駄口を叩かないで、早くしないと約束の時間に遅れるわよ」
台詞だけならまさしく平和的で、この現実の状態にまるで似合っていない。
それでも間違いなく、紛うことなくそれはこの世界、この場所にいる彼らのためだけの言葉であり。
「えーっと? 殿下……」
モアがルーフの方を向いて、もう一度拘束をきつく結ぼうとする。
「なあ、モア」
ただ縛られて、自由を奪われて、それ以外の選択はおおむねすべて不可能でしかない。
ただ、とある一つの方法を除いて。
「その殿下って呼び方、いいかげん止めてくれないか?」
一つうまれた思考から距離をとるために、ルーフはせめてもの反抗を。
「ほう? そうですか……、それは失礼いたしました」
この行動に何の意味があるのか、ルーフ自身にも理解をしかねている。
だけどこのまま何もしないのは、なんというか、それはそれで気が引けるような気がしていて。
「して、なんとお呼びすれば? ぜひとも貴方のご要望にお応えしたいところですが」
モアがじっと自分の方を見ている。表情は柔らかい笑みを湛えつつも、青色の瞳の奥には一切の油断も隙も許さないほどの緊迫感が張り巡らされているのが見て取れる。
「何でもいいよ、そんなの………。普通に名前で、ルーフって呼んでくれれば………」
その通りの意味、ルーフにとってはごく当たり前の要求でしかない。
しかし言われた方はどうやら、どうにもこうにもそんな単純な理屈が通用するわけでもないようであり。
「ええー……いきなりそのようにい、なれなれしい関係になるのはあ、ちょっといくらなんでもお、抵抗がありましてね」
あえて軟派な態度をつくってはいるものの、体でできる表現の奥に秘められた感情では、とても安易に済ますことのできない鬱屈さが見え隠れしている。
「知らねえよ、お前らの都合なんて知ったこっちゃねえんだよ。普通に名前で呼べや」
言いながらの途中で、ふとルーフの中で思い当たる事柄が一つ。そういえばあの男、何かしら意味不明な事ばかり並べ立てていた、あの男性の名前も珍しく自身と同じような名称だったような気がする。
「ちょっとややこしいかもしれないけどよ、でも、いつまでも王子だなんだと呼ばれ続けるのも、いい気分じゃないんだよ」
そう大して珍しい名前でもない、そのはずである。であるのにもかかわらず、とんだ偶然もあったもので。
「でも不思議だ………、あのおっさんの名前もたしか………」
環境の異常性がそうさせたのかもしれない、普段以上に心情と言葉が密接な関係を結んでいる。
「ルーフ、ルーフ君」
彼が疑問を生み出すよりも早く、まるで道への危惧に恐れを抱くかのようにモアは手早く相手の願望を叶えていた。
「ルーフ君、こう呼ばせてもらうわね。これでいいかしら?」
確認の体をとっている、だが実際はそんな生易しいものでもなく、ほとんどは脅迫に近しい響きが強く匂っている。
「ではルーフ君」
彼女にルーフと呼ばれた彼は、すっかり抜け落ちた活力の中で依然として、未だにどこか逃げ道はないか探求し続けている、自身の秘められた意欲に意外性を覚えている。
「これから何か、とんでもないことが待っている。なんて、そのぐらいのことは聡明なる貴方ならすでにお察しでしょうけれど」
モアは彼の目を真っ直ぐ見ようとして、しかしそれすらも上手くできない自分自身に嫌悪感を少しだけ。
「うわー」
彼女がまるで子供のような表情を浮かべながら、おのが探究心のおもむくままに瞳を輝かせている。
その様子をじっと、監視するほどの眼光を込めて見続けている。
メイはこんな場合でも好奇心を働かせることのできる魔術師の、エリーゼの胆力に呆れのような感情を覚えずにはいられない。
「んん、これはこれは、すごいですね」
もぐもぐ。
「いえ、これはあくまでも素人目なんだけど。でも、そうであってもこの輝き……」
もぐもぐ、ごくん。
「間違いなく、本物の」
ぱくっ、もぐもぐもぐ。
「……、魔女の、契約印、ですよ……」
「おい」
後輩魔術師であるエリーゼ、とても忙しそうに口を動かしている彼女に、エミルはどこか白けたような視線を横目で送っている。
「食うか話すか、どっちかにしてくれねえか。行儀が悪いぞ」
魔法使いと魔術師連中、そして魔女一人。その他諸々の会議は進んでいるかのようで、あまり進展は無いようにみられる。
「いやあ、この野菜炒め美味しいっすねー」
先輩の忠告を真面目に受け取るでもなく、エリーゼはにこやかかつ和やかそうに出された料理の感想を調理人に伝える。
「あーそう? 暇だったからありあわせで作ったものだけど、よかったよかった」
長々と店に居座り続けられる、飲食店としてはこれ以上ないというほどに害悪な存在のはず。
にもかかわらず店主であるヒエオラ本人はどこか楽しげに、まるで子供のような活力さえ匂わせて。
「自分の作ったものに何か反応をもらえるのは、いつまでたってもドキドキしちゃうね」
これから何かとんでもないやり取りを行う、そのはずなのに。
「なんとも、変わった店なんだな」
受け入れられている側のはずなのに、自発的に生み出す気まずさによってエミルは笑う以外の表情をつくれないでいる。
「仕方ありません、ここは僕たち魔法使いのたまり場でもありますから」
キンシが聞こえるか聞こえないくらいかの声で、ひっそりと種明かしをする。
「灰笛の一般市民は、時として魔法以上の豪胆さを見せつけますからね」
ぽんぽんペイン




