てふてふてふてふ
ねおきてふてふ
「つまりは詰みってことで、今日もちょうど捜査が行きづまって頭を悩ませていたところに、そこで君たちの一報が、夜も遅くに届いてきたっていう訳で」
夜も遅いうちに連絡したことの是非については、エミル的にはそれでなあなあにしておきたいらしい。
魔法使い側としては、時間のついての礼儀など考えられないくらいに事は切迫を要していた。
そうであってもオーギとしては相手の言葉が肯定をしてくれたことに、幾ばかりか違和感を抱かずにはいられないでいる。
「こちらとしても、同業に近しい間柄からの速報に戸惑い気味で……。あー……っと、ちょっと失礼」
柔和で落ち着きのある、そんな雰囲気の表情を保ったままにエミルは机の下、魔法使い側からでは隠されてみることのできない位置からとある物を一つ取り出す。
「これは、少し小さい。じゃあこれでも、これは大きすぎる。……うん……うん、これだな」
身を屈めながら自分自身と少しだけの問答を行う、さして悩むまでもなくエミルはとある物を選び抜き、そしてそれを魔法使い達にも見えるところへ。
「んん?」
すかさずキンシが反応を見せる、机の上におかれたそれを見る。
家のなか、図書館にいた時と同様、着替える時間も惜しいまま、その顔には二枚の内層が屈折したガラス板しか装着されていない。
「これは、とても素敵なコップですね」
何にも隠されている訳でもなく、視覚矯正用のレンズ越しに細長い瞳孔が机のそれ、どこにでもありそうなガラスのコップに対しての情報をまとめる。
「ああ、この前百今ショップで見つけたもので、いや、値段とかそんなことを考えられないくらいに、使い勝手が良くてな」
そういうのは普通、ためらうほどの高級品を手にした時にこそ使うべきなのではないか? オーギが少し疑問に思ったが、しかしわざわざ口にすることでもないと独りで完結する。
「さて、と……」
エミルは確実に自分の所有物として認識している、いかにも人間じみた目的によって制作された物質に青色の視線を向ける。
優しげとも、あるいは何の感情も込められていない冷たさえも感じさせる。視線は定められたまま、白く大きい量の手がそっと、ゆっくりとした動作で透明な曲線を包み込む。
「うわ」
そこからはもう大して時間もかからない、速さの余りに注目を捧げていたキンシが若干身を反らす程度に驚いた。
「さて、準備完了」
エミルはコップから両手を離す、解放された表面自体は先ほどと同様に、しかし内部にあからさまな変化が生じていた。
「青色ですね」
キンシが興奮気味に上げかけていた腰をそろそろと下に、隣に構えている先輩魔法使いにそっと耳打ちをする。
「ああ、見事なまでに青色だな」
後輩に見たまんまの感想を持ちかけられて、しかしオーギの方もそれ以上の言葉を思いつけないでいる。
「とりあえず、上部に向けて内密の連絡を送っておきたいんで、どうかよろしく」
よろしく、とは? メイはコップの中にある程度の余裕だけを残して、あとはそこから上にかけてなみなみとガラスの内部を満たしている液体について考えを巡らせる。
「送り水の使い方はわかるかしらあ?」
若干小馬鹿にしたようなイントネーションを感じたらしい、キンシがすかさず「ししし、知ってますよ?」と上ずり気味の声で反応している。
その横でメイは新たに登場した単語に、一拍だけ遅れたひらめきに打ちのめされている。
「送り水……、それは魔法の一種で、いにしえの時代に魔導関係者とのあいだでとり行われていた。現代でいうところの、メールだとか携帯電話にひとしい役割を担っていた……」
「あら」
キンシのリアクションに面白味を見出す暇もなく、エリーゼは小さな魔女の呟いた事柄に睫毛をふるりと震わせている。
「すごいわねオチビちゃん、魔法のことにずいぶんと詳しいみたいだわ」
通信技術の発展に追随して衰退の一途を必然的に辿らされた、もうすでにほとんど、絶滅をきたしたに等しいとされている方法の一つ。
若い女性魔術師エリーゼが幼女に対して、そうとしか見えない相手の異様な博識ぶりに驚いている一方。メイとしては今更そんな古典的な連絡手段をわざわざ選択した、いかにも現代のエリートらしき魔術師連中の様子に、怪訝なる疑いを抱かずにはいられないでいる。
「どうしましょうか先輩」
幼い彼女と、もうとっくに幼さを許されなくなった彼女がお互いに疑い、怪しみ合っているさなか。
「僕……これ少し苦手なんですよねえ」
キンシの妙に間延びした声がどうにも場の緊張感を削ぎ落してくる。
「苦手も何も、俺だって見事なまでに経験不足だよ」
自身の経験不足を悔やむこともできずに、オーギは後輩から暗に行動を任せられたことにたいしての方に軽く溜め息を吐いて。
しかしそれでもためらっている場合ではないと、彼も急いで懐から一つの小瓶を取り出す。
「これで問題ないか?」
小さな小瓶、一滴も漏えいを許さんばかりに密閉が施されている。
しかしメイにはほとんど直感に等しい、それは自身の中で前述に組み込まれた記憶に基づいていて、彼の持っている物体が香水と呼ばれるものであると理解する。
それはつまり彼の、オーギと言う名の魔法使いの作った作品、彼の魔法そのもの。
「ほうほう、うん、十分も十分。さあどうぞ」
瓶の中身を確かめるでもなく、エミルはその物体の正体が何ものであるかどうか瞬時に見抜いたらしく。
それまで森林のように落ち着きを保っていた青色の瞳が、ほんの一時キラリと輝いて。コップの中の群青色が手の動きに合わせてタプンタプンと波打つ。
「そいじゃあ、失礼……」
不思議と内容物は一滴も零れることなく、オーギは慣れた手つきで香水瓶の蓋を「ポンッ」と開ける。
密閉から解放をなされ、その瞬間に内部の液体から封印されていた薫香が空気を染め上げる。
傾けられる小瓶、小鳥の嘴ほどに小さな口から重力に従って、無色透明の香水が青い液体めがけて落下をしていく。
そんな高い所から液体をふりかけてしまったら、とメイは遅れて危惧を全身にみなぎらせた。
が、彼女の杞憂はかすりもせずに、青色と透明はどこかしら異常性を感じさえるほどの静寂の中で、トクトクと液体による衝突音だけを空間に満たしている。
「よーし、よしよし」
エミルはもうすでにどこか満足げな雰囲気のもとに、穏やかな視線をコップの内部へ注ぎつつ、手でコップをくるくると回す。
トプトプと、無色透明の香水を含んだ分だけ体積を増やした中身は、限られた空間の中で融合を余儀なくされている。
「っと、ヤベ、紙が無いな……」
そこで決定的な間違いに気づいてしまったと、エミルがこっそり困惑している。
「はいセンパイ」
その横にて、エリーゼがこなれた手つきで一枚の紙片を取り出して、隣の先輩魔術師に差し向ける。
「おっ、気が利くな」エミルは向き合って礼を言う暇も与えず、流れるような手つきで小さな紙片を後輩魔術師から受け取り。
そしてそれをためらうことなくコップのなか、ほんのりと色が薄まった青色に浸け込む。
「?」
さて、それまで自身の存在を否定するかのように身を小さくしていたメイは、それでもこれから行われる魔法的行為に自然と好奇心を働かせずにはいられず。
名前だけは知っていながらも、それが実際に行われるところは見たことが無い。
「? ?」
それは幼い魔女だけでなく、もう一人、眼鏡をかけた若い魔法使いも同様のことだったらしく。
「おお……、紙の形が変わっていく……!」
二人の幼い注目を浴びながら、男性の手の中で紙は青く、その形を変化させていった。
死ぬ間際てふてふ




