いつでも笑顔を忘れないで
ニコニコニコ。
キンシとしては別に特別な意味を持たせたつもりはないのだろう、この魔法使いにはどうにも、他人の嫌な思いを引き寄せる感が少しだけ特別に備わっているらしい。
「なんにせよ、これで都合よく取引のアイテムも手に入れたわけだ」
体の痛みからだいぶ回復し、それでも若干残滓を引きずりつつもオーギがなめらかな動作で腕を伸ばす。
「えっと? この落ちてきたブツはどうすんだ?」
つい先ほど、今しがた自らの体に被害を与えようとしていた残骸を爪先でゴリゴリと。
その辺りでようやく起きた事象の恐ろしさが身を刺しはじめたのか、口調こそ軽快ではあるが瞳の奥には隠しきれない陰りが含まれている。
「問題ありません、あとで清掃と説得をしておきますので……」
「あっそ」
だがしかるべき感情に時間を割くことすらも今は惜しい事であると、オーギは行動によって無言の圧力を周囲にかけている。
「そいじゃ、とりあえずこれはお前が持っていろよな。それがいいんだろ?」
伸ばした腕の先で林檎をキンシの手から取り、それをそのままトゥーイの方へと持っていく。
「ほらよ、落とすんじゃねーぞ」
「お願いしますね、トゥーさん」
二人の魔法使いの視線をその身に受けつつ、トゥーイは相変わらずの無表情のままに差し出されたものを受け取るための行為をする。
「長い木霊は延長される、ああいっそ、蝮の塊でも飲み込むかのように、ですが蛇にこれは相応しくないとは私は思いません」
首元の音声装置からは何かしらの言葉が連続し、意味はそのまま伸ばされた腕によってありのままを表現している。
「さて、さてさてですよ。準備は整いまして、物が大量に備わった所で。ですよ……」
ついに図書館は終わりを告げている、と言っても来た道を戻ってきただけ……。
メイはそう思いたかったのだが、しかし事実はどうにもうまく単純さを受け入れそうになく、何というか来たばかりの道のはずなのに、もうすでに別の世界のように見えるのは気のせいなのか、それとも。
「拉致監禁被害者を探す手がかりが、そのような事件に僕らの魔法が通用するのでしょうか……。現時点で与えられている情報に限定するだけでも、相手は相当に厄介な相手であることが見込めますし」
そんな事をいちいち言葉にする必要もないくらいに、それ自体はこの場にいる全員がすでに嫌気が差すほどに理解していることではある。
だからこそメイは何も言えないでいた。彼女もおおよそにおいてキンシと同じ悩みを、つまりはこの跡は一体何をどうして、どこに検索をかければ、兄の行方について検討をつけることができるのだろうか。
「何回も似たようなことを聞いて悪いが……、本当に何もわからないのか?」
申し訳なさそうに、申し訳程度の前置きの後でオーギがメイにうかがうような視線を向けてくる。
「どこか、組織のエンブレムだとか、そうでなかったら車のナンバーでも何でも……」
「……ごめんなさい、本当に何もわからないの。わからなかったわ」
相手の言いたいこと、彼の求める事柄については何の技術も要することなく、メイ自身にもよくおもんばかることができた。
「本当に、お兄さまを取り戻すためだけ、お兄さまのことだけを考えていて。……実際にたたかうのも初めてで、なにもかもが上手くいかなかった、なにも見ることができなかった」
そこにあったのは激しい怒りと焦燥感、そしてそれらを全て否定するかのように激烈な痛みだけ。
なんの虚偽も含まれていない、それがメイの中に残されていた記録でしかない。
そうであってもこうして声に出してみると、どうしても何か己の至らなさについてい言い訳をしているようで、彼女はやるせなく惨めさに襲われそうになる。
「そうか、そういうことなら……」
いちいち全部を言うまでもなく、オーギは幼女から必要なだけの情報をえられたと素早く判断をつける。
魔法使いの男にじっと見下ろされている格好となっているメイは、てっきり彼は自身の記憶の記憶能力のお粗末具合に、過去の愚行具合に呆れと方策の不明瞭を。
そう思い込みかけたが、しかし彼のほうは彼女の思惑とはまるで異なっており。
「うん、これで決心がついたよ。ありがとうな」
オーギは何かを諦めて、それゆえのどこか爽やかさすら感じさえるほどのすがすがしさで大きく呼吸を一つ。
「それじゃあ、こういう時はこういう時のために、出来ないことは専門家に頼むとしよう」
ありがとうの、いつものオーギの口調からは想起できない程に丁寧な発音の、その意味を彼女が掴むよりも早く、彼はついに図書館から外へ。外の世界へと足を、歩を進めようとする。
「いつもは頼まれる側だから、上手くいくとは思えんが……。それでもやるしかあるめえよ」
と、そこで、そう言えば彼の言葉遣いは時々不思議な引用があるなと。
これはもしかしたらこの土地、灰笛独特の言葉づかいなのかもしれないと、そんなどうでもいい事柄ばかりがメイの頭に生じていた。
「という訳なのでございましてー、それでですねー、我々は必要にかられているという訳なんですよー」
はたして必要があったのかどうか、それは最早自分たちの理解から遠く離れた地点の問題でしかない。
そうと理解出来ていても、理屈がそれで納得できたとしても、はたして感情の方はどうすればよいものか。彼女は常々疑問に思い、考えを巡らせていた。
しかし答えなどどこにも存在していないのが、いまのところ出来得る最大限最良の模範解答でしかない。
「どうにかなりませんかねー」
年齢の若い男魔法使いの、あからさますぎる媚びへつらいを耳にしながら。
もう一人、もっと若い魔法使いは彼の調子に笑いを覚えそうになり、顎を下に向けて声が漏れないように必死に堪えている。
「ふっ、ふふっふ……ひひひ」
「ちょ、キンシちゃん……?」
魔法使いの異常に魔女がいち早く気付く、出来るだけ声を抑えたいと思う反面、どうしても言葉を紡がなくてはならないジレンマに挟み込まれていた。
「す、すみませんメイさん、でもっ……ひひっ」
メイと言う名の魔女の忠告も虚しく、キンシと呼ばれた魔法使いの感情はより一層の興奮度思ってその身をぶるぶると震わせようとしている。
「先生」
ついにはトゥーイですらも眉間にしわを寄せている。その顔には眼帯とマスクが装着させられていて、彼にとっての何時ものお出かけ装備が整えられていた。
「笑みは愚かです」
決して軽装とは言えそうにない、それほどの重苦しさの中でも誤魔化しきれないほどの失跡がトゥーイの、そういう名称の魔法剣士にありありと表されている。
「それででしてねー、あー、その……」
そんな感じの三人を背景に、お世辞にも隠匿しきれているとは言い難い三人の囁き声を背景に魔法使いは。オーギはひんやりと気持ちの悪い汗と共に、ひりつくような怒気を覚えそうになっている。
笑っている場合ではないのだ、考えるまでもない、一体何がそんなにおもしろいというのだ。
そんな事はみんなわかっている、だからこそ腹の内に沸き立つ感情に、まるで自分のそれとは思えそうにない異物感に戸惑い、流され沈み溺れそうになっている。
「ほら、お前からも頼め」
「うふ、ふ……へ?」
舐め腐った態度への徹底的な仕返しと言わんばかりに、オーギが尋常ならざる脅迫力をもって後輩を矢面に立たせる。
「え、えと」
歌劇の如き場面の転換についていけないままに、キンシは人々の注目のもとでほぼ反射的な言葉を繰り出していた。
「そういうわけですので、貴方たちの手助けを、僕たちは求めているのです」
見るも無残な、杜撰でお粗末で、サバンナのように広い心をもってしても肯定的に好意をもてそうにない。
しかし。
「……なるほどな」
相手は、相手の大人はそんな子供たちの態度に眉一つ動かすことなく。
少なくとも外見だけは立派に、状況に対する平静さを均等的に保ち続けていた。
腐った死骸。




