音は穂に落ちて彼女が拾う
つぶつぶつぶ。
「そういわけでして、今日の人間社会文明文化における魔法使いの地位確立には、ちょうど良く世界の敵になってくれる彼らの存在が一役買っている、という訳ですよ」
何をどうしたらそんな結論に、はたして一体いつからそんな話になっていたのだろうか。
もはやメイには何もわからないし、もしかしたらキンシもよく分かっていないのかもしれない。
「それで、結局この林檎がなんだって言うことには……つまり。この図書館は彼方さんの生きた証、それは死骸丸々一つでも、肉や皮や骨の一かけらだってかまわないんです。とにかくかつての世界に生きていた創作物を、他人の意識を残し、それをまとめて煮詰めてとある装置で抽出した。えー……ああ、その……」
まとめようとしている、自分のためにしようとしてくれている。その時ばかりはメイにも、キンシと言う名の魔法使いの思考と移行をほぼ完ぺきに近い形として読み取り、察することができていた。
だいぶ長話になってしまった、もしかしたら、もしかしなくても当の本人はこんなにも長丁場を見込んでいたわけではなかったのだろう。
軽く、魚を揚げる程度に軽く済ませるつもりだったのが、どうしてこんなにもくどく脂ぎったものになってしまったのか。
「えーっと、だからですね。その、えっと……」
きっと本人にもよく分かっておらず、現在進行形で意味不明が急ピッチで建立せしめている。
「うん、もういいのよ、キンシちゃん」
しかし今はそんな事に力を、労力を割いている場合ではないことは誰が言うでもなく、皆が共通して理解していることではある。
「此処のことについて、それが一体なにで……。あなたが何を望んで魔法使いになったのかも」
メイと名乗る、他の誰でもなくこの世界でいちばんに愛している男にそう呼ばれている、彼女は魔法使いのことをじっと、何一つとして見逃さないようにじっと見つめる。
「この世界にあるありとあらゆる創作物を、他人の手によって紡がれた結果を、小説を、絵本を、漫画を、芸術芸術アートをたくさん。……たくさんたくさん、とにかくたくさん。集めて残して、次に、何時かそれらをもとめる誰かに伝えるために。誰にも忘れられないように」
キンシは林檎を見ようとしている、だがその視線は赤色を通り抜けてもっと別の、ここにはいない誰かに向けられている。
「それが彼、つまりは先代のキンシさんがボクに遺したたった一つの目的で、つまりはそれが今僕に出来る、叶えられる唯一の願いなんです」
キンシは笑っている、笑顔はとても整っており、そこには一切の隙間もなく一つ一つの筋が表情をつくるために全ての脈動を行為のために捧げている。
「彼女はその目的を達成するための、強烈かつ強固な間柄にある協力者なんですよ」
「彼女、……彼女」
また彼女だ、いったいどこの誰の、どんな奇特な女がこんなとんでもなく怪しい、もとい不思議が半数を占めて途方は果てしなく遠い彼方にかすむ。
そんな計画に協力しているというのだろう。
「彼女っていったい何者なの? まさか……」
「なんだ、あんた見たんじゃないのか?」
次の言葉をためらっていた、確信に近い直感はさっきからずっと胸の内に蚊柱のようにしつこくざわめいていた。
無意識が周知を獲物を捕らえた蛇の胴体のように、存在しない鱗の一枚一枚を確実に内部へ渦巻いて巻き込もうとしている。
「部屋にはいれたんだろ、そうでなくても、あんたなら此処の全体の雰囲気でなんとなくわかるもんだと、てっきり俺は思っていたんだが」
しかし赤の他人の幼女の、今日会ったばかりの魔女の迷いなど知ったことかと。
オーギはあえて相手に遠慮も、情けも容赦もしないで知っている事実を情報として伝える。
「キンシ坊とトイ坊の作業部屋に生えていただろ? 一本の、それなりに大きくて立派で太めの木が」
聴覚が、髪の毛にもヘッドホンにも守られていない、なにも遮るものがない聴覚器官が、赤色の花びらを微かに震わせながら空中に伸びる音声を一つとして零すことなく。
音は言葉として、事実を脳が受け止めている。
「あの木があれだよ、こいつらにとっては今のところ何よりもありがたい、大事な大事な協力者である女」
まさか、あれは間違いなく植物で、植物以外の何ものでもない。もしかしたら中から水が噴水のように溢れだしたりだとか、不思議や不可解の可能性など微塵も感じられない。
確認できない、あれはただの木で、そうでなかったら一体何だというのだ。
「女、……だったものの残骸、残りカスと言った方がいいんかな……?」
反論は堰を切ったように溢れて、いったいこの矮小なる体のどこにそのような熱量が残されていたというのか、彼女自身にも理解しかねる激しさをもって猛り狂っている。
「おかしいわよ……そんなの、だって、いくらなんでも」
少しでも気を抜けば何か、何かしらのとてつもなくどうしようもない、ろくでもない台詞をこぼしてしまいそうで、メイは必死になけなしの自制心の尻を皮がめくれそうなほどに、そんな感じににびしびしとムチ打つ。
「あれはどう見ても人間じゃない、動物ですらない、ふつうの植物だったじゃない!」
思わず声を荒げてしまう、いまさら動揺することでもないと、メイの中のよそよそしい感情が呆れ果てて居る。
「普通、……普通かあ。きっと彼女に言ったら喜びますよ、ねえ? トゥーさん」
さも嬉しいことを聞いたかのように、キンシは近くに立っているトゥーイに軽やかな同調を求めた。
「一匹だけ仲間外れ、もっと醜いもっとも醜い、私の脳味噌の中では回転は止まずにそれはとても感動すべきなのでしょう」
どうやらとても興奮しているらしい、トゥーイはかつてにないほどに感情を動かしていて、それは傍から見れば少しばかり、心なしか鼻呼吸が荒くなっている程度の、些細な変化でしかない。
しかしこの場にいる人間全員には十分すぎるほどに異常な状態で、メイはとにかく動揺する心と肉体的に荒ぶる心臓を鎮めるために口で深呼吸を重ねることのみに集中力を割く。
「大丈夫ですか、またご気分が悪いなら……」
繰り返す酸素と二酸化炭素の循環の内に自然と丸まった背中、それを窺いつつキンシが物を持ち上げるためのポージングをメイに見える位置で構えている。
「ううん、いいのよ、私の体は大丈夫だけど……」
正直体が痛いだとか辛いだとか、本来は何よりも一番に重要視すべきこと、命にかかわることがどうしてこんなにも思考の前では枯れ木のように無力になってしまうのか。思えば不思議な事である。
「その……彼女は……、その人は大丈夫なの?」
「大丈夫、と申しますと?」
キンシは問われた事の真意がいまいち掴めずに、構えたままになっている手を所なさげに宙で握りしめている。
指の動き、しっかりと人間らしい形を保っていながら、しかしそれは間違いなく自身とは異なる個体の肉体でしかない。
「あんな状態で、あんな所で、あの人は本当に」
問いかけてどうするというのか、もし仮にあれが、あの木が自分と近しい存在だとして、それを確認して何になるというのだろうか。
目的もなく、標も用意されていない言葉は夏の終わりの羽虫のように力なく地面に落ちて。
「ああ、ええ……そうですね。彼女なら大丈夫だと、僕は思っていますよ」
だけどキンシは彼女の声を聞き逃さなかった。
恐れる魔女の言葉を一粒も残さないよう、己に与えられて残されたものをためらうことなく言葉にする。
「彼女がそう言ったんですから、そう残して、残されたことを信じ続けるのも。僕にはそれしか出来ませんから……」
ジェリービーンズがお好き。




