流行りものにはゴマをする
ムーブメント。
次の瞬間にルーフの体にはとてつもなく、絶対的に許容し難い不快感が皮膚を駆け巡り、肉を浸透して骨を、神経を直接撫でまわしているような。
そんな不快感の中で、ルーフの耳元に男の低い声が湿り気と共に耳管へ侵入してくる。
「一服も心ゆくまで終わった所ですし、ここいらでちょいと素敵なお話でもしましょうか」
真面目さはなく、圧倒的な不真面目。言葉の隅々に軽薄が満ち満ちて、その中には軽蔑すらも匂わせている。
そんなマイナス思考をもよおしている少年に構うことなく、ハリは手前勝手な挙動で上司の解説をなかば奪う形で強引に引き継ぐ。
「しかしまずはなにを話したら良いものか、愚かなるボクは全く目測がつきませんので、とっても困り果てていますよ」
うきうきとした様子でモアとルーフの間、設置されている机に顔を寄せて笑っている。
見た目だけ、挙動だけを見れば男女の間に無遠慮さをもって割り込む第三者のようで、しかし到底そのような軽々しさなど存在していないのだろうと、この場にいる全部の人間が示し合せるまでもなく知っている。
「ねえねえ、お嬢さん、僕は何をしたら良いのでしょうか? 良いという事になるのでしょうか?」
命令文であると、他人に命令を求める言葉がそれに類するのかルーフには解らなかったが、それでも要求の形としてはそれ以外の何ものでもないだろうと、そう思う。
「そうねえ、まずはこの世界のシンボルについて簡単に説明してごらんさないな」
彼女としては今更こんな当たり前な事を逐一説明する気にもなれないのか、指示の中には隠しきれないぞんざいさを匂わせている。
もしくは相手に心を許しているがゆえの扱いか、ルーフは唇の内側であれやこれやと想像を巡らせている。
「なるほど、じゃあまずはこの灰笛の城、灰城と栄えあるアゲハ一族についての歴史から紐解いて……」
「違う、それじゃない」
少女と男はかみ合わない会話の整合性を取り繕い合っている。
「ほら、アレと言ったらアレでしょう?」
要領を得ない生徒にゆっくりと、あくまでも自主性を尊重するという名目のもとに答えへの道筋を導き出そうとする教師のような。
「ああ、そうでしたねそうでしたね。ボクとしたことが、すっかり彼女のことを忘れかけていました」
一定した笑顔、変化の無い肉の動きはもうすでに何の意味も見いだせそうにない。
少なくともルーフの目には無表情と大して変わりの無い、そんな顔のままでハリは上司からの指示に素直に従う形をとる。
「えっと? わが街の象徴ともとれる天空の魔力鉱物の鉱床について、王子様はどれだけの情報をご存じで?」
すらすらと口から吐いて出でる、言葉は滑らかなはずなのにどこか抑揚に欠けているため、ルーフは最初それが自分に向けて放たれた質問文であることに気付けなかった。
「え、あっと………、いや………俺は何も知らねえよ」
内容も別段なにかしらの虚構や脚色を加えるべきかどうか、そのような施策を巡らせる必要性も感じられなかったため、ルーフはとりあえず思ったままのことを口にしてみる。
「知っているはずもない、俺はあんなのを今まで一度も見たことがない」
記憶、脳が保持している記録にそくした答え。それには間違いない、それぐらいのことは自信をもっていると思いたい。
「ふむ、なるほど」
机につっぷすかのような格好、どんなに頑張って好意的に見たとしても、どうしても腹部の辺りに息苦しさを覚えそうな。
そんな恰好のままに、ハリは少年の答えをゆっくりと美食を堪能する人間のように言葉を味わっている。
「確かに、知識を全く持っていないという点において、王子の答えは非常に適正と言えましょう」
何も知らない状態であったとしても、男が自分の答えに納得をしている訳ではないと、ルーフは椅子の上でそれとなく察っせられる。
「何だよ………」
だからこそ、彼はにやにやと笑う大人の姿に苛立ちを覚えずにはいられない。
「なんも間違ったことはいっとらへんやろが」
相手の不機嫌を素早く察知したハリは、膝を床に着けたままの格好で弁明のジェスチャーをぶんぶんと振り回す。
「いえいえ、いーえ。なにもあなたの意見を否定するだとか、決してそのような不遜を働こうとは思っておりませんよ、誓って」
歯切れの悪い倒置法の後にハリは少年の思う疑問について、つまりは自身の問いかけに対する模範解答を自前で用意する。
「魔力鉱床、それらを発生させる要因は大きく三つに分けられる訳ですが」
いきなり何が始まるというのか、ちょうど男が背後から外れたのだから、このまま椅子やら机やらを突き飛ばして逃げようかどうか。
と、色々考えた所で最終的にすでに導き出した答えに落ち着いてしまう。
「まず最初に地面、敷き詰められたアスファルトとその下に潜む土。それよりももっと深くにある、巨大な岩盤が動き、歪むときの余りに、あまりにも巨大で強大な力が「水」に……。あ、「水」についてはご存知ですかね?」
ハリはルーフに問いかける。しかし少年の方は目の前の男にどうやったら精一杯の、心のこもった悪意を向けられるのか、それ以外のことは考えられなくなっていたため、質問に答えられるはずもなかった。
「うん、もう面倒くさいな。わざわざ「水」について説明しなくちゃならないなんて」
「じゃあ、さっさと要点だけ伝えろよ、まどろっこしい………」
しまった、余計な事を。語尾がスルスルと喉の奥から遠ざかっていく音を耳にしながら、ルーフは雷撃に打たれるかのような後悔を味わっている。
「なるほど、たしかに! 貴重なご意見ありがとうございます」
表情に変化は見られない、にこにこ顔のまま、何かしらの反応を示すことなくハリは少年の要望に応えようとする。
「そうですね、ボクの悪い癖です。何事においてもまずワンテンポおかないと、なにも出来ない、この世界を歩くことすらできない」
いくらなんでもその言いかたはオーバーではないか、ルーフが疑問に思っている他所でモアがクスクスと小さく笑うのが聞こえてくる。
「今こうして話している時点で、助長が過ぎることにどうして気付かないのかしらね」
どうやら彼女は男のことを小馬鹿にしているらしい。
そんな無謀なことをしても大丈夫なのか、ルーフの不安を他所にハリはさっさと本題に侵入をしようとする。
「さて、何でしたっけね……。ああ、そうでした、彼方さんについての事柄でしたね」
情報の多さに割と本気で忘却しかけていたのか、ハリは一つ一つの言葉を丁寧そうに、発音よく溶けかけのバニラクリームのような滑らかさで音声に変換していく。
「要するに彼らは元人間なんですよ」
だが内容は許されない、とてもじゃないが甘みなど感じられそうにない。
「あ、え」
呼吸のつもりで開いたはずの、この部屋の植物の多さによるものか、若干鼻が詰まっているため口呼吸をするつもりだった。
そのはずの唇から意識の外へと声が零れ落ちている、ルーフはそれを頬肉越しの耳の穴で聞いていた。
「はあ」
「そうなのよね、あの人たちも昔は人間だったのかもしれないのよね。知らないけど」
音のついででしかなかった、それだけのはずなのにモアとしては少年がその事実をすんなりと許容したものだと、そう思えているらしい。
「まあ、実際に異世界から直接この世界に転生、及び転移を果たした個体はなかなかにいない、まさしく星五つか六つかぐらいのレアキャラクター、という事になるのかしらね。その辺どうなのかしら?」
少女は慣れない言い回しをしようとしている、それが誰のために、誰に向けたものなのかは分からないし、目の前にいるルーフにとってはゴミあくたほどにどうでもよかった。
流行ファッション。




