後ろの正面に真実が転がっている
籠目籠目
「物事には立ち入れない、立ち入ってはいけない、そんなことがそれなりに沢山あると、ワタシは常々思っているのよね」
もうすでに十分冷め切っていると思わしき緑茶を両手に、しかしモアは未だにそれを口に含もうとせずに長いまつげの先を机の方に向けている。
「でも、あれよね。気になることを無視し続ける、それを強要して許容するのもまた、この町にとっても、そして彼女にとっても喜ばしくない事柄なのでしょうね」
「なにが言いたいんだ」
所なさげ、少なくとも外見上はそういった感情表現を行おうとしている。そんな相手を机の向こうに定めて、ルーフは今のところは椅子の上に大人しく腰を落ち着かせていた。
なんといってもここは敵の本拠地、そのうえ自身の背後には恐ろしく、悍ましき戦闘マッシーンが舌なめずりをして監視を行っているのだ。
こんな状況では何もできない、蛇や鷹に睨まれるよりも遥か上をいく絶望的状況。
それがこの短い時間の中で彼が得た答えであり、きっと少女の方も彼の心境をいち早く察知しているのだろう。
ふむふむと、音の無いうなずきを微かに。白く長い指の間にある湯呑で温度を測りながら、モアはそこでようやく中身の液体を思う存分楽しみ始める。
「はあ、水分補給」
簡単な行動報告の後に、彼女は早速相手の望むべき行動を開始した。
「突然ですが、殿下はこの町についてどんな感想を抱いておられるのでしょうか?」
「は? 何だよいきなり」
唐突に感想文を求められる、話の脈絡の無さに最初こそ呆れと傍観的な無関心を抱きかけた。
だがしかし、質問者の様子を見てルーフは即座に考えを改めることになる。
「なにも、深く考えないで。思ったままのご感想をどうぞよろしく」
言葉こそ軽薄で、それ自体には何の力も込められていないように見える。
少なくとも言葉だけは、しかしルーフは地震と対面している人間の様子、それは表情であったり、あるいはほんの少しの体の動きでも。
とにかく何でも、よくわからない領域の中において、ルーフは少女が決して表面上だけの空虚な質問をしている訳では、決してないということだけ。
それだけを察知する。
「別に、なんとも………」
だから、という訳でもなく、別段隠すことでも無しとルーフは少女の言うとおりにしてみる。
「変な所だとは思うよ、今まで静かで………とりあえず平和な所でずっと暮らしてきたから。だから、こんなに音と人が溢れている所は、どうにも落ち着けねえや」
他人に向けて自身の感想を述べてみる、特に珍しくもなんともない行為のように思われる。しかしこうして実際に行動してみると、その難しさにルーフは早くも困窮しかけてくる。
「あとは、………そうだな、なにがあったか」
「何でもいいのよ」
口籠る少年に対し何故はモアは食い気味に、おおよそ回答に困るしかない要求を口にしている。
今度は彼女の方が机の向こうに身を乗り出しそうになっている、ルーフはその様子に戸惑いつつ、なにかここでそれらしいことを言わないと何かしらの気概でも加えられるのではないか。
「ああ、そう言えば」
正体の無い恐怖心に急かされつつ、彼はとにかくこの町について、灰笛について自分の持ちあわせている情報を提示するしかなかった。
「怪物? 化物? 来て早々にアレに襲われた時は、流石にこの町に滞在するのを諦めかけたな………」
ハッキリ言ってしまえばこれは嘘である、かと言ってまっとうに、純粋に虚偽の無いようでもないのが困りどころでもある。
「ほうほう、ほう!」
梟の擬音みたいな掛け声のもと、モアは彼の供述に若干オーバーともとれる反応をしてきた。
「彼の者どもに遭遇するとは、しかも密接な関わり合いが出来ていたとは。いやはや、さすが殿下ですね。まったく、ワタシは感服いたしますよ」
一体何がそんなにすごいのか、理解できるはずもなくルーフはそのまま思考を言葉に接着させていく。
「それで、あのよくわからない生き物? ………生き物なのか、あれは一体何なんだ」
必要性の無い賞賛を回避するために、ルーフは本来の流れに会話を逸らすことにする。
「この町に住んでいる奴らは、毎日あんなおっかねえ奴らと戦っているのか?」
前々から気にはなっていて、いまさらこんな不安をほじくり返すとは思いもよらなかった。
彼としてはほんの冗談のつもりだった、だが彼の予想以上にモアは顔面に神妙な様子を漂わせている。
「そうですね……、住人の日々の生活に被害が及ぼされていることは、我々としてもとても心痛に思うところよね」
それは少女が自分自身の言い聞かせているような、そんな含みを持たせている。
「何だよ、いきなり主語がでかくなってきたな」
相手が何を思って、何に対して思い悩んでいるのか。
そんな事を思いやるなんて、それこそ無意味であると。
「さて、ここで殿下にご質問をしようと思います」
思考を読み取る以前に、モアは少年に向けて突然のクエスチョンを差し向けてきた。
「灰笛の人々を日夜苦しめている、あのモンスターたちはどうしてこの世界に存在しているのでしょうか?」
知らない、それ以外の回答は見つけられそうにない。
考えるまでもなく彼が答えようとしている、それよりも早くモアは質問に質問を重ねていこうとしている。
「魔法使い、および魔術師は毎日、毎日毎日、飽きることなく彼らを討伐し、殲滅し、殺害を繰り返している。それなのに、彼らは未だに絶滅の雰囲気を漂わせることなく、平然とこの世界にのさばり続けている。これは一体、どういうことなのかな?」
「なにが………? 何を言おうとしている」
少女から放たれる異様な雰囲気、花の奥の粘膜をピリピリと焼き付けるかのような感覚に、ルーフは戸惑いを隠せないでいる。
「いえいえ、なんでもないのよ。ただ単に、卵が先か鶏が先かって話で」
一気に情報を与えてしまえば逆に相手が混乱してしまうと、彼女はそう考えているらしい。
そしてそのもくろみは事実、少年にとってもっともらしい判断でもあった。
「あの化け物は、その、魔法使い共と何か深い関係があるとか。まさかそんなことを言うんじゃ」
あえて最悪の予想を前に設置して、それで何がしたかったのだろう?
予防、防災に近い感覚だったのか。
「おお、なるほど、なるほど。そういう言い方も、無きにしも非ず、ね」
だが結局最悪の予想はドンピシャに、少女は少年に許されざる事柄を説明する。
「彼らは結局、かつての世界からこの世界へ、人間らしく人間の作る作品にどうしようもなく惹きつけられて。まるで餌におびきだされてしまうんだから」
おもむろに両の指を組む、少女の動きをルーフの眼球はどこか、鮮烈さを感じさえる感覚の中で受け止めている。
「おい」
冷たい汗が体のどこかを伝い、落ちて、肉の間に回帰することなく布の隙間に吸い込まれていく。
「まさか………、あの、あいつらって………」
これ以上は言いたくない、と、考えてみたところで意識は獰猛さを感じさせるまでの真正直さで、その軍靴を止めようとしない。
もう一度、あと少し、少しでも唇を、その奥にある柔らかでヌラヌラとした舌を動かせば。
答えはそこにある、もう手を伸ばす必要もないくらいに近付いている。
だけど? その後はどうすればいいのだろう。答えを見つけて、その時の感情は一体誰に向ければ。
共感も同調も出来ない、一人ぼっちで持て余すにはあまりにも重い。真実を実在のものとして、はたして自分にそんな勇気があるというのか。
だけど言葉は止まらない、留めるにはあまりにも存在感がありすぎている。
「それ以上はいけません、なんて言葉を期待していますか?」
だからなのか、そうは思いたくはなかったが。しかし、ルーフは背後から降り落ちてくる男の声に、この瞬間だけはあたたかな救いを見出さずにはいられなかった。
かごの中の鳥




