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アングリーがお口をあんぐり

ニヒリストを謳う

 それは林檎であった、赤くて丸くて甘そうな、林檎以外の何ものでもない。それ以上でも以下でもない。


 トゥーイ右手の中に一つの、青年の手の平の中に収まる程度の大きさの林檎が存在している。


 滑らかな表面は左右対称に均整がとれていて、まるで高級食品店に陳列されている目玉商品のようで。


 美しく、整合性があって、それ故にどこか作り物めいた軽薄さすら感じさせるようで。


 ようで……、考えかけた事柄が不意にメイの思考をその場に留めようとする。


「リンゴ、リンゴ……じゃない? なにそれ」


 それは林檎に間違いない、形としてはそれ以外の何にも例えようが無く、わざわざその事実に疑いを持つこと自体くだらないのに。


 そのはずなのに、この違和感は一体。


「おやおや、これはまた」


 硝子の壁に閉じ込められた鉱物が放つ光の下、ツヤツヤと反射光を放つ丸みを見て、キンシは眼鏡を指で軽くいじくっている。


「今日は本当に、珍しいことばかり起きますね」


 まるでどこかの夢物語のよう、そんな事を呟きながらキンシはトゥーイの手の中から林檎を、そう見えている物体を軽々と摘み上げる。


 左手、指の隙間ですら妥協しないほどに赤黒い模様がはびこっている、その色と林檎の赤色がメイにとっては異様に強調的に見えている。


「あら?」


 と、その動作を観察する中で気付いたことが。 

 なぜ、どうして最初に気付けなかったのだろう。その林檎はたしかに、いかにも林檎らしい形と色合いと、そして存在感と香りを放っている。


 だがどこか違和感のあるデザイン、なんといってもその実と、実の本体である樹木を結合させていたはずの部分。


 麻ひものように頼りなさそうな、その部部は本来黒々としているはずで、そうでなくとも茶色だったり緑色だったり、その色をしているはず。


 そのはずなのに、メイが驚いているその向こうでキンシは林檎を、果実の中心点から伸びる白色を平然と摘まむ。


 道理で違和感が拭えないと思っていたそれは、やはりというか当然というべきか、およそこの世界に広く繁殖している同類の果実とは大きく異なる性質をもっている。


 それは茎の白さだけに限定されている訳ではないと、もうここまでこれば幼い魔女でも容易に想像できてしまう。


「それにしてもいつの間に花をつけていたのでしょう? いやはや、状況の急速がもたらす効果と言うのは、いつもいつも予測が出来やしないので、困っちゃいますね」


 喜んでいるらしい、それだけは魔女にも理解できる。


 しかし魔女の理解はそれ以上先へと進められず、キンシと言う名の魔法使いは独りで勝手に自らの興奮具合を楽しむかのように。


 手にした林檎らしき物体を上の方へ、魔力鉱物ランプの静かな照明の下にかざした。


 太陽に手を向けた時と同じくらいに鮮やかな、赤色が林檎を通してキンシの頬を染めている。


「ねえねえ、キンシちゃん」


 先ほど踏みしめたルートからはそこし外して、目測だけでも安全と思える本棚を踏みながら、メイの視線は魔法使いの指の中に集中している。


「それは、一体なにかしら?」


 天高く、しかし実際の天はそこに存在しておらず、あるのは延々と続く暗い書棚ばかり。


 だがそれでも上方には変わりなく、実際にはごく自然な身のこなしでしかなかったが、しかしメイの視界ではどうにも、嫌にゆっくりとしたスピードで魔法使いが彼女に手の中の者を見せつけてくる。


「さわっても、大丈夫かしら」


「ええ、どうぞどうぞ。どなたでも遠慮はいりません」


 魔法使いの軽々しい推奨を耳に流し、メイははやる気持ちを何とか抑え込みつつ目的のものに肌を触れ合せてみる。


 冷たい、まず最初にそう思った。冷たくて、感触は内部の果肉を期待させるほどに硬度を保っている。


 触れるだけ、あとは何も興味などない。建前としてはそれで納得できるが、好奇心は全くもって方向性が異なってしまうもの。


 世の常、世界に多く流布しているお約束事に身を任せ、いつの間にかメイはその林檎を自身の手中に抱え込んでいた。


「重たい……けっこう重たいわね」


 これで人間の頭蓋骨か、あるいはとれたての心臓ほどの重さでもあれば。

 

 ……いや、そのどちらもメイは実際に体感したことなどないのだが、しかし、そのぐらいのインパクトさえあればもう少し、ちゃんとした、しかるべき驚愕を抱けると思っていた。


 だが。


「どうですか? メイさん」


「うん、いかにもリンゴらしい重さがある、わね」


 言葉ではいくらでもそれっぽい言い訳が出来る、出来るが、しかし実際の感情がそれに寄り添っているとは限らない。


「えっと、その、えっと……美味しそうなリンゴ?」


 ここまで来てしまったら、直に触れて感じ取ってしまえば、もう何も申し立てることができなくなる。


 こんな、この林檎は一体? 最初の方こそどこか好意的に、自身の常識に則した思い込みが出来ていたのに。


 メイは素早く二回ほど瞬きをしてみる。涙の攪拌(かくはん)と循環によってクリアを取り戻した視界の中で、林檎は変化なく存在を続けている。


「そうですよねえ、とっても美味しそうですよねえ。いやあ、メイさんがご理解のある女性で、僕はとっても嬉しい、感謝感激雨あられですよ」


「ええ、ええ……私もうれしい」


 こんな所で協調と同調を図ってどうする、メイの中で本音と言う名の無意識が抗議の旗を振り回してた。


 必死になって捻り出そうとしている言葉を真っ向から否定するかのように、魔女の手の中にある林檎はその表面を、植物の性質からはおよそかけ離れている脈動を続けて。


 それはどこか既視感がある、ああそうだ、ミルクをいれたコーヒーのようだと、メイは納得の中に針のような悲しさを覚える。


 うねうねと赤色は明暗の中を渦巻いて、それでも表面は平然とした平坦さのままに、己の唯一のアイデンティティーを哀愁のもとに保持している。


「宝石ですよ」


 キンシがなんのことを言っているのか、やっぱりメイには全く解らなかった。


「そうですね、ちょうど今日の僕たちの仕事現場が深く関係しているのが、なんとも都合が良いと言いますか……。とにかく」


 魔女に手渡したそれ、林檎に何となく似ているようで、本当は一切似ていやしない物体を再び自分の手中に収める。


 そしてキンシはそれをそのまま、どこか誇らしげに握りしめて、メイに堂々と見せつけた。


「この図書館全体に所蔵された情報体、それを中心の樹木が吸い上げ、圧縮濃縮、抽出した結晶体。それがこの林檎! という訳です」


 高らかに口びくは動き、言葉は後を引くことなく空気に溶ける。


「……」


 まさかそれだけで、この物体についての説明が終わるのではあるまいか。


 メイの中に嫌な予感が駆け巡る、こういう感覚だけは妙なまでに現実と仲良く寄り添うものなのだから、全く、たまったものではない。


「つまり、は……その、こう言うことかしら?」


 それでもこのまま会話が終了さえしていれば、もしもここにいる体が自分でなかったとしたら、それはそれでいい具合にまとまっていたのだろう。


 だが彼女がそれを許せるはずもなかった、なんといっても彼女は魔女として、魔女になるために生まれたのだから。


「あなたたち魔法使いがつくる情報体、ここではやっぱり本、と言うことになるのかしら? ここはたんなる図書館じゃなくて、本当の目的は、その高純度の魔力鉱物を生成するための。いわば……えっと……」


 だけど上手く言葉が見つからない、言葉に何の意味があるというのか、彼女には何も説明できなかった。


 説明できないから魔法なんです、ともしもこの場にいる誰かが言ったとしたら。そしたらきっと誰かが怒ったに違いない。

神様は語れない。

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