知恵の実をあげましょう
放置すると茶色くなる。
最後の方の自問自答が聞こえたのかどうか、判断はつけ難いにしても、魔法使い連中は魔女の供述に興味深く吟味をしている。
「刃物ですって、これは益々にますますですよオーギ先輩」
「落ち着けよ、まだ断定するのには早すぎる」
興奮気味になっているのは間違いなく、それが恐怖によるものなのか、あるいは別の感情によるものなのか。
どちらにせよ眼鏡の奥の瞳を爛々とさせている後輩魔法使いに対し、オーギは眉間にしわを寄せて渋面を作っている。
「それで、その武器はどんなだったのか、も少し詳しいことを思い出せないか」
彼もまた名と視線を合わせようとしてくれて、背中を少し苦しそうに前屈させてきている。
「んん? これ以上はとくに、言うことも……。うーん」
一体何を期待しているのだろうか、むしろ何か怖いものを、おぞましい怪物にの存在を確認する探検家のような慎重さがはびこっている。
「そうねえ、これはただの感想でしかないのだけれど……」
言葉を期待している相手に沈黙を差し向けるのも気が引けて、メイはどうにかして己の内に残されている情報をほじくり出そうとしてみる。
「あの大人、むかしのお屋敷ではたらいていた女の人が来ていたような、黒いワンピースを着ていた人の持っていた武器は、とても。……とてもきれいだったわ」
散々この体を切り付けて、少しすすいだだけでは誤魔化しようのない汚れやら油を吸い込んだはず。
そのはずなのに、あの刃はどうしてあんなにも綺麗で、新鮮な白骨のような輝きのままに雨に濡れていたのだろう。
「そうか、いや、どうもな」
もっと深く記憶を探ろうとしているメイを他所に、オーギは指で毛髪を揉みこみながら歯の隙間から空気漏れのような音を吐き出している。
「えっと、うん」
相手にしてみればこれで会話は終了で、さっさと次の行動へと、展開に意識を向けるべきであって、それ以外のことなど考えたくもないのかもしれなかった。
だがメイはそれで納得できるはずもなく、聞いてほしくはないのだろうと何となく、前述の雰囲気から察せられるにしても。
「あの、もしかしてあなた、あの二人組についてなにか、私の知らないことを知っているのかしら」
そうであろうとも、己の疑問から目を逸らすことも出来まいと。
「私のほうは、できるだけ本当のことを教えたわ。こんどはあなたの知っていることを、教えてくれないかしら」
懇願とまでは行かない、しかし要求と扱うこともできない、それは詰問に近しい言葉づかいだった。
「うん? うーん」
紅緋色の円形に凝視されている、オーギは単純に他人の視線に対しての不快感の中で、逆らい難い気まずさに苛まれかけている。
「いや、いや、な。別に教えるほどの事でもなくてだな、単なる風のウワサ程度であって」
動揺している、それはとても分かりやすく、魔法使いがこんなにも自身の感情をさらけ出してもよいものなのか、かえってメイの方が不安になりかける。
「この際なんでもいいのよ、私のほうも余裕がないことぐらい、あなたにもわかるでしょう」
だがこんな所で、こんな状況において譲歩をして何になるというのか、そちらの意味を見出すことの方がメイにとっては困難な所業である。
「ねえ……教えて」
腕が、手が、先端にある五本の指が動く。
真っ直ぐ、行き先は目の前の男の首筋へと定められている。
何故そうしようと思ったのか、むしろ何をしようとしているのか、メイは理解を置いてけぼりにしたまま、理屈も言葉も必要としていない領域の中で行動をしようとした。
「いい子、……いい子だから」
多分これも記憶のうちの一つだったのだろう、祖父が自分に残した遺品とも言える。
魔女の得意分野、他人の思考を勘ぐり、その中でもちょうど目の前にはうってつけの相手が。年若く、精力に満ち溢れた男が無防備に、何の疑いも抱けずに油断をぶら下げている。
このまま記憶に溺れるのも、いっそのこと自分の存在など。メイという幼い子供としての個体など、もう何の意味もないのではないか。
メイと言う、こんな、なんて、なんで……。
こんな弱々しくて、矮小で、惨めで、愚かしい肉体の記憶に何の意味があるのだろう。
なにも分からなかった、分からないということだけが今の、彼女の意識を個体として確立しているような。
そんな気がしていた、気がしていただけで。
「横槍の赤色」
「え、うわ? 冷たいっ」
左の頬に予期せず冷たさを、そして大きな塊の感触を密着させられて、メイは伸ばしかけていた指ごと身をブルリと震わせる。
「ななな、なに?」
疑いも思考も必要とせずに、その感触が受け入れざる異物であることは確定的であり。
メイはその場から飛び上がるように、数歩ほど足を動かして冷たさから少しでも遠くに逃れようとする。
「トゥ? い、いま、なにを……っ」
メイは青年の姿を、いつの間にかすぐ隣まで近づいていた彼を見上げる。
「……………」
彼女の動揺に構わず、その顔面には一定した無表情が。
と、思ったところでメイはその意見が異なると、唐突に気付かされる。
「なに? どうしたの」
ちょうどタイミングが良かったのだ、ほど良く魔女としての記憶を活用していた矢先、だからこそ彼の表情の些細な動きですら敏感に、無作法に感じ取れてしまっていた。
「なにが言いたいのよ」
結局そこにあるのは機械的な色素の無い、安定的な無感情などではなく、むしろメイにとって生まれて初めて見るぐらいに人間的で、人間以外の何者でもない感情が込められている。
読み取りたくない事柄まで、包み隠さずあけっぴろげにしてしまいそうな。そしてそれを全く厭わずに、躊躇いもなく許容できてしまえる。
彼にはその覚悟ができている、いや、覚悟なんてものも必要なぐらいに、それは彼にとって当たり前の、春に花が咲いて嵐の中に雷鳴が轟くのと同じくらいの自然な事柄でしかない。
「いや」
見たくない、メイは瞬時にそう思った。こんなものを見てしまったら、せっかく確立して置いた自己のアイデンティティーすらも砂とバケツでこしらえた城のように、いとも簡単に崩れ去ってしまう。
「いや……」
否定したいと思った、思ったところで何だというのか、自分の思い込みで彼を否定できる権利など、どこにも存在していないはず。
だけどどうしてこんなにも、その瞳を見ていると胸の内側の肉を節足動物が駆け巡りまわっているかのような、そんな不快感が蠢いている。
目を逸らそうとして、してみたはいいものの、今度は左側の花弁がのっそりと静かな存在感を放っていて。いてもたってもいられない様な、たまらない慟哭が彼女の腹の内に渦巻いた。
「表しています」
寒気が全身を覆っている、白い体毛の下ではヌルリと気持ちの悪い汗が滲み、あふれてこぼれ落ちそうになっている。
彼女の心情を気遣い素振りなんてものはない、目の前の魔女のことなど露ほどにも気にかけていやしない。
興味がないのだ、トゥーイにとって魔女のことは、彼女に関連している全ての事柄は路傍の石よりも無価値で、無意味なものでしかない。
「捧げ物を受け取る権利は貴女に有りました」
「え」
だからいくら相手が動揺していようが、嫌悪感を抱いて拒絶を示していようが関係ない、彼はとにかく己のすべきことを、一つの目的に沿って完遂するだけ。
「有りました」
ずずい、と差し出される物。
それは赤くて、一瞬新鮮で血の滴る肉の塊でも握りしめているのかと、おぞましい勘違いが通り過ぎる。
だがそれは勘違いでしかなかった。
思い込み、彼女の予想に反してその赤色は艶々と滑らかな表面をしていて、その身からは絶え間なく爽やかで甘い香りが立ちのぼっている。
その赤色は。
「……、リンゴ?」
オレンジジュースに浸けるとなおります。




