わかりやすいあなた
表情筋肉
先輩の意見はもっともであるとして、その言葉に後輩はおおよその同意をすることが出来る。
のだが、しかし、これが一方的かつ理不尽で、正当なる理由が見受けられない暴力であることは間違いないと。
後輩魔法使いのキンシは先輩であるオーギの手を、鼻息を若干荒くしながらぞんざいに振り払った。
「やめてください先輩、僕の頭部に八つ当たりのチョップを食らわせたって、この状況には何の意味もありませんよ」
「ああ、わーっとるわーっとる」
トロトロと滑らかな訛りの流れで、オーギは拒絶されかけた手をしつこく後輩の毛髪に密着させようとする。
「ちょっと慣れないことにテンションがあがっちまってな、悪かったよ」
よしよし、と、そのまま頭を撫でられるキンシ。
「確かに、僕自身も冷静と平静をおおいに欠いていることは、否めません……」
予想外のスキンシップに若干動揺しつつ、うりりうりりと揺れる視線は一点を、此処ではないどこか遠くへと定められようとしている。
「準備が多いことは良いことでしょうけれども、しかしこのまま無闇やたらとこの広いのか狭いのかよく分からない灰笛の地を駆けずり回れば、服がびしょぬれになるだけです」
いつも通りの長ったらしい言い回しの後に、魔法使いはぱっとメイの方に視線を向ける。
「幸いにもここはまだ図書館の中。僕、キンシの領域内、つまりは縄張りの中です。機密のやり取りをするのには打ってつけと言えましょう」
器用に足を動かしたまま、後方にいる魔女と視線を交わしながらキンシは思いつく事柄を言葉に変換していく。
「とにかく、情報が要ります。メイさん、このようなお願いをするのはとても心苦しいのですが……」
「おきたこと、ルーフが……お兄さまが連れ去らわれたときのことを。そうね、みなまで言わなくても、大丈夫よ」
無駄口を叩かず、状況に合わせて必要な感情を取捨選択するべき。
とは、これは魔女としての記憶、ではなく、確か祖父が言っていた言葉だった気がする。
「それはぜひとも、俺からも懇望したいところだな」
キンシの歩調に合わせているため、ほとんどすり足に近い速度になっている。
千円ヘアカットで切り揃えたかのような毛先を揺らして、男の魔法使いは魔女の方に向ける瞳の中に催促の色を灯す。
「俺が知っているのはこの、へちゃむくれが道すがら話した内容だけで。ハッキリ言ってこの状況が一体なんなのか、どこの誰を相手にしているか。一切合財まるでわかっちゃいねーからな」
未だに指の先をキンシの黒い髪の毛にうずめたまま、お互いがお互いに何かしらの拒絶をするわけでもない。
鉱石ランプによって描かれる影と影が細く繋がっている。
メイは二人の若い魔法使いにもう一度、今一度過去のにおきた事象、凶事についてゆっくりと丁寧に、それでいて簡潔さを意識した上で話してみた。
そうすることで、と彼女はいつまでたっても治まりを見せない心の潮騒に決別をはかろうと。
「と、私が私として記憶しているなかで、それがお兄さまの無事なお顔をみた最後の記憶よ」
だがそんな甘い願いが通用するはずもなく、残るのは苦々しい自責の念と、喉元を締め付けるように圧迫する後悔ばかり。
「なるほど、な……」
きっとこちら側の感情はお見通し、内層が滲み出ないように笑顔を保てる大量など残されていないのだ。
「いや、うん、話してくれてどうもな」
メイとしてはありのままのことを、隠す必要性すら感じないのだからと、そう思っていたのだが。
「そうでしたか……そうでしたか」
キンシがメイに向けて笑顔を浮かべている、穏やかで、本人が持てるすべての技能を込めて捻り出したほどに優しげな笑み。
目は細められている、そうすると左側に埋めこまれている赤色の石の輝きが妙なまでに煌めいていて。
「いやはや、これはこれは全く、とんだ痴れものですよこんちくしょうが」
笑顔は変わらない、口は横長に開かれていて、上唇とした唇の隙間から白い歯がのっぺりと硬質な表面を覗かせている。
虫歯は無し、健康で優良な輝きを保っているエナメル質。
犬歯が少し、いや、かなりのレベルで歯茎を占領している。あれは歯磨きに気をつかいそうだわ。
「確認をしても、問題ないか?」
疲労を言い訳にしてみれば簡単な問題で済む、それでも他所事を考えずにはいられないメイの耳にオーギの遠慮がちな声が届いた。
「えっと? ええ、どうぞ。なにかしら?」
必要なことは十分に、むしろ物事の異常に酔いどれ異様にテンションが昂ぶり、不必要な事柄まで口にしてしまっていたかもしれない。
薄墨のように淡くほんのりとした不安を胸に、メイは男魔法使いの質問を受け付けるために瞬きを数回ほど。
「あんたの兄さんが連れ去られたとき……。つまり、あんたら兄妹が襲われた時。出現したのはこいつぐらいの大人と」
オーギは親指の先をメイの方、ではなく、彼女の体をいまだ律儀に抱え続けている青年に差し。
「そいでもって、こいつぐらいか……」
次に彼の隣にいる後輩を指し示す。
「あるいは、キンシ坊よりもちょっとばかし年上ぐらいか。そのぐらいの女、だったんだよな?」
「え? ああ……」
予測していなかった方向から確認をされて、しかし内容自体には特に違和感は見て取れず、メイは彼の質問についてもう一度記憶を探り当ててみる。
「うん……そうね、それについてはたぶん、間違いはないと思うわ」
正直なことを言ってしまえばもうこれ以上、おぞましききゃつらのことなど一ピコだって思い出したくない。
余計なことは考えずに、少しでも多く兄の面影を脳内に留めておきたい。
彼女のわがままな欲望など知る由もなく、オーギはひとり陰鬱そうな表情を浮かべたまま質問文を続けていく。
「その二人は、あー……なんだ、その。女と女の二人組、その組み合わせに見えたんだよな?」
「ええ、うん、その通りよ」
何をききたいのか、何故そんな事にこだわり、いちいち丁寧にこと細か確認をしてくるのだろう。
むしろメイの方が彼に向けて質問を投げかけたくなる、彼女の視線がじっと自分に定められているのにも構わず、オーギは暗い表情をいっこうに晴らそうとしないままに。
「そうかそうか……なるほどな。こいつはなんとも」
分かりやすく、明確が主張をしすぎているほどに、いかにも含みのある沈黙を引きずったままオーギは首を下の方に重々しく傾けている。
「先輩? どうかしたんですか。そんなに暗いお顔をして、何か気になることでも?」
聞かずにはいられない、むしろ聞いてほしいのではないかと邪推したくなるような。
そんな様子の先輩魔法使いに対し、キンシが不思議さと怪訝がせめぎ合う視線を向けている。
「いやー? まあ、あのな……」
後輩がじっと興味深そうにしている、そのこと自体はしっかりと自覚していながら、しかしオーギはそれ以上何を言うでもなく、唇は重苦しい静けさを保ったままだった。
「なんともなー、どうしてこんなにもよー……」
うだうだと文句を、事象に対するやるせなさに為す術もなくうな垂れている。
「先輩? ねえねえオーギ先輩、ひとりで勝手に愚痴をこぼされても、僕らには何がなんなのか全くもって理解できないのですが……」
会話としては著しく完成度の低い、お粗末なやり取りを交わしている魔法使い二名。
彼らの様子をじっと見ていたとしても、その行為に対して何かしらの意味を見出せそうにはない。
「さて、と」
若者たちの会話がある程度煮詰まるまで、その隙にメイは手頃な目的を果たそうとする。
「この隙に、そろそろ降ろしてもらおうかしらね」
先輩魔法使いにならうわけではないにしても、メイもまた明確な意思表示を顔面に浮かべてみた。
剥き剥き




