素敵なティータイム
緑お茶
モアの喉が飲料を受け入れて、芋虫の背中のように上下運動を繰り返す。
ごくごく、ごくごく。
手ずから淹れた飲み物に対しての潔白を表明するため、まずは最初に己が口に含む。
「はあ、あー……おいしっ」
そのような気遣いなど、きっとモア自身はまるで考えていない。
水分補給をしたことで肉体的及び精神的に潤いを得た、そんな少女の溌剌とした表情の前に、ルーフは自身の邪推が無意味なものであることをそれとなく察する。
「おや? どうしました、早く飲まないと冷めちゃうよ」
大ぶりのひとくちの後に一呼吸、心ゆくまで薫香を楽しむために二口目を含もうとしている。
その手前でモアはなんて事もなさそうに、当たり前の所作として目の前の監禁被害者に向けて、緑色の液体状な食料をすすめてくる。
「………」
ここで躊躇うことは何も間違っていない、この世界で生きる人間としてまともな部類に則している行動であると。
ルーフはそう信じていたかった。
だが。
「いただき………、ます」
この短い台詞を言うだけの体力も気力もなく、肉体の水分を含めたあらゆる栄養素が枯渇していることもまた、抗いようない事実であった。
まだまだ熱を保っている湯のみ。
国家レベルで尊重されるべき職人による手作りか、あるいはライン工場で機械的に量産されているチープ。
審美眼なんて文化的に優れた一面が彼にあるはずもなく、そもそも芸術事態に趣向の無いルーフはとにかくその内部に収められている液体めがけて、眼球よりも口内を激しく動かしている。
「ごくごく、ごく………」
「おお、素晴らしいのどごし」
それまで必死に我慢してきたものをことごとく否定するかの如く、ルーフの喉奥に熱い喜びが満たされていく。
香りも味も認識する暇もなく、ただただ水分を受け入れるために体の細胞が解放感を訴えかけてくる。
「はあ、はあ………」
一気に液体を飲み下す、喉に圧迫感が暴れ狂い、ルーフは全身を使って胃の内壁へ少女の淹れた緑茶を注入する。
「どうですか、味の感想を」
少女はいかにも普通そうな受け答えを繰り広げかけて。
「あー……っと、そんな場合ではありませんでしたよね」
さして慌てた様子を見せることなく、すぐさま自身の提案を却下する。
よもや「なかなか、いやかなり、結構うまかった」などと、それに類する感想を口に並べられるはずもなく、ルーフの方もだんまりを決め込むしかない。
さて、沈黙が男と女の間に流れる。
「それじゃあ、まずは殿下。貴方からどうぞ」
コトリ、湯飲みの高台を木製の受け皿に設置する、モアは肘を机の上に乗せて指を組み合わせ、可愛らしさと支配者的横暴さの中間地点にあるような、そんな感じの格好でとりあえず落ち着いている。
「知りたいこと、聞きたいこと。出来る限りなんでも、殿下の満足が行きつく果てまで対応してみせましょう」
どこかの頭のいい人間が、マイクごしに大衆に向けて発するそれ。
それと負けず劣らずな見栄に対し、ルーフは一瞬怯えに似た驚愕を抱きつつ、しかしこんな所で躊躇してもしょうがないと、静かに全力を込めて言葉を作りだそうと試みる。
「聞きたいこと、な………。色々ありすぎて、俺の方が困るくらいだ」
敵は自分を見ている、蛇に睨まれた蛙が生易しく感じる、四面楚歌とはこういうことなのか。
「さあさあ、何をぼうっとしているのです王子様。どんなに貴き人間であっても、時間は等しく有限なんですよ」
実際には二面、二人しかい無いわけだが、その内容の濃さたるや。
「どうか、遠慮はいりません。此処に至って、どなたであろうとも、決してご遠慮はありませんよ」
果汁百パーセントのオレンジジュースも目ではない、なんて、意味不明な例え話を。
背後にハリの実体のない推進力を感じつつ、ルーフはそれでも言葉を諦めようとしない。
「そうだな………、まずはお前たちの正体から聞かせてもらおうか」
彼としてはいきなりの核心をついて、どうにか少しでも相手を動揺させたかったのだが。
「ふむふむ、なるほどね」
しかし相手の反応を見る限りでは、どうやら彼の目論みは行動を起こす以前に破綻していたらしい。
ハリの呼吸音を背に、ルーフは机の向こう側にいる少女の微笑みを忌々しく、為す術もなく眺めるばかり。
「残念ながら、それに関してお答えすることは出来ません」
「さっそくアウトじゃねえか」
いくらなんでも、愚かなる若者であるルーフであったとしても。
よもや赤の他人である自分を拉致監禁し、あまつさえこの世の何よりも尊ばれるべき妹の体を蹂躙するような。
法外ここに極まれりと、それ以外の何者でもない奴らがまさか、そうそうたやすく自らの素性を明かすわけがないと。
「それに関しては、こちらの業務的に少しばかり、不都合が生じますので……」
そう分かって、理解して分別しようとしても、やはりルーフは己の内側に煮え立つような苛立ちを覚えずにはいられず。
かといってこの程度で相手に憤慨を向けて、無駄な体力を使うのもはばかれると。
「はあ………」
仕方なしにと、ルーフはせいぜい忌々しげに溜め息だけを吐いた。
「うふ」
そんな彼の様子をモアは机ごしに、青い瞳をキラキラと煌めかせて凝視している。
「………何だよ」
生物本能に則した嫌悪感の後に、いかにも人間らしい理知的な抵抗感が遅れてノコノコとやってくる。
「人のことを未確認生命体みたいにじっと見つめやがって」
今度ばかりは彼女も予想外だったらしい、もともと決して小さめとも言えない目が少しでも見開かれると、瞼に秘められていたはずの白目までが魚の腹のようにヌラヌラと光っている。
「未確認生命体、ね。確かに言いえて妙だわ」
モアは色の白い頬をわずかに上気させる、春先の花弁のような色を皮膚の上に灯しながら、彼女は言いわけともつかない告白を勝手にし始める。
「実のところ、この部屋に他人を、それも異性の方をお招きしたのは、ワタシの人生においてはこれが初めてでしてね」
いきなり生娘じみたことを言いやがる、実際の彼女の人生経験がどのようなものかは関係なしに、ルーフはせっかく温まった体が心から冷えてくるのを必死に堪える。
「やだなあ、お嬢さん」
断じて代弁者などではない、後ろからハリの茶化すような声がとんできた時、ルーフは言葉の内容を確認するまでもなく断定を決め込む。
「いくらなんでも、あなたにその言葉は似合いませんよ」
指摘としてはどうにも違和感のある、なにより対象者がアバウトすぎている。
ハリの台詞を背後にしたまま、ルーフはもう一度緑茶を口に含む。
だいぶ温度が損なわれ、失われた味の代わりに温く生まれた風味で口内を洗い流す。
「まあ、いいや」
質感のある液体ごと感情もすべて、泥汚れのように洗い流せたらどんなにいいか。
むしろこの体が、人間がみんな泥に業のように単純であったら、どんなに良かっただろう。
少なくとも手が真っ赤に汚れることはなくなるのに。。
「そう言えば、さっきからずっと気になっていたんだが」
一つ考えれば次々と、水鳥の雛のように思考が追いかけてくる。
「さっき、何でこの………後ろにいる奴とパソコンを繋げてたんだよ」
逃げるつもりが全くなかった、なんて言えばそれこそ完全なる虚構となる。
虚偽をしっかりと自覚した上で、ルーフはさして興味もない事柄について話題をふってみた。
「噂に聞いちゃいたが、まさか本当に人間の体と………」
彼が言いかけるよりも早く、モアの方が人差し指をそっと立てて唇を制止する。
「おっと、それ以上はいけませんよ殿下」
少女はいたずらっぽく笑っている。
「そうですね、説明が足りませんでしたね」
葉っぱ飲料




