生まれさせられた液体
緑
「ぐえ、おええ」
「うわっ」
捻り出された物がせめて人体に由来しているものであったら。
例えば吐しゃ物だったり、唾液でも何でも、いくらでも汚くたって構わないと、後出し的にルーフは頭の中で懇願していた。
そうでなかったら、まさか人の体から武器が捻り出されて、引きずり出される光景よりははるかにましだったに違いないと、叶わぬ仮定が彼の中に虚しく降り積もっている。
「アップデート、上手くできましたかね?」
ずるずると、何の感想もなく自らの喉から直径一メートル近くの長さがある刃物を引っ張り上げて、ハリは口元をわずかに唾液で光らせつつ、手にしている武器をしげしげと観察する。
「そんなの、自分の体の中でやっているんだから、疑問に思ってどうするのよ」
えずいた後の残滓を若干匂わせながらも、いたって平然としている男にモアは呆れたような表情を向ける。
「そんなこと言われましても」
上司に小言を言われたハリは、それに対してまともに取り合う様子もなく手にした武器を、骨のように白く輝く刃の流れをじっと観察している。
「自分の体の中をはっきり、細胞ひとつ間違えることなく自覚してくださいだなんて、僕にはとても出来ませんよ」
男の言い分を耳にして、大してまともに反応を返すでもなくモアはもう一度ルーフの方に視線を向ける。
「それじゃあ、武器の更新もできたことだし。早いとこ彼を楽にしてあげようか」
捉え方によればかなり剣呑で、もしかしたら自分の人生はこのまま、こんな所で中途半端に終了してしまうものかと。
「ハリはそっち、お願い」
「はいはい、切り刻みましょうね」
だが彼の期待した展開はいつまで経っても、待てども訪れようとせずに、代わりにやって来たのはひさかた忘れかけていた体の自由が少しずつ取り戻されていく。
その感覚だけ、彼の疑問は未だ尽きようとしていない。
「いやはや、お見苦しい時間を過ごさせて、ホント申し訳ない」
少年は未だ椅子に座っていた。
ただ先ほど、ほんの数分前と大きく異なっているのは、彼の体が赤い拘束具から解放されていること。
そして何故かその拘束を行ったはずの少女から簡単な謝罪と共に、部屋の中にある休憩スペースらしき場所へと案内されていることと。
数えようとすればキリがない、これからどうしたものかと、ルーフがあれやこれや思考を巡らせているなか。
「さて、せっかくですから何か飲みますか。なんでも、お茶と呼称すべき飲料ならそれなりの常備があるっすよ。あ、お茶は嫌い? コーヒー? ココアの方がいいかな。どうかな?」
「あ、えっと」
一方的に、しれっとフレンドリーな態度を演出しようとしている少女。
当然のことながら、いくら愚鈍なる人生を送ってきた少年であっても、この状況の異常なる好機を逃すはずもなく、何とか部屋からの逃亡を図ろうと腰を浮かせかけた。
「うん、こういう時はキツめのカフェインでも摂取しよう。と、いうわけで」
だが彼が今まさに臀部と椅子の接着面を解除しようとした、まるでその瞬間を見計ら買ったかのようにモアが少年の方を振り向いて確認行為をしてくる。
「緑茶でいいかな、どう? 好きか嫌いかならどっち」
じっと、左右の青い目が彼の姿をとらえている。
笑顔であることは間違いない。
だがしかし、確実に自分のことを友好対象としていない。
「あ………、緑茶?」
もうすでに手遅れである、相手はきっと自分の考えていることは全てお見通しなのだ。
そんな強迫観念が、しかし限りなく現実の中に流れる事実と近しい確信が、ルーフの意識に冷水を垂らす。
「そうだな、嫌いでは………ない」
「そ、それは良かった」
再び忌まわしき椅子の上に腰を落ち着かせる。
重力とその他諸々の力に身を任せる、甘いようで実際の中身は含まれていない従順がルーフの心を蝕んで融解しようとしている。
「緑茶かあ」
留めの一撃と言わんばかりに、そう断言するのはいくらんでも邪推が過ぎるとしても、しかし頭上から降り注ぐハリの声がルーフの計画性に最後の一石を投じてくる。
「ココアが良かったな、苦いの嫌いなんですよ」
ちょうど背後にいる、今まで気付かなかったのは少女の着ているワンピースに気をとられすぎていたせいか。
「ねえ、王子様? わざわざ舌の上に苦みを、毒に近しい物質を乗せる理由が、ボクにはどうしても理解できないのですが」
ルーフは見るべきではないと、みたところで無意味であると分かっていながらも、しかし怖いもの見たさの精神で首を上に向けてみてしまう。
視線は天井に、人工的で安定感のある蛍光灯の白い暖かさに触れるよりも早く、それらの要素とは大きく離れた異物へと注目を捧げる羽目になる。
「なんて、この国の大多数を占める緑茶愛好家に対し、ボクはまっとうさの欠片もない反旗を翻してみましたとさ」
テレビで朝の八時、もしくは九時あたりで放送される昔話みたいな、そんな穏やかさがはびこる声音で自分に話しかけてくる。
ルーフはそんな黒髪の男と数秒ほど視線を交わし、そしてすぐに虚脱感に襲われて首の位置を元に戻す。
「………」
そしても一度、自身を取り巻く環境を見渡す。
二人の人間は体をじっと観察していて、逃げるなりなんなり彼自身の思考に則した行動を一つでも、ほんの少しでも匂わせた瞬間。
想像を巡らせるだけで彼のまぶたに妹の、ルーフの記憶の中で最後に残されているメイの姿が、彼女の痛ましい姿がフラッシュバックする。
地獄だ、彼はそこでようやく状況を形容するのにふさわしい単語を思い浮かべる。
出口なんてどこにも無い、物質的に存在は確認できるとして、しかしこの部屋の外部に到達してみたところで何が待っていよう。
ここは敵の本拠地なのだ、自分の味方はどこにもいない。
誰も助けてくれない、頼れるのは自分だけ。
それまで経験してこなかった孤独感がルーフの喉元を貫く。そして肉体は急激に妹の匂いを追い求めて、見えざる触手を虚しく動かすばかり。
一人きりがこんなに辛いものだったとは、今までの悩みがどんなにチンケなものだったか。
「ああ………」
喉の肉が硬直する、ゴム製のボールを誤飲したかのような圧迫感にさいなまれている。
「クソが」
音になるかならないか、ギリギリの悪態を口にする。ルーフに出来る事はそれだけだった、それ以外に何もできない。
「ん? なにか言ったかな」
間違いなく言葉の内容について、子細とまでは行かなくともおおよその方向性について、大体理解している。
わかっているくせにいちいち、律儀に確認をしてくる少女にルーフは嫌悪感をあらわにしかけて。
「いや」
しかしすんでのところで、椅子から立ち上がりかけたその身を鎮静化させる。
「何でもねえよ、なにも言ってねえよ」
虚偽としてのクオリティーは酷いもので、言葉を話せば話すほどボロが手てくるような。
もうこのまま口が動かなくなれば、どこかの魔女が舌に呪いでもかけてくればいいのに。
知らず知らずの内にルーフもまた、「魔法使い」じみた思考に染められている。
「なんでもいいけど、お茶でも飲みましょう」
少年の苛立ちなど所詮他人事と、実際にその通りの事柄を素晴らしく謳歌している少女は、自らの手で入れた飲料を机の上にそっと置く。
緑の色彩と味に染められてた湯から白い湯気が立ちのぼる。
飲料としての、飲み込める物体を確認した脳が逆らいようもなく、意識を机の上の物体に向けることを要求する。
「さて、お先にいただきます」
少年の大部分を占める憂い、そしてほんの僅かに残されている単純な喜び。
少女はそれらをじっと観察しながら、細い指を湯飲みに伸ばす。
グリーンティー




