種も仕掛けもありました
イリュージョン
少年の戸惑いとは比べ物にならないほど、なんて、そんな対立を図った所で何になるというのだろうか。
自分の感情と彼女の感情は別物だ、一緒にしては困るし、そもそも並べてくらべること自体、意味の無い行為でしかない。
自身の中に渦巻く矛盾に適当なけりをつけている、ルーフの体は未だ横倒しに、椅子に縛り付けられ続けていた。
ずっと同じ体制でい続けていると、あまり好ましくない痺れが肉に走りそうで、時々無意味に体を動かしては黒い液体にブニブニと緩衝をされる。
これ以上下手に動いたら、いよいよ今度こそ床と仲良くキスをする羽目になる。
すんでのところで少年がやっと諦めをつけた、そんな中で。
「こなれたあなたがー擬態した羽根を食い千切られているー」
少女は意味不明な歌を口ずさんでいる、そのようすはとても飄々として。
いるようで、実はかなり動揺をきたしていることに、暇を持て余していたルーフは何となく気付かされていた。
「あー……、ダメだ、繋がらない」
誰かと連絡を取るつもりだったらしい、その辺の目的に関しては察せられたが、しかしそれ以上の情報は何一つとして得られそうにない。
「やっぱり場所が場所ですからね、妨害も半端なさそうって感じです」
パソコンの隣に立っている、ハリという名の男は机にかじりついている少女をじっと見下ろしている。
耳を動かすとそれと連動してコードが、彼の耳からパソコンの機材にまっすぐ伸びている黒い管がフルフルと震えて、微かなさざめきを奏でている。
「そもそも、敵の本拠地で通信を行おうって計画が、お粗末極まれりって感じじゃあ、ありませんか? ねえ、モアお嬢さん」
「もーうるさいなあ、そんなことわかっているわよ」
言葉こそ不安そのものであっても、声音には全く感情をのせようとしていない。
そのまましばらく、時間を図る道具がないので詳しいことは分からないが、せいぜい数分程度だったかもしれない。
「ふわあーあー……」
少女はやがて諦めたかのように一つ、大きな背伸びをして。
「止めましょう、出来ないことにいつまでも時間を割いてられる状況ではありませんし、ね」
自分自身か、あるいはほかの誰かに言い聞かせるかのような口調で、サッサと事務椅子から身を起こす。
「それでは、これから何をするおつもりで?」
パソコンと自分の体を繋げていたコードを、頭からぶちぶちと離しながらハリが少女に問いかける。
「何をしようかなー、どうしよっかなー」
乱れたスカートのすそを整えながら、モアと呼ばれている少女は軽やかな足取りで少年の元へ。
横倒しになっている彼の体に、そっと近づいてくる。
「何だよ………」
じっと自分のことを見下ろしてくる、ルーフは布の内部に視線を動かしかけた自分に強く叱責の念を送りながら、唇だけは気丈に反抗の意思を見せつけている。
「なにじっと見てんだよ」
「んー、あー……」
少年の睨みに全く怯む様子もなく、そもそも相手の反応などまるで気にかけていないと言う風に。
少女は少年に真っ直ぐ手を伸ばして。
「………っ?」
今度は一体何をされるものか、皮を剥がれるか、皮膚を食い千切られるのか、皮脂腺を抉りとられたりだとか。
ルーフが勝手に悲劇的な妄想を駆け巡らせていることなど露知らず、モアはそっと彼の頭に触れて。
触れて、殴るものかと、彼は思いこんだが。
「よし、よし」
何故か彼はモアに頭を撫でられていた。
それはもうとても優しげで、頭皮マッサージでもしてくれているかのような手つきで。
「おー、見た感じでもすごそうでしたが、触ってみると改めてすごいっすね」
ルーフの生まれつきの、生まれてこのかた寝起きのたびに彼を悩ませていた、そんな「天然パーマについて一言コメントを。
一体、いきなり何なんだ? と遅れてやってきた認識に対し、彼の唇がようやく行動を起こそうする。
「うん、仮面が邪魔だね」
だがそれよりも早く、モアの指は己の願望に則した活動を叶えていた。
「あっ?」
と疑問を口にするより先に、ルーフの顔面は受け入れ難い解放感に包まれている。
「ちょ? おい! 何すんだよ、返せよ」
いつの間にかすっかり顔の一部として認識していたらしい。
急に仮面を外されてしまい、どうするかどうか決めるかよりもルーフの腹の内で憤りが噴出する。
「ほうほう、これはこれはなかなか……」
しかし彼のことなどまるで興味がなさそうに、仮にも監視対象であるはずなのに、この扱いはどうすればいいのか。
疑問も苛立ちも尽きない所で、モアは平然とした様子のまま青い瞳だけが色鮮やかに、奪い取った仮面を持ち主たる相手にズイズイと見せつけてくる。
「この仮面は、カハヅ氏の所有物の一部、という見解でよろしいっすか?」
またしても聞かされると思っていなかった場面にて、酷く聞き覚えのある名前を問いただされた。
とっさにどう答えたらよいものか、反射的な判断力さえあったらよかったのに。
それさえあれば、もっと楽しく生きられたかもしれない。
「知らねえよ」
だが酸っぱい葡萄を求めた所で、現実の台詞が改稿される訳でもなく。
「その………、俺が爺さんの家から勝手に持ちだしてきた、だけだ………」
はいてはき出して、路傍に捨てたくなるような言い訳に、他の誰でも無く彼自身が自己嫌悪に苛まれている。
「わーお、これは間違いなく嘘ですよ、嘘偽り以外の何ものでもありませんよ」
追い打ちをかける、なんて相手を眼中に含んだ思いやりをするつもりなど全く無いに違いない。
とにかくにやにやと笑っていることだけは確実な、そんなハリが子供たちの元にそっと近づいてくる。
「ウソでも何でも、ワタシにとってはどうでもいい事だけどね」
後ろの彼の気配を察知していながら、モアは仮面をルーフに返すこともせずにそのまま姿勢をあげて。
「ハリ、じゃなくて、あー……ナナセ?」
もう少しデフレらえるほどに近付いてきた部下に対し、簡単な命令を下す。
「彼の、殿下の拘束具を解きたいのだけれど。どうかしら? 貴方の意見を聞かせてほしいわ」
それは彼女としては純粋に提案の一部でしかなかった。
しかし彼らにしてみれば、言葉だけの情報では単なる命令文でしかない。
「そりゃあもう、お嬢さんの仰せのままに」
口元は穏やかに、うやうやしく礼をするハリ、もといナナセの片割れ。
「そ、じゃあ……」
相手の反応に大した感想を述べるでもなく、モアはひとり口元に笑顔らしきそれを、形だけでも表現している。
「ちょっと失礼」
一応の前置きの後に、もう一度瞬きをした後の彼女の手の中に握られていたのは。
「はさみ」
「その通り、ハサミだよ」
刃渡りが人の手のひらほどの長さのある、頑丈そうな造りの鋏であった。
それで一体何をするつもりなのか、モアは特に思考を巡らせるでもなく自然な手つきで刃物を彼の体に密着させる。
せめて首が動かせたら、人間の首をもって生まれてしまったがために、自身の身に何が起こっているのかも確認できない。
「うーん、あー……ちょっと手強いな」
ショキン、ショキン。柔らかいものが断裂させられる、刃が擦れあう無機質な音が部屋の中に、部屋のあちこちに植えられている緑色の生物群に吸い込まれていく。
「ハ、じゃなくて……ナナセ。ちょっと手伝ってくれない?」
右手にはさみを、モアは片手で男に手助けを求める。
「はいはい、しょうがないなあ」
特に嫌気を見せるでもなく、いたっていつも通りの笑顔のまま、ハリは上司の呼びかけにすぐさま答える。
「人を縛るのはいいですけれど、ちゃんと開放するときのことを考えてくださいよ」
なにかそれらしいことを少女に忠告しながら、ナナセと呼ばれている黒髪の男は左の指をそっと唇に寄せて。
そして、口の中から。
手品。




