真実はどこにも無い
虚偽。
パソコンの近くに人がいる。
言葉にしてみれば大したことのない、特に珍しさを感じさせる要素などない。
むしろごく当たり前の風景としか感想を述べられそうにない、そのはずなのに。
「えっと?」
しかし現実は、肉眼によって得られる視界は言葉などまるで通用していなかった。
「トゥーイ、さん、ですよね?」
メイは恐る恐る、不必要だと分かっていながらも、それ以上に恐怖心が勝り、青年に対して嫌に丁寧な声音を使っている。
「私の名前に敬称は含まれていません、貴女も衣服のように軽々しく」
要するに「さん付けで呼ばないでほしい」的なことを言いたいらしい。
トゥーイという名の青年は相変わらずの無表情で。
しかし、先ほどとは、少なくともこの白い部屋に入ってきた時とは、様子が少しだけ変わっている。
ほんの些細な、しかしハッキリと明確な変化がある。
「えっと、トゥ……ーイ、?」
「はい」
「その、右目はどうしたの」
青年の右目には花が咲いていた。
バラの形をしている、四角形を幾重にも重ねたように見えるその花弁は、左側にある瞳と同じような色彩を放っている。
つまりは彼もまたメイと同じく木々子、体に植物的特徴を宿した人種であったらしい。
はて? 紫色のバラなんてものが、そんな種類の植物がこの世界にあったかどうか。
なんて、そんな一般常識じみた知識に相談する必要性はなく、そんな事よりも。
「な、なんか、いっぱい刺さっているけど……、それは大丈夫なの?」
青年の右目には大量のコードが、それは黒を基本として、赤だったり黄色だったり様々なカラーリングが施されている。
幾つもの筋がまるで本当に、まさしく植物の根っこのように。
しかし確実に自然由来ではなく、プラスチックとゴムの人工物的質感に満ち溢れている。
「問題は認められていません」
たくさんのコードがトゥーイの右目、眼球があるはずのところに花が咲いている。
その隙間を埋めるほどの量でコードが埋め込まれており、その筋は真っ直ぐ迷いなくキンシの操っているパソコンと繋がっていた。
「おっと、僕としていたことが、すっかりトゥーさんのことを忘却しかけていましたよ」
いっけね☆ と。まさしくそんな感じの、もしも世界を支配する神が漫画家であったとしたら、背景に星マークが散ったに違いない。
「調子はどうですかトゥーさん、ずっと動かしっぱなしですけど。何か不調があったら、すぐに言ってくださいよ」
まるでハイキング初心者を気遣うベテランのように話しかけている。
「問題はありません、実行を継続してください」
「そう、それは良かった」
そうしてすぐさま元の位置へ、いつも通りの光景を繰り返そうとしている。
しかし魔女はそれを受け入れられるはずもなかった。
「ええ……」
信じ難いはずのそれなのに、魔法使いたちは平然とそれを受け入れている。
まさしく恐ろしいものに近付く要領で、メイはそっと机の下の青年に近付いてみる。
彼女の接近に気付いた青年と目が合う、赤色と紫色の交わり。
「ご用件を伝えてください」
多分、「何の用か」とでも言いたかったのだろう。
話しかけられたメイは少し戸惑い、何かを言わなくてはと強迫観念に囚われて。
「えっと、こんばんは……」
結局ただの挨拶を、胸の前で組んでいた指を軽く開放しながら口にする。
「こんばんは」
彼女の言葉に反応した音声装置が、あくまでも道具としての役割を淡々とこなす。
そうして最終的に、彼らの間にはみたびの沈黙が。
メイはしばらく、数秒ほど青年を見つめ。
呼吸を数回ほど、残されている平常心を出来るだけ多くかき集める。
「ねえねえ、キンシちゃん」
「何ですか、メイさん」
何度も何度もしつこく呼びかけられている割に、キンシはいたって丁寧さを失わずに対応を繰り返している。
「いまさらこんな事を聞くのもあれだけど……、何をやっているの?」
メイははっきりと礼を伝える余裕もなく、それどころか彼らの行動に追及をする形をとってしまう自身に嫌悪感を。
「トゥーイの、トゥの目が、なんだか……すごいことになっているけど」
それでも唇は正直に、主たる脳の意識を尊重してしまう。
「へ? あ、あーそれですよね、うん」
当たり前の光景について追及されると、やはりどうしても一瞬タイムラグが生じてしまうらしい。
だがキンシはきちんと、まるで業務でも行っているかのような丁寧さで魔女の疑問に答えようとする。
「ちょっとパソコンの調子が悪かったんで、トゥーさんに手伝ってもらっているんですよ」
何故かキンシは少しはじらいを、左の指で眼鏡をくいっくいっ、と軽く弄くっている。
「これをやると、かちこちに硬くて重いパソコンも、するするとスムーズに動くものでして……」
何か不味いものでも見られたかのように、そうだとしても今ら何を恥ずかしがる必要があるのか。
というかそもそも何が恥ずかしいのか、それ以前に彼らが何をやっているのか。
何もかもが意味不明で、だからこそメイは何も言えなくなりそうになっている。
「いや、いやいや、わたしが言いたいことと、あなたが思っていることはたぶん、大きく違いがある……」
しばらく、ほんの短い間でも共に過ごした時間が、若干ながら彼女にも影響を与えている。
些細な違和感などお構いなしに、魔女は今まで経験したことのない程に思ったままの意見を言葉にする。
「私が気になっているのは、どうしてパソコンをトゥの体に、トゥの右目とつなげていて、それが当たり前のように動いているの、って。そういうことであって」
そこでようやくお互いの認識が寄り添い始めた。
「あ、あーなるほど、そういうことですね。うん、確かに、初めて見る人にとってはちょっと不気味で」
キンシは気まずそうな視線をトゥーイに向ける。
「ああ、しまった……。トゥーさんの場合だと、一番まずい感じになっちゃいますよね」
何もそこまで言わなくても、なんて言い切ることもできずにいる。
そんな状態に陥っているメイを他所に、キンシは手早く事情を説明する。
「改造ですよ。パソコンをこよなく愛している人ならば、誰もが手を伸ばすともっぱら噂のあれです」
「かいぞう」
相手の反応を一応確認してはいるのか、メイが言葉を繰り返している様子をじっと見ながら、キンシは一人納得を深めるかのようにうなずいている。
「いえね、なんでも……、彼方さんの亜種であるトゥーさんの体の中に流れる魔力エネルギーを、そのままインターネットに繋げてどうのこうの。って感じだそうです」
「え、え?」
いきなりの事柄に迷いはなく、メイは一ずつ疑問を処理する。
「彼方って、あの……」
「ええ、そうですよ」
こんな形でカミングアウトするつもりはなかった。
そもそもこんな事にならなければ、もしかしたらメイをここに連れてくることもなかったかもしれない。
「彼の素性について話すと、結構長くなりますが。貴女はそれを望みますか?」
メイの頭の中で黒色が、黒いオタマジャクシだったり、巨大なゲルが渦巻いている。
もう一度机の下の彼を見て、見た感じでは自分と似たような形状にしか見えない彼の姿を。
「すこし、深呼吸をしても、いいかしら」
魔女である彼女は魔法使いに確認をする。
「ええ、どうぞ、いくらでも」
魔法使いのキンシは彼女の思うままにさせている。
作業はだいぶ沸点に達しはいじめているのか、声音にはだいぶ余裕が含まれ始めていた。
作業の音をバックグラウンドミュージックに、まるで心が休まらないメロディーで聴覚を振動させる。
何か救いを求めたわけではないのだが、彼女は自然と瞳を上へ、光のある天井に向けていた。
嘘偽り。




