扉をこえれば森がある
緑
服の派手さに紛れて注目することが出来なかった。
もしかしたら? とルーフは少し予想をたてる。
もしかしたら彼女の身に着けている、怪物的に派手な服装は、胸元にあるブローチの存在を隠匿するために………。
………いや、いくらなんでもそれは暴論すぎるか、他人のファッションセンスを勝手にどうこう言うべきではないと。
少年が短い自責の念に駆られている、そんなことなど露知らずと、モアは胸から取り出した赤色のブローチをカチカチといじくっている。
それは心臓をかたどっている、なんて言い方をしてしまえばデザイナーに渋い目を向けられてしまいそうな。
人体の内臓を丸くデフォルトした型に、リボンを模した金属の装飾が谷間に組み込まれている。
「これが、なかなか硬くて開かない、っと」
もう一度硬い音がパコン、と今度は少し間抜けな音色。
ブローチだと思い込んでいた、たしかにそう呼称できる物体ではあるものの、しかしそれには別の役割もあったらしい。
横にパックリと開かれたそれには青色の布が敷き詰められており、その中心に何かが埋め込まれている。
モアは何を言うでもなく、ブローチの中心に収められていた宝石の粒をつまみあげる。
「指輪?」
石は金属の爪を支柱として、丁度少女の人差し指に身に着けらえるほどの幅のある輪っかが備わっている。
指輪をはめた少女はその右手を軽く握り締め、アクセサリーを身に着けた拳を壁の方へと。
先ほど彼女自身が目論みをつけた、ちょうどその辺りに押し付ける。
「?」
ルーフは疑問に思う。それは最初の一瞬だけ、少女の行動に対する不可解でしかなかった。
だが、すぐに感情の方向性は変わり、彼の意識は目の前に出現した扉の存在に注がれる。
「と、と?」
それはまさしく扉であった。
どこにでもありそうで、この鉄国を適当に散策して見つけた住宅街、家々の玄関先に設計されていて、日常ではほとんど意識することもなさそうな。
何の面白味もなさそうなそれ、そんなのが唐突に壁から出現していた。
「入りましょう」
「そうですね、お嬢さん」
少年の戸惑いを他所に、男と女は壁にあらわれた扉を開いて、その内部に侵入を果たしている。
そこからは少しばかり厄介な出来事。
「入りますかねー、ちょっと不安ですよ」
「ちょっとぐらい削れてもいいんじゃないかしら?」
なにせ一人の人間を椅子ごと運ぼうとしているのである。
ガコン、ドコン、と数回ほどの衝突を繰り返したのち、自身の爪先やらに多少の痛みをこうむった跡。
少年はその部屋の中に、侵入をすることになっていた。
「えっと、あー……殿下? とりあえずいま貴方は私の作った魔法空間に保護、とは名ばかりの監禁状態にされています。まずはそのことを念頭に、しっかりと自覚していただきたい」
「は、はあ?」
素直に返事をしようとして、しかしそんな事をしている場合ではないととっさに反抗を示そうと。
結局どちらとも取れない曖昧な言葉を後に、それ以上に気になることを少年は彼女に問いかけていた。
「この部屋は、一体なんだ? 建物の中にあったのか、隠されていたのか?」
二組の視線がきょとんと、彼のもとに注がれる。
そんな基本的な質問をされるとは思わなかったらしい、しかしモアはすぐにルーフの疑問について対応をする。
「ああ、あー……此処についてですか? ここはですね、えっと、うん……まあ、その、ワタシのプライベートルーム、だと思っておいてください」
「ぷ?」
「プライベートルーム、個人的趣味のために活用する部屋のこと、ですよ」
そのぐらいのことは分かる、とルーフは隣でへらへらとしているハリに軽く苛立ちを覚えそうになる。
だがそんな事はささいな問題で、それ以上に現実の方が、自身の周囲に広がる空間に対する好奇心の前では些末な感情でしかない。
「これが、部屋………?」
およそ彼の人生経験において、妹以外の女性と親密な関係を気付いたことはなく。
ゆえに、異性の部屋に招かれる機会などほとんど、それこそ無に等しいほどに存在していなかった。
そうであっても、今まで得た知識の中で彼の中に勝手に作られていた「女の住む部屋」と、今まさに目の前にある少女の部屋との、あまりにも隔たりがありすぎる現状に、少年はただただ戸惑うしかなかった。
なんといってもその部屋は、部屋………。
「部屋なのか、これ? 森か林の間違いだろ」
別段悪気があったわけでもない、このような状況下で相手を挑発できる台詞を吐けるような気概が少年にあるはずもなく。
だからこそ、心の底からの感想に対し、部屋の持ち主たる少女はガクンと衝撃を受けて。
「失礼な、れっきとした部屋だっての。むしろここが部屋以外の、何だというのよ」
チラリとこちらを振り向いてくる、頬が若干膨れているのを見て、以外にも人間らしい表情も出来るのだなと、ルーフが感心に思っている。
「いえいえお嬢さん、いくらあなたがほっぺを膨らませた所で、この部屋の惨状は誤魔化せないですよ」
その隣でハリがあえての正論を、ちょうど手に届く位置にある植物を指で弾きながら、にこにこと少女に申告する。
「あなたもいい加減、部屋のインテリアに気をくばるべきですよ。なんですかこの植物の数。いくら好きなものであっても、整理整頓できなくては意味がありませんよ」
この灰笛に、魔法使いの町と、悪名も含めて名高くはびこっている灰笛に足を踏み入れて。
いまさら魔法によって作られた秘密裏の部屋について、どうこう疑問を叫べるほど、純粋さを保ってはいない。
しかしなけなしで脆弱かつ幼弱な彼の精神力をもってしてでも、その部屋の惨状は何となく理解できてしまい、だからこそ異常さに嫌悪感を示さずにはいられなかった。
なんといっても緑、そこかしこに緑、緑色の生き物。
つまりは植物が、人間でも動物でもない生き物の姿があちらこちら、壁に床に、天井すら侵食する勢いで。
その部屋には植物がたくさん、たくさんありすぎている。
花屋か、植物園として入場料が取れるのではないか。
「あー……いまは、いまは! ですね、ワタシのインテリアセンスについて追及をしている場合じゃなくて、ですよ」
一応の正論を言いながらモアは部屋の中を、まるで獣道を進むかのように突き進む。
「何にしてもどうしても、ワタシ達にはやるべきことが。ファッションリーダーを目指す以上に大切な事柄が、山のようにたくさん降り積もっているんだからね」
不満を引きずったままに、少女は植物の中に殆ど埋もれている机へ。
フリルに膨らみを固定されたスカートをボソボソ折り畳み、事務椅子に座ってパソコンを起動しようとして。
「……」
おもむろにこちら側を、ルーフがいる方向を見つめてくる。
何だ、と思ったところで隣に人が動く気配が。
「はいはい、わかってますよ」
ハリが軽快な足取りで少女の方に歩み寄る。
何をするのか、と。
その瞬間に、ルーフの体がガタリと下に落ちる。
「うわっ?」
どうやらハリが移動用の魔法をいったん解除したらしい。
縦揺れに衝撃を受けたルーフは、しかし体は拘束されたままで身動きも、当然受け身もとれずに。
「あ、」
バランスを崩した椅子が横に倒れそうになっている、流れゆく世界の中で彼は歯を食い縛って衝撃に備える。
「おっと、危ない」
しかし危惧した痛みは訪れず、横倒しの体の側面にはもうすでにおなじみとなった黒い液体がうねうねと脈打っている。
「王子、しばらくその姿勢のままでお過ごしいただけませんか」
ハリは相手の返事を待とうともせずに、上司の指令に従うためにパソコンの方に近付いていく。
「………」
放置されたルーフは他にすることもなく、頬の下で蠢く水の冷たさにチクチクとした焦燥感をぶつけるばかりだった。
グリーングリーン




