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文字で塗りたくる黒色

早々と諦める。

「ところで王子、王子様よ」


 ナナセ、もとい、ハリという名の黒髪の男がルーフに話しかけてくる。


「王子? 王子様だとなんだかスポーティーすぎるし……。あ、プリンスちゃんとかどうです? ん? 無言ですか黙秘権ですか。じゃあ、やっぱり王子でいいか」


 かなりどうでもいい事で悩んでいる、答える義理などどこにも感じられない台詞の数々に、図らずしてルーフはハリの思惑通りの行動をとってしまう。


 相当ひどい、あるいは喜劇的に不健康そうな表情を浮かべていたらしい。

 ハリはにやりにやりと愉快たまらぬと言った表情を口元に浮かべ、結局そのまま彼へ一方的な語りをし続ける。


「唐突に、不意に、脈絡なく質問しますが。王子様、あなたは小説にご興味はありますでしょうか?」


 ルーフは運ばれていた。普遍的であるがゆえに決して座り心地が良いと絶対に言えやしない、かといって激烈に最悪とハッキリ断言もできそうにない。


 中途半端な造りの椅子に赤く太いリボンでぐるぐるに縛り付けられている。


 ハリは少年の体に纏わりついている拘束具の確認をしながら、まるで近所の子供達に対してするかのような朗らかさで会話を持ちかけてくる。


「いえね、実を申しますと。今日はボク、ボクとおそらくこの世界のどこかしらに居るであろう複数の人たちにとって、とても特別な日ということを。そのことをあなたにぜひとも教えたいんですよ」


「ほうほう、して、それはいかような内容で?」


 ルーフは相変わらず沈黙を貫こうとしている。


 彼の代わりと、そのように殊勝な行動をとった可能性は低い。そうであってもモアが代わりに答えてしまったが故に、ハリの語りはより一層の勢いを増すこととなる。


「実はですね、今日はボクの愛好している作家さんの最新作が発売される日なんですよ」


 予想外に、予想を遥かに超えるレベルでどうでもいい。ごみクソ塵芥(ちりあくた)のような新情報に、むしろ驚愕をルーフは抱きかけて、すんでのところでそっと思い留まる。


 子供たちが日常生活においてそうそう経験しそうにない、そんな興ざめを味わっているなか。

 ハリは相手の反応などお構いなしにと、手前勝手に次々と話題を繰り広げようとする。


「えっと? ちょいとお待ちくださいね……。いえ、実はぼくはハードカバーではなく、文庫本で読書をするタイプでして。ほら、こういう仕事の時でも簡単に持ち運びができるじゃありませんか。そこが文庫本の利点なんですよ、そうだと思いませんか」


 知らねーよ、知っていたとして、そのことについて何をどう答えてほしいのか。

 ルーフは男が何を思っているのかまるで理解できず、そもそもしたいとも思っていない。


「そういう訳でしてね、同じシリーズの作品を。今日発売されるものとは異なる、全館に当たる一冊をちょうど持ってきているんですよ。ほら、この仕事って孤独感が強いから、ちょっとの合間に心をいやす一品がどうしても欲しくなってしまって」


 誰に何を言い訳したいのか、いまいち内容が掴めそうにない。


 モアにいたっては早くも興味を失いかけている、そうなると結果としては男にとって最初の意図を果たしてしまったことになる。


 だが彼らはそんな事に露ほども気にかけず、ハリは勝手に体のあちこちをまさぐって。


「あーありました、ありましたよ」


 あちらこちらにごそごそと、そうして結局は左側にあるポケットから目的の物を発見した。


 それは前述のとおり紙の本で、それ以外の何物でもなさそうな。


 ここでせめて、いかにも魔法の本らしきデザインのぶつでも登場してくれれば、この状況に少しでも面白みを見出せそうだったのに。


 しかし彼の望む形とは反して、男の手の中にあるそれはこの世界中、鉄国で広く一般的に出版されているタイプの文庫本と何ら変わりのない、まさしく文庫本としか言いようのないデザインをしている。


 せめて何か特徴を記すとすれば、その本の形態がルーフにとってそれなりに身近に感じられるものである事。


 特徴的に大きめでポップなタイトル表記、漫画的表現がふんだんに盛り込まれているイラストレーション。


 文庫本としての宿命ゆえか、書籍としては粗雑で耐久力に不安を覚える造り。

 であるからこそ、自分のように財をもたない子供でも安易に手を出すことが出来る。


 と、いうか、ハリが自信満々に携えているその本は、ルーフも愛読しているシリーズそのものであった。


「これねー面白いんですよ。鍵カッコの応酬と改行の迷宮。読みやすさの中で時々登場する狂気的な表現。テンプレート的な敵がどったんばったんと戦いまくる。血沸き肉躍る展開にボクはとても面白いと思いました」


 小学校通学生の読書感想文以上に中身が伴っていない、十五分でこしらえたかのような感想文にルーフは体の内側から軽い苛立ちが立ち上るのを感じる。


「ほら、ここページのこのシーンがボク、たまらなく好きなんですよ。どうです? いいと思いませんか、この良い感じに現実逃避できそうな展開。たまんねえですよ」


 ハリは片手で開いてたページをルーフの鼻先へ、鼻頭が圧迫されるかされないか程に近付けて、見せつけてくる。


「………」


 ルーフはつくづく疑問を抱かずにはいられなかった。

 

 何も小説の内容が気になって、それ故にこのような距離感だと読めるものもまともに読めやしないだとか、そんな悠長な事を考えている訳ではない。


 そもそもその巻は既に読んでいて、内容も思い出せるぐらいに記憶は新しいし。


 それよりも、ルーフはページの向こうで笑顔を浮かべている人間に、その行動について思考を巡らせるのに忙しく、今は他の何事も考えられそうにない程だった。


「どうですどうです? 面白いでしょ」


 何だというのだ、この、ハリとか言う名前の男は。一応仕事を、自分を監禁、監察、監視といった名目の上で仕事を行っている、そう自称している。


 だが、しかし、ルーフの眼に映る彼の姿はどうにも緊張感に欠けていて、なんというか近所の悪がきを相手にしている暇人のような、そんな軽々しさしか感じ取れない。


 暇なのだろうか? ルーフは疑いそうになっている。


 普段はこんなにも他人に対して真面目腐った考察などしようとも、まずしたいとすら思わないのに。


 暇を持て余しているのは自分の方かもしれない、ルーフは静かに勝手に自己完結を結ぼうとする。


 当然のことながら、何の疑問も抱く必要もないほどに、この状況がとても余暇を持て余せるような代物ではないと。


 そのぐらいのことならば、愚かなる少年にだって重々実感してはいる。


 だかこうしてずっと同じ格好、ポージング、つまりは椅子にリボンでぐるぐる巻きなまま。

 同じ格好でい続けていると、どうにもこうにも余計なことばかり考えそうになってきて。


 余計な雑ごとから、その奥の奥、深淵に眠る秘密。


 生理的な瞬きから誘発されるフラッシュバック、そこから逃れるためにせめて今だけは現実に対して思考を巡らそうと画策する。


 そうすることで嫌でもルーフは現状を、視覚として与えられるだけの情報を嫌に冷静に受け止とめようとする。


 何度目かどうか、数える気すら起きない瞬きをもう一度。他にすることもなしと、とりあえず目の前にぶら下げられている文庫本タイプの小説。

 

 そこに印刷されているインク、文字、単語。文章群にピントを合わせて、無理やり見せられている小説を読む、という行為をとってみた。


 眼球の正常なる働きが情報を律儀に収集して、ルーフの脳内に小説という名の作品に対しての認識が蓄積される。


 瞬きの中、暗闇に余計な映像が上書きされる。

 そのお節介が今は、彼にとってはどうしようもなくありがたいと。

 

 そんな事は絶対に言えるはずもなかった。

次に期待します。

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