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その白い肌に触れて

白の上に黒を重ねる。

 ほんのささいな感覚、違和感、そう呼ぶにも値しない程度の、赤ん坊の爪で引っ掻いたぐらいしか。


 そのぐらいの感触しかない、なかったはずなのに、なぜかメイはそれを見ずにはいられない。


 いや、受動的ではなく、あくまでも彼女自身にとっては能動的なものだった。


 だった、だからこそ。


「……! ……ひっ?」


 メイは自身の意識をその時、瞬間の速度で酷く後悔することになる。


「なに……なにこれ……? 動いて、いる?」


 何とかして絞り出した声は頼りなく、布が擦れ合う音よりも頼りないものにすぎなかった。


 だがメイにとってその声は、紛れもなく自身のものとして自覚しているはずの音声ですら、今はどこかよそよそしいものとしてしか受け止められない。


 自身の認識など、どうでもよいのだ。


 もはや具体性すら持ちあわせようとしない命令文の元、彼女は片腕にレシピブックを抱えたまま、もう片方で今しがた触れようとしていた本棚に、木材に再度触れてみようとする。


 してみたいと思って、しようとしてみたものの、その指先はやはり寸前の空中を泳ぐばかり。


「生きて、いる?」


 肉体が命令を果たせなかった分を取り繕うかのように、彼女の唇は限りなく無音に近い鳴き声を言葉として、感想として、現状に対する意見をコソコソと述べる。


 思えばこの空間、魔法使いによれば図書館ということになっている、この異様な光景はかなり広い目をもって解釈してみれば、構成部分がほとんど木材となっている。


 そこに非常識な質量をもって内包されている資料の山々、峰々を取り払ったとして、後に残されるのはその大体が木で作られた本棚しかない。


 自身の見てきた見解が正しければ、つまりはそういうことになってしまう。となればやはり、先ほどまで通過してきた空間は植物によってできている。


 そういうことになる、そういうことならばまだ。まだまだメイにとってもそれなりに、多少の無理があったとしても納得の及ぶ事象として、しぶしぶ受け入れられる。


 だけど、そんな薄っぺらい思いやりも、軽率に大人らしい忖度(そんたく)も、結局いま自分がいるこの現場の前ではすべて無意味と化す。

 メイはそう思わざるをえなくて。


 それでもやはり諦めきれずに、自身の納得が、感覚に基づく常識がまだ、もしかしたら届くのではないかと。


 淡く、静かなる切実さのもとに意を決してそこへ、部屋の一部に触れてみることを決意した。


「……っ」


 震える手。まず最初に爪の先が触れる、伝わる衝突としては期待していた通り、頼りがいのある硬さがある。


 爪の先の、たったそれだけの感触だったらなんら可笑しくはない、普通の木ではある。


 だがそれがなんだというのだ、そんな胡麻つぶひとつ分の証拠がなんの役に立つ。


 他の誰に言われることも必要とせずに、そんな事はメイ自身が誰よりも理解しきっている。


 だからこそ彼女の指は、手は、腕はそこで進軍を止めようとはせずに、そのまま己の肌を。擦り傷やら切り傷に赤々と火照る皮膚を、温度があるはずのない物質へ密着させていた。


「あたたかい」


 率直なる感想が意識を通り抜けて、懸命に追いつこうとしている理解さえも置いてけぼりにして、唇の合間から零れ落ちた。


 何も間違ったことは言っていない、聴覚が言葉を受け取り、メイは少し遅れ気味に自分の言葉の意味をじっくりと噛みしめ。


 手のひらは口の動きよりも早く、より的確かつ確実な情報を得るために接触を継続している。


 呟いた言葉のとおり、何の演出も脚色も、嘘偽りも何もなく。

 その白い本棚はあたたかったのだ。

 


 ほんのりと、熱くもなく冷たくもなく。もしもその温度に間食という概念を植え付けるしたら、まさしく真綿か、あるいは絹糸、羽毛でもいいかもしれない。


 とにかく柔らかで、心地が良いということだけが伝わればいい。どの道それが真夏のアスファルトほどの煉獄だろうが、あるいは真冬に放置した金属板の如き凍土だろうが、そんなのは大した問題ではないのだ。


 重要なのはなぜ、どうして、その色合いからして若干の違和感こそ含まれていようとも。


 それは単なる木材でしかないはずなのに、どうしてそれが、こんなにも親近感のわく温度を保ち続けているのだろうか。


 メイはそこに触れて、触れつづけながらも脳内からは留めようもなく、はてなマークを全身に氾濫(はんらん)させていた。


 部屋の暖かさによるものだろうか、まず最初にその考えが浮かぶ。

 

 メイは触れている手をそのままに、胴体と首だけを軽く動かして部屋の中を見渡してみる。


 最初に見たときと同じく、天井からの光は緩やかに回転を、円柱の中身をくりぬいた形の構造は縦長に。


 遠い天井がうっすらと寂しげに、緩やかな客船を描いている壁には多数の資料と、時々少しだけ雰囲気のことなる。


 あれは画集だろうか? メイは軽く予想をつけつつも視線を動かし続けて。


 最終的に部屋の中心にあるものへと、そこには植物が生えていて、底だけが異様に明るく緑に溢れている。


 中庭のようなものなのだろうか、こんな地上であんな穏やかそうな風景を見ることになるとは。


 メイは少しだけそちらに意識を向けかけて、しかしこのままの姿勢だとまともに観察も出来ず、それにそろそろ腕が疲れてきたと。


 光へ手を伸ばすために、体をそこから離そうとした。


 そう思うや否やに。


「うひい?」


 離れようとしていた寸前のそこに駆け巡った躍動が、彼女の全身にゾワワワと悪寒を電流の如く駆け巡らせる。


「い、いいい、いま……動いて、動いた?」


 確認の言葉も必要ないぐらいに、メイは自身の皮膚感覚が捉えた瞬間をはっきりと意識の内に捉えていた。


 確かに、間違いなく、たったいま本棚が、触れていた白色がピクン、と動いていた。


 もっと正確な言い方をするとすれば、脈動していた、の方が近いかもしれない。


 とても身に覚えのある、覚えがありすぎて日頃は意識することすらない。


 生き物としてこの世界のありとあらゆるところで活動している、そう言った存在が皆等しく、形状こそ大きく差異があれども、基本的な役割自体は平等に同様とされている。


 だからとてもよく知っている、そうであるが故に有り得るはずがない感触に、メイは限りなく恐怖心に近い震えを全身に。


 しかし実施際に恐怖の対象と触れ合っている手は、なんともしつこいぐらいに密着を止めようとしていなかった。


 これがもしもメイのよく知っている、彼女や、彼女以外の多くにも内蔵されている昨日による現象だとすれば。


 このまま待ち続けていればもう一度、彼女はそう期待していて、同時におきなければいいのにと。

 そうすればこんな気持ちも抱かずに、何のしがらみもなく次の行動に移るれると。


 相反していながらも、そのどちらもが同様の質量を担っている思考の板挟みの中。


 だが結局彼女の意識の方向など関係なしに、本棚はあくまでも自身の存在としての活動を続けるだけだった。


「やっぱり、間違いないわ」


 二回目、三回目、繰り返される脈拍の中、連続性がメイの動揺をなだらかに凡庸(ぼんよう)としたものに変化させてしまう。


「この本棚は、……いえ、この図書館は……」


 確信に近しい、しかしまだ仮定にすぎない。

 言葉の先が言えなかったのはその不安によるものなのか、決してそうとは言いきれないとメイには分かっていた。


 ありえない、なんて台詞はここでは通用しない。


 そう理解してはいるものの、それでもこうして実際に場面に遭遇してみると、どうして心というものはこんなにも意固地になってしまうのか。


 未熟なる精神に幼き魔女が自己嫌悪をしている、その指先では白い樹皮が無関心そうに脈拍を、それに伴うかすかな呼吸を静かに、穏やかに繰り返していた。

今日はゆっくりしたい。

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