静寂だけが答えでした
赤いじゅうたん。
「はい、どうぞ」
傍から、なんて客観的視点を必要とすることもなく、キンシからしてみれば何故幼女がいつまでもそれを受け取ろうとしないのか。
彼女の内に回る逡巡など知ったことではないと、躊躇などあるはずもなく。
さっと渡される、瞬きをもう一度する頃には、メイの手の中には小瓶が収められている。
「うわわ、わわ……!」
滞り、濁りかけていた思考に現実の感触がもたらされ、メイはほんの少しだけ狼狽える。
だが実際に触れてみればすぐに違和感も迷いも消えて、彼女は自らの皮膚でその物体を実感する。
それは冷たかった。繊細な見た目とは裏腹に、こうして手に取ってみればしっかりと、物体としての重みを感じ取れる。
「わあ……きれい」
目で見ている分にはどこか遠い世界の生き物のようだった。
自分とは違う世界に生きていて、それはどこか天高く美しいところ、下賤のものが手を伸ばしたところで届きようのない。
繊細さを極めたと賞賛しても過言ではない、そんな造りは女神か何かの所業に見えていたのだが。
「それはオーギさんの最新作……、ということであってますよね?」
「先生の言葉は正しいです」
魔法使いと魔法剣士のやり取りを横目に、こうして手に触れてしまえば、それはやっぱり単なるガラスの塊でしかない。
しかし、現実感を得たとしてもその物品の美しさそのものが失われることはなく、むしろ実感を得たが故に安心感を、そこからさらに賞賛の念が強まって来てさえいる。そんな気がする。
「それで、これは一体なんなのかしら?」
最初の方こそ正体不明が故に重苦しく感じた、しかし皮膚を通じて存在を確認してみれば、小瓶はあくまでも小瓶らしく。
メイの指でも軽々しく持ち上げられるほどの重量しかなく、彼女はそれの正体をもっと探るために部屋の照明にかざしてみた。
と、すると小瓶の中でタプン……と何か、柔らかいものが躍動する微かな音が聞こえてきた。
「なかに何か……、これは液体、かしら?」
金色がきらめき、赤色に透ける内部。そこには粘性の少ない透明度の高そうな液体が、小瓶の体積的に半分よりも多めに内包されている。
「ああ、あんまり激しく動かさない方がいいですよ。中に入っているのは毒ですから」
さらっと告げられた衝撃の事実、メイが小さく「いひいっ?」と悲鳴をあげると同時に。
「まあ、でも、彼方さんにだけ効く毒ですから。僕たち人間にはたいした害はありませんよ」
キンシがどこか楽しげに補足をいれたのが、ほんの数秒内での出来事。
「とは言うものの、眼とか鼻とかの粘膜や、大量誤飲はさすがに禁物ですけども」
次々と伝えられる事実にメイが硬直しきっている、その間にキンシは彼女の指から小瓶をささっと回収してしまった。
「えっと、えと……。それで、それが一体、この図書館となにが関係あるのかしら」
瞬間的に膨れ上がった危険信号と、実際はそこまで重大な事態でもなかった期待外れ。
状況の流れに肉体が追い付かず、未だにドキドキと高鳴る心臓がようやく落ち着いてきている。
溜め息を一つ、深々と。幼女からじっとりと責めつけるかのような視線を向けられているにもかかわらず、魔法使いは淡々とした状態を崩そうとしない。
「関係あるもないも、まさしくこれこそが、僕とトゥーさんと、そして先代のキンシと関係者の方が求めた。この図書館にとっての資料、収集及び回収対象、なのですよ」
最初の方こそ脳味噌に沸き立ちかけていた苛立ちに押し流されそうと、しかしそれ以上にメイは魔法使いが供述する無いように意識を吸い取られていた。
「資料、それが」
言葉に対する一方的な思い込みでしかない。そう理解してはいるものの、しかし瀟洒なガラス瓶が「資料」として扱われることに、メイはどうしても違和感を抱かずにはいられなかった。
「正しくはこの水薬入り薬瓶の制作方法、つまりはレシピ、とでも言いますか。それが収集対象になりますね」
キンシは赤と金色に輝くそれをじっと、どこか愛おしそうに見つめている。
その様子を見上げるメイは瓶とその魔法使いに対し、どこか類似性を抱きそうになっていた。
もちろん、同じ視界に入っている無機物と有機物などにどこも近しい所は……。
無い、と断定することは出来ず、メイはふと薬瓶とキンシの左目を見比べて、ああ、そう言えばなんだか色が似ているな、と勝手にこっそり納得をしている。
「かさねがさね失礼しますが」
メイの視線を引きずったまま、キンシは懐に薬瓶をそのまま仕舞い込む。
そんな雑に扱ってしまったら、それこそ自信が最初に危惧した事態になってしまわないか。
彼女の不安を他所に、しかしキンシの上着は一体どこにそんな柔和さを秘めているのかどうか、いまいち分からないほどに、すんなりと繊細なガラスをすっぽりと受け入れ飲み込んでしまう。
彼女の視線がじっと自分に向けられている、キンシはあえて魔女と視線を交わそうとはせずに、まえを剥いて足を動かしたままに、再びぽつぽつと語りを再開する。
「メイさんは魔法使いが、この灰笛に限定されず、この世界全体に広く一般的に流布している魔法、それを使用するための魔力と言う概念。なんら珍しくも無く、なんの特別性もない」
いきなり何の話をするのだろう、そう疑問に思っている彼女を他所に、キンシは一方的質問文を突き付けてくる。
「メイさんはご存知でしょうか? そういった魔力的事象に満ち溢れている、この世界において。全ての人間が魔法を使うことが出来る、そうであって。いえ、そうであるが故に、普通の人々と僕たち魔法使いが異なる存在として扱われている。その区分の基準について?」
一般の世界を生きている人間と、そうでない人間。
「魔法使いでない人と、魔法使いである人、の違い」
「ええ、そうです」
いつの間にか自然な流れとして。キンシとメイは再び手を取り合っていた。
左側の腕は魔法使いに任せてあるメイは、自由が許されている右手を胸の前に運んで小さく寂しげに拳を作る。
「違い、それは……」
考えて考える、自らの肉体に与えられた魔女としての知識、そしてメイとしての記憶。
特に何のためらいもなく、またそういった感情を引き起こす必要性も無く、メイは魔法使いからの質問に答えるために、脳内で情報を整理する。
そして、さして時間もかからぬうちに彼女の思考は唇を動かすことを決定していた。
「魔法使いとそうでない者たちの違い、それは」
「それは?」
「それは、そんなのに明確な線引きはされていない」
「おお、正解です。その通りです、ザッツライト、です。流石ですね」
メイの回答に対してキンシは若干おおげさともとれる反応を返す。
「いえね、実際その通りなのですよ。こうして魔法使いとして日々の糧を得ている身としては、常々この身にその事実が染み渡るほどですよ」
キンシは時々少しだけ歩みを緩めて、視線だけで周囲を確認しつつ現在位置をとらえている。
その動作を繰り返しながら、唇はとある事実をどこか余所余所しさを感じさせる滑らかさで舌の上に並べていく。
「本当に、割とマジに、魔法使いなんて不確かな職業もなかなかないものでして。それこそサバサバ系を自称する女性並みに信用ならない、ってのはオーギ先輩の受け売りそのまんま、ですけれど」
慣れぬ言い回しにキンシは少し恥ずかしそうにして、唇を触りかける指を首元でぐっと堪えている。
「うーん……」
自分自身で答えを導き出してはみたものの、しかしいまの心理状態で納得を得たとしても、大して意味は無いだろうと。メイは無言のうちで諦めをつけていた。
黙り込んでしまった彼女からもたらされる沈黙を割り裂いて、キンシは平然とした様子で言葉を続ける。
「だからこそ、ただでさえ曖昧な境界を少しでも、実感が持てる程度にはっきりとさせなくてはならない。どうせ僕たちは人間と言う生き物で、そこには縄張り意識が必要になってきますから」
視線はどこか遠く、もしかしたらここにいない誰か、自分以外の魔法使い全てに向けられていたのかもしれない。
「だから、僕らは、魔法使いたちはルールを決めて、それを守ることにした」
胸の前に停止していた指を開放して、メイはそっとキンシの方を見やる。
「そのルールとは」
彼女にも、自らを魔女と名乗る彼女にもその答えは何となく理解しているはず。
それでもあえて聞いてくれる、彼女の質問にキンシと言う魔法使いは平坦とした音色で答える。
「それは」
よくある話だと思いました。




