ひとりごとは聞かれたくない
設定上の問題。
「何だというのだっ!」
少年のルーフが視線を逸らそうとしている、ちょうどそのタイミングで大人のルーフが声を張り上げた。
唐突が過ぎる大声はそれまで静謐に浸されていた空間を激しく振動させ、ビリリとした震動に少年が「うぎあっ?」と死に際の蛙のような呻き声を漏らしている。
「そうだ、そうだとも………」
大人は周囲のことなどまるで見えていないと言う風に、勝手に話を進める。
「………。人間と言う、あらかじめそう呼称された種族になるようプログラミングされた。すでに確立されきった生命体が個体としての時間を開始する、その瞬間。時点により架せられた人生と言う括り。文明と共に人間をその生物たらしめ、そしてある一定の限界に縛り付ける。それは呪いに近い、概念と言えるのかもしれない」
語る彼は僅かに上を向いている、その瞳には今誰も映っていない。
「人が人であるために、無意識と意識の狭間で作成した堅牢かつ絶対不可侵の檻。王者たる発展を、神話の神の如き技を与え、同時に蠕虫にも劣る屈辱をもたらす。
これはもう特性としか言いようが無い………。
………液体のように実体は不確かで、だが鋼と同等、あるいはそれ以上の重さ。
わたし、………我々、に下され続ける永劫と永遠の罪。終焉を迎えることのないループ」
「………、はあ」
何のことかさっぱり、これまでの、そしてこのままだとこれからも、現状に意味不明が累積しそうな。
そんな事、そんな期待ばかりが実現を結ぶ。
少年は今更ながらにそんな現実、及び目の前でいけしゃあしゃあと状況に演出をもたらそうとしている大人、その他諸々。
現在の自分を取り巻くすべてに、焼けつくような苛立ちを覚え始める。
眉間にしわを寄せている少年、その表情を見ているのかいないのか、いずれにしても大人は楽しそうな雰囲気を周囲にはなっている。
ルーフは瞬きを数回ほど、少しでも視界をクリアにして、他に出来る事も無くただただ目の前の大人をさらに、もっと細かく観察しようとして。
しかしすぐに諦める、あの人間からは、今のこの世界が愉快でたまらないと言った感じの、あの大人に何を、自分が何を期待できると。
少年が諦めている、そのそばで大人の男性は酩酊したようにトロンとした、それでも焦点は一切ブレない瞳で。
唇からは低く響く、少し力めば周囲に雷鳴の轟の如き衝撃を与えられる。
そんな可能性を軽々と放棄して、大人の男性は柔らかな声音で歌うように言葉を紡ぐ。
「計画だ、全ては計画の上に記された言葉によって行われ、終わりを迎える」
どこかで誰か、彼が一人その場から動けないでいる。
しかし彼女は勝手気ままに、自由を謳歌するほどの勢いで動き回っていた。
だがそれはあくまでも体だけの問題であって、メイ自身のこことはとてもじゃないが晴れやかとは言えそうにない。
「……」
これからどうなるのだろう、自分はどうすれば良いのか、何が最善の選択で、せめて最悪を避けれる言葉さえあればよかったのに。
なんて、三文アマチュアおとぎ話も失笑するような願い事を、ひとりポツポツと。
メイは隣にいるキンシに手を引かれつつ、痛む体を引きずって、だが同時に痛覚を凌駕するほどの感情の流れに身を晒していた。
「それにしても、ここはとても広いのね」
暗闇と断定づけられるほどでもないが、しかし決して明度が人間にとって適切な領域をクリアしているとも言えない。
歩いて進むには何の支障もないが、それでもずっとここで過ごしていたら、人体に何らかの悪影響を及ぼしそうな。
そんな感じの図書館が延々と、もしかしたら永遠に続くのではないかと錯覚し、不安をあおるように広がっている。
「心なしか、奥へとすすむごとに、どんどん部屋がひろがっているような、気が……?」
いつまでも、何時までも、どこまでも、ろくに会話も無く歩いているなかで、メイはついつい不安げな感想を漏らしてしまう。
「もしかして、このまま外に出られなくなったら……」
ほんの冗談、決して事実になってはいけない、ちょっとした軽口のつもりだったのだが。
「あー、その可能性は無きにしも非ず、ですね」
しかしこの場の支配人、少なくとも自分ではそう名乗っている魔法使いが、なんとも真剣そうな面持ちで反応をしてきたので、メイは思わず心臓がびくりと跳ね上がるのを胸の内で感じていた。
彼女の動機に気付いているかいないか、それらに関係なくキンシはいけしゃあしゃあと口元を緩めている。
「入るたびに部屋の構造が変わるので、僕でも時々迷うことがあるんですよ」
そんな危険なダンジョンにやすやすと足を突っ込んでいいものなのか、メイはさらに不安を覚えたが、しかし何も言わないでおいた。
助けを求めて、それを快く受理した相手に、これ以上何を望むというのか。
「そう、すごいのね」
心にもない感想を口に、しかし喉の奥ではいまだに迷いが黒々と粘性をもって渦巻いている。
だから突然、
「モルガンの御心配は不必要かと思われます」
背後の辺りで男性の声がのびてきた瞬間には、名実ともに心臓がはち切れんばかりに驚いてしまった。
「きゃああ?」
メイの方が先に悲鳴をあげて、
「あ、トゥーさん」
キンシが特になんて事もなさそうに、しいて言えば隣にいる幼女の悲鳴に少し肩を震わせる、その程度の反応で後ろを振り向いた。
「先生」
二人の子供の視線の先、そこにはトゥーイが立っていた。
露わになっている唇は静止画のように、薄暗い部屋の中でも左目の虹彩が妙にはっきりとしている。
先にキンシの方に軽く目配せをした後、トゥーイは滑らかな動作でメイの方に注目して。
「ご心配は及ばず、先生は高確率で王様を救うことを決意して足腰は迷わず進む」
首輪のような装置から音が発せられる。
内容云々の問題はともかく、それでもメイはこの状況と、彼の乏しいが過ぎる表情のほのかな動きを一通り観察して、彼の意思を何となく予想した。
「うん、そうね……。不安ばかり抱いてもしょうがないわよね」
自分自身に言い聞かせるようにポツリと、そのままにもう一度部屋の中を見渡してみる。
「でも、やっぱり不思議な場所。どんどん息が苦しくなってくるような……」
部屋の構造自体は何も変わっていない、相変わらずそこら中には本が詰めに詰め込まれまくっている。
照明も一体どこからかき集めてきたというのか、ある一定の間隔で適切な明度を空間に与えている。
それなのに、この息苦しさは何だというのだ。
よくわからない、理解が追い付かずに不安だけが募っていく。
「ここには、どれだけの本があるのかしら」
思えばこれだけの本が、本に限定せず同一の物体が同じ場所に集められている。そんな光景を目の当たりにしたのは、メイ自身の人生にとっても初めてのことだった。
この世界のこれだけの本が、文章が、物語が書籍と言う形で作成され、この世界に存在しているとは。
予測は出来ても、それでもこうして実物をまざまざと見せつけられると、逆に嘘くさくてフィクションじみて。
どこかふざけた、馬鹿馬鹿しく下らない光景にすら見えてきてしまう。
「もう少し綺麗に、ぴっちりと整理整頓したいんですけれどね」
キンシが少しだけはずかしそうに、指を唇で軽く撫でる。
「どうにも僕では、うまく彼女をコントロールできなくて……。いやはや、こんなんで館長を名乗ろうとは、まさしく失笑ものですよ」
どこを見るでもなく、あえて言うなら書棚の一部、本の背表紙に目を向けながらキンシがひとり呟いている。




