目玉ちゃんは照れている
あああああ。
自身の中で生まれつつある、あるいはすでに成長を終えている偏見。
それに対して、魔法使いは寸前に言いわけをしたかったらしい。
「いえいえ、いえ。別に僕は、彼がよもや日々の糧に小説作品を組みこんでいるだとか、そんな、意外なる自身との共通点に、ちょっとした吐き気をもよおしているだとか。そんな、失礼ここに極まれりなんてことを、考えている訳では、けっして」
だが案の定言葉は失敗をして、見事なまでに不躾な言い回しがすらすらと口から滑り落ちてくる。
「ないわけですよ、だから……。あ! それはそれとして、その本は、シリーズは中々に面白いですよね。いえ、別に語れるほど詳しいわけではないのですが。しかし、かつて僕がタイトルにファンタジーを期待して、その実がサイエンスフィクションだったことは、僕の中ではランキングトゥエンティーに食らいつく程の珍事でして」
相手が手前勝手につらつらと無意味で、詭弁とも取れぬ雑音を並べ立てている。
それを他所に、横目で軽く眺めながら、メイは手にしていた本をもとの位置に戻す。
隙間、空白、その均衡を一切崩さず、他人行儀な空間にすっぽりと一冊を埋め込む。
そうすると途端に、それまで必要最低限の個性を放っていたはずの物体が、人混みに飲み込まれた幼子のように個体としての存在感を失った。
そんな気が、錯覚だったのかもしれない、そうであったとしてもメイはそう思わずにはいられない。
「いろいろと、気になること、ききたいこと。いえ、問いただしたい、詰問したいことがたくさんあるのだけれど」
屈むと腹部の傷が痛むため、膝を曲げる格好で収納をする。
キンシはそんな彼女の、大福まんじゅうのような背中を見下ろしながら一瞬口を止め、静かに返事をする。
「何でしょうか? 何でも、何なりと、僕に出来る範囲内では、貴女の要求にぜひともお答えしましょう」
嘘である、この返事は半分が、いや、むしろほとんどが虚構によって塗り固められている。相手はほぼ絶対にこの事、この空間に対して追及されたくない。
そう願っている、そのことを発揮と想像できる。そうしておきながらメイは質問を、己の好奇心を留めておこうともしない。
「あなたは何者なの? そんな若いのにこんな危険なところで、戦闘魔法使いだなんて。危険なお仕事についている、だとか、いまさらそんなことを気にはしないけど」
「広いお心遣い、尊敬と共に感謝感激雨あられ、です」
いつも通りだったらそこで一つ、いかにも演技くさいお辞儀でもする所、しかし今は体を前屈させられるような状態ではないと、キンシは口元にぎこちない笑みを浮かべることしか出来ないでいる。
注視も正視もすることなく、それは単に位置的な問題もあったのかもしれないが、それ以上に彼女にとって魔法使いがどのような表情をしていただとか、そんなことはミソッかすほどにどうでもよくて。
「でもさすがに、いくらあなたが軽快さをよそおった言葉をかさねてみたところで、この空間を所持している、そして管理下においていること。そのことについての異常性についての、納得のいける証明にはなっていないと、そう思わない?」
我ながら長ったらしく、そして回りくどい上に嫌らしい追及の仕方であると、メイは自分の言葉に自身で、それこそ真面目くさった吐き気を覚えそうになる。
「ふうむ」
言いたいことを言えるだけ、言い終えた後に何とも形容し難い酸味が口内に侵入しかけている。
自分の方を見ようとしない幼女の背中を凝視しながら、キンシはため息とも呼吸ともとれる吐息を漏らす。
それに畳み掛けるつもりはなかったのだが、しかし内部から湧き起こるドロリとした正体不明の感情に、堪えきれないメイの唇は動きを止めようとせずに。
結局は問い詰める形になってしまっていることに彼女自身も気付けないでいる。
「戦闘にかんして異様に優れていることも、その目と体の痣のただならぬ雰囲気とか。極めつけはこんな、ふつうの魔法使いとして生きていたらまずでにはいらない。そんな特殊空間、結界、サンクチュアリとでも言うべきなのかしら? そんな、そんな貴重なものをもっているだなんて」
しゃがむ体勢がきつくなってきて、あるいは思考の漏洩に耐えきれず、すっかり自身の置かれている状態のことを忘却しきっていた。
「あ、うわ」
電撃のような速さで、暴風雨のごとく感覚に激突してくる痛覚。
疲労、血液の不測、その他さまざまな要因を鑑みることなく稼働を図った彼女の思考に、肉体が舌打ちをするかのように狂暴な立ちくらみを引き起こそうとする。
重力に立ち向かえるほどの体力も残されていなかった。
だからこそ彼女は自分の頭蓋骨がこのまま、今しがた注目の的になっていた本棚へと激突する。
暗い紫色の衝動の中にチラチラと白い星々が散りばめられる、メイはそんな光景を期待したのだが。
「おっと危ない」
しかし彼女の予想は例のごとく外れ、腕に引力を感じる。
と思ったら、背後で割とただならぬレベルの崩壊音が鳴り響いてきた。
がささささっ、いくつかの髪の塊が重力に晒されている、そんな効果音を背後にまたしても自分の体が他人によって支えられていることにメイは恥ずかしさと、ほんの少しのやるせなさを覚える。
「あー、えっと……ごめんなさい」
感謝を伝えるよりも先に謝罪が口に出る、彼女の両肩をそっと支えるキンシはどこかぎこちない笑みを浮かべていた。
「いろいろ沢山大量に、気掛かりなことはあるでしょうとも。他人事ながらお気持ちはじゅうぶんに、お察ししているつもりですが。なんて、僕から言っても説得力の欠片もございませんけれど」
メイは首を動かすこともなく、視線を左斜め下あたりに少しずらしてみる。
そうするとキンシの左手が、爪の先から手の甲にいたるまでみっちりと、黒々とした痣に染められている皮膚が視界に認められる。
やはりこれは刺青なのだろうか、それにしてはなんとも、どちらかといえば傷跡、かなり重症の火傷が治癒した跡に見えなくもない。
「痛くない?」
「へ?」
自然と、ほとんど無意識に近しい領域から湧いて出た言葉。メイ自身が理解を追いつかせるよりも早く、キンシがいたって当然の疑問を呟いていた。
「何をですか」
「ううん、なんでもないの」
少し気まずくなったメイは倦怠感に構ってもいられず、サッと魔法使いの腕から離れようとする。
そうすることで嫌でも魔法使いの、キンシの何物にも覆い隠されていない顔面を真正面から、間近に観察する形となってしまう。
「なんでも……ないのよ」
見たくない、そう言うことになるのだろうか。そうは思いたくないにしても、しかし視線は味のない誘惑のもとで魔法使いの顔の左半分、その眼窩にあるべき空洞に吸い込まれていく。
「……」
「おお……、何ということでしょう、女性にこんなにも情熱的に見つめれられる日がくるなんて。去年か一昨年あたりに一人枕を濡らしていた僕に、ぜひとも教えて」
キンシは調子のいいことを言いかけて、しかし途中ですぐに諦めをつける。
「いや、まあその、そんな事実は一切合切ないですし。うん、そうですね、貴女が気にしていることは、そんなことではい。ですよね」
微妙に恥ずかしそうな笑みを浮かべつつ、キンシと名乗る魔法使いは自らの左目を少し指で撫でつける。
「ふむ、ふむふむ、しかしそれでも、それであっても、ですよ。メイさん、そんなに僕の左目を注目していたら、それこそ眼窩から直接水が溢れんと、気持ちが高ぶって……」
「その義眼は鉱物、魔力鉱物でつくられている、の、かしら?」
キンシの語りを意図的に遮る形で、メイは一方的な質問を投げつけていた。
ああああああああああ。気象病つらたん。




