お化けはあちら、鬼は勝手に
適当
新鮮で瑞々しい渋柿でも食らってしまったかのような、実際にそういった食品を口にしたことは彼女の経験に含まれてはいないのだが、しかしそれ以外の形容も特に思いつきそうにない。
そんな表情で、体に沢山の書籍を搭載したままに、キンシは魔女に向けてそっと反論を差し向ける。
「その意見はとても素敵に的確さを表して、は、いますけれども」
「ちょっとちがうと、この図書館? でいいのかしら」
その名称で呼ばれる公共施設以外に、はたしてどのような言葉がこの異常なる空間に添い遂げることが可能なのか。
色々と考えかけて、しかし今はそれどころではないとメイの中の冷静さが判別を下す。
「ここは、たんじゅんに都会の地面のした、地下……地下鉄のように線路がせっけいされているだとか。そんな親切なものではけっしてない、と、あなたは言いたいのね?」
キンシははっと驚いたような顔をして、しかしすぐさま瞳に暖かな温度のある納得をじんわりと宿す。
「そうです、ええ、そうですとも。流石、魔女さんはそういった、魔力的幻惑系の術式にお詳しいのですね」
キンシからの単純明快な賞賛をサラリと受け取りつつ、言葉だけでは幾らでも言いようがあると、メイは思い切ってこの、奇々怪々な部屋の一部へ直接ふれてみる。
そっと、またしても理由なき呼吸の殺害を。自分から発せらえる音をできるだけ、出来得るだけ少なくして、ツンととがっている桃色の爪先が本棚へ、それを構成している物質の表面に接触する。
「!」
瞬間、瞬きに繰り返し移るまぶたの裏側になにか、どこかしらの場景が映る。
それは光のように、まさしく明滅の速さで彼女の意識を通り抜けていく。
はたして何なのか、あまりの速さに正体を掴むことはほぼ不可能に近しい。
それでもメイは確信を、その風景はおよそ他人行儀で、自分の意識が保有している限りの記憶になんら関連性はないと。
そうした感覚として受け入れるべきかどうかも怪しい、あいまいな違和感のあいだに、彼女の指は完全に本棚の一部に密着するという目的を果たしていた。
「これは……」
あちこちに擦り傷やら切り傷にまみれていて、今更ながらにその醜態が惨めな気分を増長……。
などと、自身の症状に弱冠気をとられつつ、メイはピリリとした痛覚などお構いなしに、じっくりと味わうかのように本棚の感触を皮膚で確かめてみる。
「見てのとおり、材質は木材のよう、だけれど」
ポツリと思ったことを言葉にしてみて、そうすることで少しでも的確な表現を生み出そうと、彼女はそう試みたものの。
「なんだか、なんというか……。……へんな感じ」
気持ち悪い、はっきりとそう言えば良かったはずなのに、どういう訳か彼女の唇はとっさにその感想をサスペンションして、そのかわりに毒にも薬にもならなさそうな。
そんな感想を口走っている。
実際その棚は、棚を構成している木材は樹木そのもので、それ以外の生命を感じさせない隙のなさがある。
冷たく、すでに生命体としての役割を……。
「違う」
言い訳じみた逃走思考が通り抜けかけて、しかし深みに落ちる寸前でその場に留まる。
はたしてその通りなのだろうか、本当に、この木は既に命を終えているなどと。
そんな事が断定できるのか、いいやできない。
さして面白みもな言い回しの後に、不意に彼女の視線がとある所に定められ固定される。
相変わらずの書籍の連なり、この部屋で数分過ごすだけでも三日間ほどは紙の本を見たくなくなる。
それぐらいに大量の本が詰め込まれている、そういった空間の中でもひときわ薄暗く、ランプの光も届かない隅っこに置かれている。
およそ清潔とは言い難い厚みがある埃の下、絶妙に閲覧しづらい位置にある。
その中においても本そのものの状態は清潔に、一切の日焼けも起こさずにきっちりと保管されている。
メイにとっては、過去に生きて現在にまで至る彼女の人生において、かなりの確率で有効性の低い資料。
整然と平坦に、ぴっちりと想定されてある背表紙の中に、ぽつねんと異質な物体が、さも当たり前化のように収納されている。
もしかしてこの図書館には索引順というものが、少なくとも外見的には存在していないのだろうか。
もしそうだとしたら、実際にここを使う利用者はどうやって資料を探すのだろう。
これだけの量を目測で検索するのは、幾らなんでも無理がある。
ただでさえ多すぎる上に、番号もろくに振り当てられていない、ジャンルも不順で混雑を極めている。
その証拠に、明らかに場違いな本が一冊紛れ込んでいるではないか。
こんなの、これじゃあ、はたして図書館と呼称するに値する機能を、使命を果たすことが出来るのか?
疑問は尽きない、それを考えてしまったらそもそもこの場所自体が、あまりにも非現実的すぎる。
なんて、この都市でそんな、いまさら過ぎる疑問を抱いて、一体何の意味があるというのか。
「その本が気になるのですか?」
「うわあ?」
無意味な堂々巡りに陥りかけていたメイは、それ故に背後から語りかけてくる人間の声に、先ほどとは正反対の位置関係で驚愕することになる。
「これはこれは、なんとも……」
振り向けばキンシが相変わらず重たそうな体を携えて、それまでメイが凝視していた場所を、自身もまた興味深そうに眺めている。
「メイさんは中々にマニアックな資料を好むのですね。えっと? これは偶像美術……、灰笛伝統の樹木及び植物信仰……。ふむふむ、これが仮面君の居所に何か関係があるのか、僕には全く解りませんが。しかし、きっとメイさんの中では、僕の予想だにしていない思考の方向が、」
「あ、ああ、いや、そうじゃない、そうじゃないのよ。ただ……」
勝手に自分のことを予想し始めている魔法使いを軽く無視し、メイは身を屈めて本棚の中から資料を、一冊の本を取り出す。
それは文庫本で、表紙にはアニメ及び漫画的特徴の施されたイラストレーションに飾られている。
メイは手のひらに収まる程度のそれを両手で持ち、ペラペラと一通りページをめくる。
少し大きめに印刷された文字列が高速で流れる、途中途中でモノクロの挿絵が顔を覗かせる。
「俗に言うところの、ライトノベルですね。一昔前にそれなりのムーブメントを引き起こした……、その本が好きなんですか?」
いかにも軟派な、それこそここが都市の地下深く、じめじめとした排水管の深層などではなかったら、どこでも、どこにでも繰り返されているナンパの台詞と、何ら遜色はない。
「いえ、ね」
魔法使いからの好奇心をしっかりとうなじに感じ取りつつ、メイは軽く過去回想におちいりかけていた。
「この本のシリーズが、……お兄さまのお気に入りだったものだから、ちょっとなつかしくなってきちゃって」
そうなのである、と遅れてきた自覚が納得を持ち寄ってくる。
へえ、と彼女の斜め後ろの辺りでキンシが意外そうな声を発した。
「何と言うか、いえ、個人の好みについて色々語れるような立場ではないと、僕自身が何よりも自覚しているつもりでは、ありますけれど。けれど、なんというか、ですね……」
「なあに?」
あからさまに含みのある言い淀み、ハッキリとした本音では指して興味があったわけでもない。
だが、だからと言って自分から話題を掘り起こすような気力も元気もなく、メイは何となく魔法使いに問い返してみた。
「なにか、気になることでもあるの?」
彼女に問われたキンシは一瞬慌てて、それこそ手の中の資料をその場にぶちまけそうに、それを必死に堪えるついでに口を動かす。
あああ、あああ、ああああ。




