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彼と彼はよく似ている

複製体

 首でも絞められるのかと、ルーフはそう期待していたのだが。


「よし、よし」


 男性の冷たい指先は首先などに向けられることはなく、気付けば少年は男性に頭を撫でられていた。


 灰笛の雨に散々打ち付けられ、染められ、それをそのまま放置したが故に毛先は四方八方好き勝手に、まるでそれぞれが手前勝手な意識で燃えてしまったかのようになっている。


 モジャモジャにクシャクシャな毛髪の海を、男性は生まれたての子猫を扱うかのような手つきで、少年の頭を摩擦し続ける。


「あの………えっと………?」


 先ほどの読んで字の如く殺伐とした雰囲気におよそ似合わない、むしろ違和感しかない行動にルーフが戸惑っていると。


「ルーフ様」


 また別の声が、男性のものとだけは確認できるがそれ以外の情報が全くもたらされない、人間の声が聞こえてくる。


 その声は早口で、短い単語の中でも焦りがくっきりと浮き出ている。


 はて? 人生の中で一度もかかわりを持ったことのない、記憶しているなかでは確実にそうであるはずの人間に自分の名前を呼ばれたことに、ルーフが戸惑っていると。


「分かっているさ」


 半開きのままに無言の内を漂っている彼を他所に、男性の方が何の疑問も迷いも抱かず、平然と男に対して反応を返した。


「時間がない事は十分に分かっている、だけど、無知なる子供をそのまま放置するなんて。そのような所業は許されるはずもないだろう?」


 どうにもこの男性は他人に対してハッキリとした否定を向けることはせず、何かしら遠くからゆっくりと攻め込む言い回しを好む傾向があるらしい。


 なんて、そんな分析はどうでもよくて。


「だから、すこし。もう少しだけ待っていてくれないか」


「……分かりました、ルーフ様の仰せのままに……」


 静かに声が己の従順さを男性に向けて誇示するかのように、そそくさと離れていく。


 すり足のような足を解の耳に、ルーフは目先で一番気になっていることを、さして答えを期待するでもなく相手に問いかけてみる。


「あの」


「おや、なんだい?」


「ルーフって、その、俺の名前?」


 それまでずっと、若干しつこいまでに頭を撫で続けていた指が離される。


「ああ、それはね」


 圧迫から解放された頭部に男性の声が降り注いだ。


「………わたしの名前もルーフっていうんだ、君と同じ名前、いい名前だと思わないかい?」


 良いか悪いか、そんな基本的かつ単純明快な事を聞かれるとは思わなかった、ルーフはルーフという名の、今のところはそう呼ぶほかない男性のことを見上げる。


「だがもはや意味のない名前だ、この名前に意味などない、無くなったと言った方が、近いのか?」


 それもきっと言い回しの一部なのかと、椅子に座るルーフは座っていないルーフをじっと見守る。


 しかし少年の期待とは反して、年を取っているルーフは彼から離れ、目的も無く徘徊じみた足取りの中でポツポツと、定められた台詞を音読するかのように言葉を発していく。


「受動的か能動的か、結局はそのような相対性に限定されている。だが、それももう無意味でしかない、それは、それだけは確定している」


 男性が歩き出す、トコトコと、靴と地面が小規模に衝突する音が連続する。


「しかしそれすらも無意味でしかない、全ては昨日の内に奪われる。労力は徒労で、努力は無力で、刃に裂かれれば皆等しく肉塊となる」


 トコトコ、トコトコ。

 演劇のような動きで、観客は少年のルーフ一人に限定している。


 ルーフという名の男性は少年に笑顔を向ける、丸く縁どられた藍色が陰りの中で鈍く深みを増す。


「彼の願いは無駄だった、一度として叶えられることはなく、残された名前すら定かではない裏切りだけ。所詮は過去の栄光だった、無意味だった」


「何が言いたい」


 連続する言葉のリズムに飲み込まれないよう、少年ルーフは楽しそうに微笑む男性から目を離さないよう、じっと首の筋を固定する。


「何のことを」


「ヤドリは、君のお爺さんは君に殺された、信じていたたった一つの(よすが)は彼の意図と反して、最終的に彼にとって最大の敵となった。君のお爺さんは、君を育てるのに失敗した」


 また何か怪しい催眠でも書けるつもりなのか、座ったままのルーフは期待してみたが、しかし胸の中に埋もれる心臓は不思議なまでに通常の動きをしたままで。


「君の名前、ルーフというのはね、とある一族に伝わる、………まあ、襲名みたいなものなのかな。代々の家長が同じものを引き継ぐ、継ぎ続ける、所詮は商品名のようなものでしかない」


 会話とも取れない一方的な言葉の連続。予感も期待もさせないで、椅子に座っていないルーフが少年に笑いかける。


「そうだ、君も私も所詮はいつかの時代の、もうこの世にいない人々の残影に影響された人間の内の一人でしかない。すまないね、家族の再会がこのような形となってしまって、本当に申し訳なく思っているよ」


 家族、ここ数日は呪いの元凶としてしか受け止められなかった単語。

 この世の平和か、あるいは不協和音の象徴ともとれる、短い言葉がルーフの頭上でくるりと一回転をしている。


「と言うとなんだ、あんたは俺の親戚か? おじさんとかその辺の………、まさか、お兄さまだとかいうんじゃねえよな」


 そうだったら地獄そのものである、ルーフはどこかしら面白おかしく、ワクワクと期待してしまっているかのような。そんな自暴自棄に陥る。


 だから、自分のことしか考えていなかった故に、大人のルーフがその疑問を聴いたときにどのような表情を浮かべていただとか。


 そんな事に気付かず、気付いたところで何ができたというのか。


「そうだとも、君の言うとおりだ。君はいつも正しいことを言う、間違いなんて一つもない」


 もう一度声のする方を見る、男性ルーフは最初の時と同じ笑顔をそこに浮かべている。


「さすが、今代のルーフがこんなにも優秀と見れば、かつての彼らも少しは浮かばれるだろうよ」


 そこで不意にルーフから笑顔が消失する、綺麗に真っ直ぐ整えられた唇の隙間から清潔な前歯がチラリチラリと硬質な真珠色を覗かせる。


「ああ、そうだとも。やはりその通りだったんだ………!」


 本来あるべき形状から再び上に移動させらえる、瞬きを次に繰り返す頃にそれはもう微笑みの領域から外れ、そこには満開の花弁の如き笑顔が展開されている。


「これからは新しい時代の始まり、古の王国は記憶に残されることもなく。望みのなく、願う必要もなく、君は新しい世界の王となるのだ」


 理解を置いてけぼりにして、ルーフはルーフに笑いながら視線だけを別の方向に。

 明確な指示を他人へと。


 もう一度音が聞こえる、見ると先ほどの他人と似たような、しかしよく見れば別人。


 いや、やはり同一人物か。いずれにせよルーフではない人間の内の一人が、男性の指示に従って行動を開始する。


 それを一つの切っ掛けとして、今まで無言の協調性の中で様子を見守っていた、風景の一部と化していた人々がいきなりそれぞれの個体を発揮して、しかし意識だけは同様の方向を見つめたままに。


 ごそごそと動き出す。


「一歩、我々は神の座す地へと近づいた」


 それをバックグランドミュージックとして、大人ルーフはここではない何処かに思いを馳せるかのように、視線をどこか遠くの方に放つ。


「これから、あるいはすでに始まっている。尊き計画の始まりは静謐に、それが終わる時に我々はついに救いを得る。粗雑で悪辣な生命に終了を、呼吸も言葉も」


 大人は少年の方を見る。


「全ては無意味で、世界に言葉は受け入れられず、消失は再生することはない。すべては昨日に返される」


 大人に見つめられる少年は、子供らしく怯える心に何か、何かしらの言葉を言おうとして。


「なんだよ」


 喉元の肉が硬直する、圧迫された空気に涙が滲んでいることに彼は気付かない。


「意味がわかんねえよ、そういうのはもう、間に合ってんだよ」


 それだけしか言えなかった、自分でも何のことを言っているのか、彼自身もよく分かっていない。


「君の痛みは、やがて癒されるだろう」


 しかしそれでも構わないと、自分の中に確信が。

 他の誰にもわかるはずのない、少なくとも他人に走る由もない秘密さえあればいいと。


 彼らはそれぞれに思考を沈めている。


 そこに、また何かが近付いてくる。


 人間の足音、それはもちろん含まれ入るのだが。


 大人ではないルールがそれに気づき、ゴロゴロ、ガララ、と引きずるかのような不協和音を訝しむ。


 子供ではないルーフがそれを見て、再び口元に穏やかさの象徴たる動作を刻みこむ。


「やっと準備ができた。ねえ、どうかな? なかなかに上手くできていると、そう思わないかい?」


 音の正体を確認した瞬間、少年の目はそのまま全身ごと皮膚を裏返すのではないか、それほどに見開かれることになる。


「いやはや、元の美しさもさることながら。やはり自分の使うものはきちんと、綺麗に、整えるべきだと。改めて思うよ」


 大人はそこでようやく意識を少年から離し、お気に入りの玩具を見つけた子供のように軽快な足取りで、その水槽のようなものに近付く。


「これが行方不明になった時は、それはもうビックリしたよ。居ても立っても居られないぐらい慌ててね。だけど、見つかってよかった、これさえあれば」


 それ以上は少年の耳に入ってこない。

 聞いていたとしても意味が無いだろう。


「あ」


 悲鳴をあげると、また似たような行動を起こそうとしている自分に対して無意識が呆れの溜め息を吐いているのを、ルーフはしっかりと感じている。


 そうであっても、構うものかと、今はそう思っていた。


 あんなのを見て、自分のよく知っている人間が。


「全ては尊き神々が導くままに」


 何て、なんてことを。


 ルーフは水槽の中を見る。


 ブクブクと沈んでいる。

 小さな体。


 ひたひたと濡れているのは灰色の髪。神様とか言ったか、どういうことなのか。


 ポコンポコン、空気が漏れた。


「(  )」


 眠っているのだろうか、その下に灰色を潜めているはずのまぶたは硬く閉じられている。


 安らかに、気持ちよさそうに。

 まるでこの世界の全ての嫌なことから目を閉ざして、甘い眠りについている。


 ルーフは羨ましいと思った、今この時だけは水槽の中の幼児に強く、海よりも深い羨望を抱いていた。


 しかしその感情はすぐに消える。

消耗品と貴女は言いました。

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