方向性の違いによる解散
聞かなかった事にしよう。
言った途端に彼女は言葉を残す唇に手を添えて、まるでそうすることによって物理的に音を封じ込めるかのように。
そしてそのまま指の先を胸元へ、膨らみのない肉の上に添えてうつむく。
「いえ、この言いかたは断定的すぎるわね」
「と、言いますと」
キンシは無表情で、少なくとも顔面内部に内蔵されている肉の動きのみで限定するとしたら、そこに感情は確認できそうにない。
そんな顔で、子供らしく口を開いて幼女に質問する。
「私が言いたいのは、つまり」
胸の前に作りだした握りこぶし、指を一本一本、若干煩わしいまでにゆっくりと開放する。
「表だって、それこそいつかの時代の月面到達計画みたいにお国全体でがんばってやる。なんて、そこまで自信満々にするわけではないけれど。それでも計画そのもの、それを考えて実行しようとしている人は、この世界にたしかに存在を残して、今もなお続いている。ってこと」
彼女としてはだいぶ解りやすい言葉を選んだつもりだったのだが、しかしキンシの暗い茶色の瞳には相も変わらず不可解が手で触れられそうなほどに、ありありと浮かんでいる。
言葉だけでは限界がある、所詮はただの単語の連なり、意味などない。
「そうね、こういうのは実物をさんこうにしたほうが早いわね」
なれない方向性に向けて思考を働かせるあまり、顔面に面白いしわが寄っているキンシの様子を見て、メイはまだ自分の中に現実を愉快なものと捉えることが出来る心が残っていることに気付かされる。
そんなどうでもいい事実に軽く静かな驚愕を抱きながら、彼女は胸の前で留めていた指を上に、自らの側頭部の方に伸ばし、左右両側に固定されていたヘッドホンを己の身から解放させる。
途端、人の住み家として扱うにはいささか範囲が広すぎる、そんな室内に甘く芳しい香りが充満したかのような。
キンシはそんな感覚を確認しかけたが、しかしそれは錯覚でしかなかった。
「こんなのはただの、肉体の表面上にあらわれた外見的特徴でしかなくて、なんの説得力もないけど……」
彼女の耳元には広く一般的に生き物らしい耳がある訳ではなく、そこから少し離れた、しかしなんて事もなく見覚えのある形をした紅色と黄色がほんのりと、まさしく言葉の通りに花開いている。
「今日も美しく、素敵に、綺麗に咲いていますね」
あからさまに今言うべきではない賞賛であると頭では理解してはいたものの、しかしそれでもキンシはそのような身体的特徴を持つ人間に向けてするべき、少なくとも紙の本の上ではそう推奨されている言葉を口にせずには。
理由はわからない、どうしてもその台詞を言わずにはいられなかった。
メイは魔法使いからの言葉をしっかりと受け取り、それに対して反応を、ほとんど反射に近い人間的反応を返そうとして。
しかしすぐに口をつぐみ、魔法使いと目線を合わせないように視線を逸らす。
「このように劣勢であるはずの遺伝子を都合よくかけ合せる。そういう方法自体は、この世界のあちらこちらで何度も何度も、数えきれないほどにくりかえされているわ」
何を、彼女は何を言いたいのだろうか。
「それは」
方向性の行方こそ陽炎の彼方に確認できそうで、それすらも抗おうとキンシは音声の明るさを失わぬようにする。
「それはあくまでも、植物だとか、家畜の品種改良だとか、そう言うのに限定された事で」
だが意識は本人の意向とは遠く離れた速度によって急速に答えを導きだし、やがては肉体の動きを緩慢に、未練たらしく不可視の糸を引き始める。
「そういうのを人間にして、そうして生まれたのがメイ」
だらりだらりと状況の保持を連呼する、反響を切り裂く様にオーギがごく単純で、禁止にもわかってしまえるような言い方にて、幼女の言わんとしている事柄を要約する。
「貴女だって言うのか、人の手によって作られた生き物、いや、生まれるまえから人の意識が介入されている。……クソ、こういうのってなんて言うんだっけか。人造人間」
何となく出てきた言葉、大して意味を含ませていたわけでもないそれ。
「いいえ違います」
しかしそれを何かとても恐ろしいものとして扱うかのように、しかし同時に本人はそのような心理など一切抱こうともせず、先輩の隣で後輩は定まらぬ視線の中で唇を動かす。
「遺伝子導入、遺伝子組み換え、それらは総じて遺伝子操作、あるいはバイオテクノロジーとして扱われる。しかしそれは違います、人間を対象とする場合には呼称を変更させる必要性が」
考えようとして、だが所詮は理解の範疇外にある事柄、見たことのない出来事に関しての言葉を脳が有しているはずもなく。
「だから違うんですよ、メイさんをその様に言ってしまうのは、それじゃあ、あまりにも」
苦悶すら匂わせる表情の、その様子を見て幼女は言葉に迷い。
だがそのような逡巡は無意味であると、彼女の中で答えが収束する。
「そう、かんがえていることは大体その通り。私は人間としてお母さんのおなかの中で生まれたことがない。生まれたのはあたたかな培養液の中、一人の男性、とある優秀で優良なる錬金術師による緻密な計算表のうえで私は彼の作品、錬金術師が練成した人造人間、ホムンクルスというのかしら? そういうのって」
結局のところ誰もかれも、本人ですら彼女のことをよく分かっていない。
答えは既に得たと、それ以上何を望むべきなのか行方を失ったかのように、沈黙が彼らの中に降り積もろうとしている。
「誰なのですか?」
部屋の外、家の外部ではまだ雨が降っているらしい。
雨、雨、雨。
ざあざあ、ざあざあ、ざあざあ。
結局今日一日はずっと降りっぱなしだった、明日この灰笛に暮らす人々は洗濯物の乾燥について頭を悩まされることになるのだろうか。
「あなたを作成したのはどこの、誰なのですか。教えてくれませんか」
逃避的な思考を切り裂いて、繋がりかけた連続性を引き裂くかのように。
いや、本人はそこまで試行している訳でもなさそうだと、メイはキンシの方にやっと視線を向け始める。
「錬金術師よ、そう言ったでしょう」
「それって、何をする人で、どうして……貴女とは」
その先にどのような疑いが秘められていたのか、メイがそれを受け取ろうとする。
それよりも早くに。
「質問は答えられます」
トゥーイが、裸の口元を一切動作させることもなく音だけを空間に震動させ始める。
「錬金術師、錬金術師についての資料を検索中、該当する資料がいくつかあります。追加のキーワードを入力しますか?」
まるでインターネット、それか別の、何かしらの情報検索手段のように。
必要最低限の人間らしさもない、そんなものは不必要と。
「入力しますか?」
青年は魔法使いに問いかける。
しかし魔法使いは答えようとしない、唇は固く閉ざされたままで。
「それでは最有力と思わしき資料から掲示を開始します」
沈黙すらも言葉の一つと、そう誇示しているのだろうか。
トゥーイは彼らの事情について、それにちなむ情報を言葉にする。
「それらは魔法使いとも魔術師とも異なる、大きくは魔導とは別方向の思考を意味している。またはそれに携わるものを総称する、かつての呼び名だった。
大まかな概説とすれば魔導が知識、及びそこから生ずる人間的思考の衝動的エネルギーを欲するとすれば。一方はもう少し具体的、事象についての反応を突き詰め解析することに近しい。それは現代における科学と同類かどうか、それは大きく異なる。錬金術は科学とは、それとは異なりかつてはハンス下思考を皮肉るかのように、現在では魔導寄りの思考として形成されてい」
「もういいですよ」
彼の言葉の続きはそこで止められ、キンシはトゥーイがそれ以上何も言わないよう、軽く手を上げて制止の意を示す。
「ありがとうございます、よくわかりました」
力なく、目的もなく、それでもしっかりと重力とは別方向に伸ばされている。
メイはその姿に何故か、敵前で命乞いをする敗残兵の姿を連想していた。
人の家を覗き見るのが好きでした。
人の心の中を勝手に見ているようでした。
家の中はつまりのところ縄張りで、他の誰かを寄せ付けない領域で、だから心の中と同じじゃないかと思ってました。
前まではそう思っていました。




