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異なる変化変動動く変わる

不正解。

「………違う」


 彼女は受け入れていたのか、しかし彼は確実に拒否しようとしていた。


「違う!」


 変更することも覆すこともできない、所詮はただ過ぎ去る永遠の線路の向こうに霞む出来事でしかない。


「嫌だ」


 ルーフはずっとその事を否定したかった。

 事実を受け入れたくなかった、受け入れてしまえばそれこそ本当の永遠の中で自分は囚われ続けることになる。


 妹の手をにぎり、あの白く細く柔らかく、花のような香りのする肢体をこの手に抱くことも。

 瑞々しく美しく炊かれた飯を食むことも、好きな漫画の続きを読んだり、好みのミュージシャンの新作を聴くことも。


 思いつく限りの全ての幸せが逃げてしまうのではないか、認めてしまえば全てが自分手から零れ落ちて二度と帰ってこないのではないか。


 ルーフはずっと思っていた、信じて、狂信していたとも言える。


「嫌だ、嫌だ嫌だ」


 だが過去は変えられなかった、世界のことわりは彼が思っている以上に頑丈で堅牢で、整合性が取れすぎていた。


 記録が実体を、他人による確認を媒介にして急激に存在感を増し、水没する貴金属の塊のようにルーフの気管を、胸の辺りに確かな重さを以て威圧的に圧迫してくる。


「違う、嫌だ。仕方がなかったんだ、しょうがなかったんだ」


 一定の安定感さえ感じさせる、そんな記録が瞬間かつ激烈なまでの勢いにて蘇ってくる。


 瞬きをしていても泊まることのない映像の連続は一気に現実からの剥離を行い、と思ったら部分的に途切れては目の前の異常性をまざまざと突きつけてくる。


 光の明滅に吐き気を覚える、しかしこの感覚は絶対にそれだけに由来して所以しているものではないと、瞬時にルーフは自覚する。


 他でもない自分の事を自身のものとして理解する。


 今までできていなかった事柄が今更になって鮮麗に、それでも拒否反応を起こそうとする彼は手のひらに違和感を覚える。


「あ………ああ………?」


 いつの間にか拘束はその大部分が。せいぜい足首やらその辺りまでにしか残されていない程に解放されている。


 頑張れば、その気になれば立ち上がって全てを振り切り走り、この場から逃れられる可能性もある。


 それほどに自由を与えられていたが、それでも今のルーフなそれをしようとしない。


「うわ、ああ………っ」


 出来なかったのだ。

 彼の注目は今、己の手の平に注がれている。


 そこには相変わらずの、生まれてからきっと死ぬまでそこに連続し続ける皮膚が。


 生まれ持った色にそくした色素が、有るはずなのに、なくてはならないはずなのに。


 そこには赤色が広がっていた、粘着性で凝固するはずの体液。


 皮膚の下、肉の隙間に走り続ける生命の液体。大量のヘモグロビンを含む粒の集合体、それはとても新鮮そうにヌラヌラと眼球に煌めきを反射させる。


「わああ、? ? うわああ!」


 存在しない、そのはずの集合体はおきるはずのない酸化を、はたして? これはただの錯覚なのだろうか?

 そうだとしたらこの匂いは何だというのだ、生臭く腐敗に突き進む臭いが鼻腔の奥に侵入し、内に留まり滞る。


 これが偽物だなんて思えない、思えるはずがない。


 取らなくては、取り除いて一滴も残らないように拭い取って、そうしないと見つかってしまう。


 見つかってはいけないのに、そのために隠して、逃げて来たのに。


 これでは意味が無いではないか。


 隠さないと、ゴシゴシ、ゴシゴシ。

 ルーフは動けるようになった腕を一生懸命に動かして、手についているそれを落とそうと擦り合わせる。


「取れない、取れない?」


 しかし赤色はいつまでもどんなにやってもその色素を、失うどころか薄まる気配すら感じさせない。


 むしろ動かせば動かすほどに色は皮膚の上を滑り、動きに合わせて範囲を拡販させる。


 あっという間に彼の眼球には真っ赤に染まった自身の両腕が映る。


「なんで、どうして」


 意味が解らない、こう思うのははたして何度目なのだろうか。


「ルーフ」


 名前を呼ばれて彼は首を上に向ける。


 そこには男性が立っていた。口元に柔和な微笑みを湛える、彼の瞳はじっとルーフの体に向けられている。


「あ」


 視線はしっかりと自分に向けられている、見られてしまったとルーフは思った。


 それだけしか考えられなかった。


「ああ、あああ! 違う、違います!」


 腕と指の動きを止めるわけにはいかない、少しだけでも色を隠すためにルーフは死にかけで路傍に転がっている蝉のようなポーズを作る。


「これは、これはその。だから。仕方なかったんだ、違うんだ、あれは! どうしようもなかった、嗚呼しないと。そうじゃなきゃ、あのままだったら………」


 言い訳を言おうとしているのだ、離れた意識が惨めな肉の動きを見下ろし、見下しているのを感じる。


「見ているだけのつもりだった、そう教えられてきたから。………だから、爺ちゃんがそう言ったとおりにしようと思っていた。そうしないのは悪い子だから、良い子にしていないと爺ちゃんに起こられるから。していないとボコボコにされるから、死ぬほどされるから。だから最近はずっとされなかった、そうしていたから。だけど」


「だけど? 君はその時どうしたんだい、何を、選択したのかな?」


 男性が(うずくま)っているルーフの耳元、そこから若干眼球に近しい位置で囁いてくる。


「さあ………言葉にしてみるんだ」


 およそ手の平の冷たさからは想像できない程に当たり前の、息元として当然な温度が込められている吐息が肌にかかる。


 何のにおいもしない、水と大して変わらぬ存在感しかない。


「嫌だ、嫌だよ………」


 きっと口元には笑みが浮かんでいる、だがそれを見ることは出来ない。


「したくない、ぜったに嫌だ。あの子があのまま居なくなるなんて、そんなの認められる訳がないだろうが。許せるはずもなかった、あの人がそう望むなら。ああ、ああ、あああ、嗚呼。だけど、でもあんなことをするなんて、どうして………。どうして! 俺は、あの人を。俺はあ───!」


 仮面は殆どずり落ちかけている。頬の上に冷たい重みが乗っかって、ルーフは思いを言葉にしようと。


 することを望んだ。


「うるせえなあ」


 だがそれは実現しなかった。


 人が集まり圧縮に近い形で密集している。


 そうであるはずなのに、異様なまでに静謐さが空気を支配している。


 色があるとすれば白か、あるいは都会の夜空の色をしているに違いない。


 そんな空間に男の声が鳴り響く、音はどこか粘性の雰囲気すら感じさせて反響を繰り返す。


 コツコツとヒールの音。はて? ハイヒールを履いた人間はここにいただろうか。


 モアのそれとは違う、だとすれば集団の中の誰かが?


 それは違うとルーフの無意識が即座に判断を下す。

 それだけはないと、だとすれば誰か。


「誰だ?」


 ルーフが疑問に思っている事柄を、男性の低い声がシンプルに短く言葉にする。


 それは少年が抱いているそれとは内容こそ異なれど、しかし矛先が向けられているのは同じ、ただ一人の人間に限定されている。


「誰って、酷いなあ創始者代理様は。いい加減憶えてくださいよ、ボクですよボク、ナナセですよ」


 男性の吐息から目を逸らして、ルーフは自らをそのように名乗る眠子(ねむこ)の男性の声がする方に視線を定める。


「まったく、王子様は本当にだらしが御座いませんね。果たしてこの様な方が本当に、マジに本気に、空の玉座を埋める役割となりうるのでしょうか? ボクははなはだ疑問ですよ、はてなマークが脳味噌からかつての水害の如く溢れうねり、唸りをあげて飲み込まれてしまいそうです」


 つらつらと長ったらしく、歌うように現実味がない語り口調で、必要以上に言葉を重ねる話し方。


 男性は白髪の混じっている、と表現するには妙なまでに白と黒のコントラストが明確過ぎる頭髪の、毛先をいじくりながら男性に。


 ………違う、とルーフは気付く。


「ねえ、そう思いませんか」


 目線、体から放たれる意識の向き、それは確実に男性の方へと向けられている。


 しかしそれだけの条件を揃えていながら、すでに確定的であるはずなのに。

 にもかかわらず何故か、ルーフは男が自分に向けて笑いかけていると。


 直観よりも浅い、いたって人間じみた違和感の中でそう自覚していた。

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───あとは黒い染みで読めない、コーヒーかココアか、それとも別の何かでも零したのだろう。

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