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もう二度と思い出せない

忘却に抗って

 こんな事を主張した所でそれは所詮惨めな言い訳にすぎない。


 そうだとしても、そう自覚したとこでルーフの思考がそれ以上の働きを拒んだのは間違いのない事で。


「すばらしい、すばらしいよ」


 集団の中心点、位置的な形容では戦闘に位置するところに立っている男性の拍手が、どこか滑稽さを感じさせるほどに高らかと空気を震わせている事もまた、変更のきかない確実な事実であった。


「君は素晴らしい記憶力を持っているようだな、予想以上の優秀ぶりにわたしは嬉しい限りだ」


 これは誰の事か、彼は誰について感想を述べているのだろうか。


 男性は近付いてくる。足元に転がる異物などまるで目もくれず、一切の雑音をたてることもせずに。


 とてもスムーズな動作にて男性は棒立ちの三人の、ルーフのもとに近付いて、何のためらいもなく膝を地面につける。


 集団の中、心なしか主張の激しさがにおい立っている内の数人が息を飲んだ音が、聞こえたり聞こえなかったり。


 色々な注目の的に晒されている、そのことを自覚しているかどうかも怪しい挙動の中で男性はそっとルーフの頬に手を差し伸べ。 


「………っ?」


 溢れかけた不必要な記憶を懸命に抑え込み、真っ直ぐ接近してくる異物に対してどうすることもできず、じっと身を固くするルーフの頬に男性の手が触れた。


「………」


 男性は沈黙している。


 皮膚と皮膚の密着、男性の手はその見た目に反して硬くザラザラと、溶けかけの氷のような冷たさがある。


「あんたは? 誰だ」


 今日の内に何度同様の台詞を吐いたのだろう。


 ルーフの質問を聞いているのかいないのか、判別のつかぬ表情を浮かべたままに、男性は手のひらの皺を少年のまだ年期のこもっていない顔面に滑らせる。


 ザラザラと、他人に触れられている意味も解らずルーフはされるがままに。


 どうしてか、他人に無遠慮に触れられているはずなのに、ルーフはその行為について何の感情も抱けないでいた。


 不思議どころの話ではない、不気味さすら覚えてもおかしくはないはずなのに。


 どうしても彼はその行為について、何かの意味を見出すことが出来ないでいた。


「………」


 男性は笑っていた。

 そうすると口元にポッコリとえくぼが生じ、短く刈り込まれている青味がかった毛髪に輝きが増したような気がする。


 頭部の和毛に包まれた耳をピコピコと震わせながら、男性は手の中にあるルーフの体温を皮膚を介してしっかりと味わい、それを確かなものとして実感しようとする。


 その様子はとても涼やかな緊張感に包まれて満たされており、藍色の瞳には何かを決意するかのような爽やかさすら感じさせる。


 と思うな否や、男性の指は突然とある一方向の目的をもって、一気にルーフの顔面を移動し始める。


 口元には笑顔を浮かべたまま、ルーフの視線がそこから外されるよりも早く、男性の指はコツンと硬い物に当たる。


「あ」


 他人に触れられることで初めて自覚できる羽目になるとは、てっきりここまで拉致監禁されるときに外されたものだと思い込んでいたのだが。


「素敵な仮面だね」


 子供が摘んできた路傍の花を褒めるかのような穏やかさで、男性はルーフがずっと着用していた、妹から貰った、仮面を摘み取っていた。


 元々は祖父の持ち物の一つで、ついさっきの蹴飛ばしによってだいぶずれているそれに触れて、表面の装飾を興味深そうに撫でまわしている。


「これは、ヤドリの………。君のお爺ちゃんの物だな? どうして君が持っているのかな」


 自然な動作だった、己の眼球が零れ落ちるほどに見開かれて、結膜に空気が侵入してきているのではないかと、そう錯覚する。


 そうでなければこの痛みの正体に意味などなく、だが自分の錯覚について深く考えている場合でない事も確定的であった。


「………いま、なんて。どうして? ………その名前を」


 それは祖父の、ルーフとメイの二人兄妹にとって祖父という間柄に設定されている、彼らにとっての保護者に当たる人物の名前。


「知っているさ、わたしは君についてなら何でも知っている。だってわたしは」


 その後のことを言おうとして、しかし男性は思いとどまったかのように。


「いや、そんな事には意味は無いだろうな。ああそうだとも、言葉に意味などないのだ」


 何か一人で勝手に完結をしたかのように、暗い青色の瞳が満足げに揺れている。


 しかし少年の視線は既にそれを確認しようとはせずに、意識の行く先は別のところへ。


 遠い故郷に置き去りにした、祖父の事を思い出そうとしていた。


 していたが、しかし、どうしても上手くできなかった。

 彼が、ヤドリがどんな顔をしていたのか。


 生きていた姿を最後に見たのは間違いなく自分であるはずなのに、どうして。


 名前を他人の口から、妹と自分のそれ以外から聞くのは、そういえば初めてだった。


 初めてばかりだ、これはもうお爺さんに報告しなくては。彼はきっといつもの小難しい顔で………。


「爺さんって、どんな顔だったっけ?」


 記憶の欠落の中に、彼の爪の間から鉄臭い液体が垂れた気がして。


 だがやはり、それも気のせいだったと彼は思う。




「気のせいだとして、それはきっとあなた達のかん違いだということになりますね」


 人々の集中砲火と言わんばかりの疑問点を一身に受けて、彼女はそう主張しようとする。


「……いいえ、それは言いわけにすぎないわね」


 しかしそれをするより以前に、彼女は早々に諦めをつけた。


「まえおきはもう必要としていませんよね。さっそく本題にはいりたいところですが、それでもやはりしておきたいことはたくさんあって。そうですね……まずは」


 彼女は人々に、主に、という領域にすら当て嵌めることすらできない。

 大体全部が魔法使いで構成されている彼らに、どこか自信に満ち溢れてさえいる様子で、とつとつと語りだす。


「昔々……とも言えないほどに、せいぜい私が私として生まれた瞬間よりはじまる、とくに面白みも起承転結もカタルシスもアイロニーも読了の達成感もない、バイアスたっぷりな過去語りから始めましょうか」


「嫌です、遠慮しておきます、またの御機会にお願いしゃーす」


「オーギさん……!」


 彼女に悪気はないにしても、幾らなんでもそれは無いだろうとキンシは思ってはいたものの。


 しかしそれでもあまりにも直球が過ぎるほどに本心をぶつけようとする先輩魔法使いに対し、なんとかその場を取り繕おうと試みるキンシは。


「め、メメメ、メイさん……。確かに貴女のたどたどしい語り口がこの状況に決定的な解決案を導き出すとも思えませんが。しかし、ご自分のメモリアルをそんなに卑下してはいけませんよ。たとえそれがどんなに事実であったとしても」


 しかし結局うまくいかず、失礼に失礼を重ねる泥沼を呼び出さんとしている。


「冗談だよ、あまり本気にすんな」


 オーギはそんな後輩魔法使いの動揺を短く諌めた後に、痛む頭を雑に撫でつけながら彼女の、メイの方をじっと凝視する。


「と言っても、キンシちゃんのフォローはあながちまちがいでもないけれどね」


 魔法使いと視線を交わす、彼女は重く苦しむ体を部屋の、横に長い就寝スペースに腰を落ち着かせる形で。


 それをぐるりと取り囲む魔法使い達、部屋の元となった交通機関でそんな体制をすれば通報待ったなし。


 といった感じのフォーメーションを作っている。


 その中心点にて、メイはもう何も躊躇わないよう努めて平静に口を開き始める。


「私の人生にそれほど昔のことはない、在るのは肉体の年齢にそくした、片手の指ほどに数えきれしまうことがらだけ」


 メイは左斜め上を、そこにあるキンシの裸眼に目を向ける。


 他人と目を合わせる、生き物としてはあまり好ましくない、しかし人間にとっては何故か必要不可欠になっている行為。


 その中でキンシの右目は反応として瞳孔を収縮する、ただそれはN型のそれではなく縦に長細い。

 猫か爬虫類のそれとよく似ている、そんな動きをしていた。


 彼女も斑入りだったのか、だとしたら何を基本としているのだろうか。


 そんな事、自分のような女が気にすべき事でもないと、メイはヘッドホンに伸ばしかけていた指を留まらせる。


「メイさんと、そのお兄さん、は」


 いつまでも上から見下ろしている形では耐えられないのか、キンシは床に跪いて少しでも彼女と視線を合わせようとする。


「観光で此処まで、灰笛まで来て下さったと言っていましたが、それは嘘だったんですよね」


 意味のない確認行為をしてくる、はたしてそれに何か意味があったかどうかは分からない。


 だがこうして視界を合わせれらると、とメイは思ってしまう。


 そうすると、彼女の左頬に走る文様。そして眼下に組み込まれた肉眼の喪失が嫌でも目に入ってきてしまう。


 いや、空洞と言う言いかたは誤りがある。メイの意識が静かに早急なる訂正を求めて、不自然さを感じさせない素早さによってもう一度そこを、他人の体について観察を深めようとする。


「メイさん?」


 キンシが瞬きをした。そんな事をしてしまったら片方の目が、人どころか生き物のが持つべき色合いをしていない、まるで水で薄めた血液をそのまま穴に注ぎ込んで凝固させてしまったかのような。


 そんな目玉が、偽物の目玉がぽろりと零れ落ちてしまうのではないか。


 メイは不安に思った。


 だが、


「どうしましたか、僕の顔に何かついてますか?」


「ううん、なにも」


 だが彼女の心配は外れ、義眼はもう長いことそこに巣食っている雑草のように持ち主の体にしっかりと食い込んで安定感を得ている。


「尺伸ばしみたいな前置きは止そうぜ、えっと、あー、メイ」


 オーギはまだまだぎこちなさの残る声音で、彼女の言葉の続きを催促する。


「貴女が、メイとその兄貴? がどうしてこんな。化け物だらけのクソつまんねえ田舎町にやって来たのか。その理由は」


「理由じたいは単純です、私たちはとある人物にたすけを求めるために、遠くはなれた故郷を……」


 オーギの言葉に便乗する形で動き出す唇を止めて、メイは静かにかぶりを降る。


「そうね、その辺の過程はともかく、まずは目的にいたった原因について教えなくては。そう、そうなのよ……」


 右に左に振り回す、絹そのものの質感を保つ毛髪が動きに合わせて乱れる。


 言わなくては、言わなくては、言わなくては。

 そして助けを、言葉を発して助けを求めなくてはならない。それだけが今自分に出来る兄にとっての最善の選択、そのはずなのだから。


 キンシが心配そうに右目を揺らめかせて、見かねてもう一度手を差し伸べようとする。


「先生」


 だが魔法使いの手はトゥーイによって阻まれる。


「先生、それは否定します」


 手こそ魔法使いの体をその場に留めつつ、青年の瞳はじっと幼女から離されることはない。


 見ることも必要とせず、きっとその色は紫に煌めいている。


 その視線を感じて、彼女は決意をした。

 

 唇が開かれる。


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