オープンユアアイズ
どこへでも行ける。
声ばかりが出てくる、声しか出ない。
記憶の再上映ばかりが繰り返されるルーフの内層は、それ以外の行動を選択できなくなっていた。
「うるさいなあ。あーあー、あーあー、と、黙るか死ぬかどっちかにしてくれませんかね?」
声が聞こえた気がした。
声?
それが錯覚なのかどうかすら確認することもできず、聞こえたはずの声はすぐに別の音に掻き消される。
ショリン、ショリン。
これは、刃物音のように聞こえる。少なくとも人間の肉声ではないことは確信を持てる。
気のせい、などと曖昧な言葉で片付けられるものではない。
最初こそ断続的なものとして感じられていた音は、しかし耳を澄ますほどに視覚を介することなく、聴覚のみに限定された感覚の中においてその実態を容易く想像することが可能となった。
長い、少なくとも包丁よりは遥かにサイズが大きい。
はたしてこれは何の刃物なのだろうか。
刃物、刃、そう言えば。ルーフの中で新たなる記憶の要素が顔を覗かせてくる。
妹も、メイの体は刃物で赤く染められていた。
それはもう沢山に、とんでもなく非人道的なまでに。
白く輝く美しい彼女の体毛は、ずたずたに、傷口から離れて全体が薄くピンク色になる程。
音も声も遠く離れて、もうすでにすっかり目が覚めていたルーフは、しかし物理的に目を開けることは叶わず。
その代わりと言わんばかりに、瞼の裏で相変わらず記憶の再上映を連続させている。
嫌だ嫌だ、見たくない。
彼はそう願ったが、しかしそんな現実逃避が聞き入れてもらえるはずもなく、半ば自身の本能に近い形で過去が思い出されていく。
記憶で、すでに起きて時間と共に去って行った、もう取り戻せない瞬間の内部にて。
妹の透明で美しい羽は肉眼に認識できない刃物によって切り刻まれ、こま切れにされ。
それでは足りないと、結局彼女は馬乗りにされて羽から指によって羽根をブッチンブッチンと毟り取られている。
止めろ止めろ、止めてくれ、止めてください。自分は懇願していたか、きっとそうに違いない。
そうでなかったらいよいよ救いがない。
彼の願いは聞き入れてもらえず、そもそも声すらも発することが出来なかった。それは魔法の縄による問題もあったか、それ以上に体から力が抜けていったことも推察される。
だって妹が、メイが、その溶けかけの雪のように美しいはずの肉体が瞬く間に、いとも簡単に椿の花びらの色に染められていく。
そんな物をまともに見られるはずもなかった、だってあまりにも、痛々しすぎて。
だけど目を逸らしたところで何の意味があったというのだろう、これは紛うことなき事実で、過ぎ去った過去にすぎない。
今更だ、今更すぎる。
どの道、今もかつても関係なくルーフにはそれを見ることしかできなかった。
体を縛られていた、ナイロンでも木綿でも、ステンレスでもなければ葛の茎ですらない。
柔らかくて冷たい、と思ったらいきなり温かく頑強さを誇示する。あれはやはり魔法だったのだろうか、それとも魔術? あるいは………。
ああちくしょう、また魔法だ、どうしてそれを使える奴らはこんなにも、俺の心をダイレクトに苛もうとするのだ。
その力は、人の意識によって、とある場合にはそれすらも通り抜けて現実に影響を与える力は今も、現在において進行する形によってルーフの体を痛めつけている。
要するに彼は動くことが出来なかったのだ、瞼が開けられない上に、その体は全体的に何者かの力、多分魔法が関係しているであろう抑止力によって、一寸の油断も許されるほどに束縛を行い続けている。
完璧な拘束、ただ一つ誤りがあるとすれば、そのあまりにも隙間のないきめ細やかさ、そこから必然的に生じる居心地の悪さがより一層ルーフの意識を現実へと引き揚げてしまったことか。
痛みがやってくる。
既に存在していたはずの感覚が今更ながらに自己主張を図る。
体のあちこちが痛覚に伴う熱を放っている。血が流れていることはしっかりと自覚しているが、しかしそれが一体どこから生じているものなのか、やはり子細なことは確認できない。
ただ一つ口の中だけは例外として、視覚も皮膚感覚も限定されてしまったこの身に味としてその生臭さを、どこか誇らしげな雰囲気すら纏って誇示をしている。
はたしてこれは口の内壁からもたらされているのか、それか舌のどこかを切ったのか。
それにしては痛みが少なすぎる、ルーフは確認のために己の味覚器官を空気に晒そうとする。
そうしようとした、するよりも早く。
「あーあ、暇だなあ」
誰かかが彼に向けて話しかけてきた。
唐突に、なんて思えるはずもなく、それはルーフにとって聞き覚えのある声だった。
「せっかくだから何かお話でもしませんか? 他にやることもない訳ですし、世間話でも、自分を見失ってだらだらと詩的とも言えない下らぬ自己独白をしたくなってしまいそうな。そんなお話でもしましょうよ」
やはり聞き間違いではなかったのだ。
それはさっき耳に確認できた声と同じで、とても女性の物とは思えないひくさのあるその声はいかにも暇極まるといった口調にて、嫌にリズム良くルーフに会話の開始を催促してくる。
「何を話しましょうか? こういう時、君の様に今の世界をキラキラにときめくティーンエイジャーは何を話すというのだろう。嗚呼わからない、ボクのようなおっさんはとても、それはもうとても困っている。うーん、と」
何と言うか、とっくに成人を通り過ぎて久しい大人の声がクソ真面目に自分に向けて話題を探そうとしている。
まるで共通性が持てない現実の状態に、ルーフが感覚を通り過ぎた意味不明に身を浸している。
そんな事は露知らず、知っていたとしても構わず男性の声は勝手に展開を進めようとする。
「あ、そうだ、こういう時はスマフォで検索、初めての相手との会話術っと」
こんな状況で、一体どういった状態なのかどうかはこちら側からでは確認できないが、しかし目の前に傷まみれで束縛されている少年が転がっている。
そんな状況でネットに頼ろうとする、しかしそんな奇怪さよりもルーフは男性が発する「スマートフォン」の略称にどこか既視感を覚えようとする。
しかし彼が思考を働かせるよりも早く、男性はとても素敵な妙案を思いついたかのように明るい声を出し始める。
「共通の話題でも、しましょうか」
おそらくタップ数回にて検索結果の一番最初、サイトを開くこともせずにタイトルだけで判断をつけた。
そんな浅ましさを匂わせる話題を、未だに姿が見えない男性はこれ以上に楽しい話題など存在しないかと高らかに宣言するが如く、明朗な語調で継続していく。
「えっと、君には妹がいたんですね」
ここへ来て、まさか今の自分にとって最上級に関心がある話題を吹っ掛けられる。
予想外の言葉にルーフは驚くよりも、ただただ体を固くするしかなかった。
「いやあ、奇遇だなあ。実はボクにも妹がいたんですよ。それはそれは、それはもう可愛い可愛い、この世の全ての女性の誰よりも何よりも、可愛くてかっこいい。愛すべき妹がいたんですよ」
冷たい空気を振動させる、賞賛の過剰が人工甘味料たっぷりの食材みたいな不恰好さを演出させている。
リラックスした男性の間延びした肉声が、何もできない少年の体に一方的な刺激をもたらしてくる。
彼は、多分彼と呼ぶべきこの存在は何の話をしている。
無いように大した意味が有ろうが無かろうが、自分以外の存在が知覚にいるという事実ばかりが少年の心に重く圧し掛かってくる。
それは現在の継続を甘んじて受け入れる、甘ったれた選択を図らずして必然的に投棄させる原動力となった。
お邪魔します。




