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残り物は翌日に片付けてしまいたい

出来るだけ、残さず食べましょう。

「しかしながら、ですよ」


 言葉と言葉の送り合い、そこに生じるささやかで柔和な緊張感を少しだけ解き、キンシは今一度獲得した情報と現実の整合性を確認しようとする。


「オーギ先輩やトゥーさんの申していることが概ね本当だとして、しかしやはりどうしても、僕にはその昔話に出てくる小槌やら羽衣などと同類の物が、こうして目の前にある事。その事がどうしても信じ難いのですが」


 色々と無理やり無理くりに納得を重ねたうえで、それでも堪えきれることのない本音。


「それは俺の方からも、全身全霊を以て主張したい意見だよ」


 オーギはだいぶ落ち着いてきた心臓の動きを誰にも悟られぬよう、出来るだけ姿勢を崩すことをせずにじっと幼女の手の中を見下ろす。


 雪のように白いはずの、本来の色を失って今は滲む赤色に包まれている彼女の指の間、肉と皮の上でその金属質な判子は物言わぬ姿で、じっと淡々とキラキラと、その重くなければ軽いとも言えない存在を世界に証明し続けている。


「まさかなあ、そんな代物を生きている間に、クソ短く平坦なはずの人生でお目にかかる日が来るなんて。出来れば」


 出来れば、の後の言葉に男魔法使いが迷っていると。


 それまで彼の事をじっと見上げるばかりだった幼女が口元の微笑みをほどいて、おもむろに台詞を吐き出した。


「そうね、こんな危ないものを見るような機会が、ふつうあって良いはずがないもの」


 キンシが不思議そうに首をかしげ、オーギが決まりの悪そうに眉をひそめている。


 それらを眺めまわしながら、瞬きを数回。


「仮に現代社会にそのような物質が存在した場合、それに類する技術は実際に確認されています」


 先ほどの解説の続きなのだろうか、トゥーイが首元からほのかにノイズ交じりの音声を流す。


「しかしそれはあまりにも危険なのです、制定された取締法でそれは固く禁じられているのです」


「だから、その殆どは俺達が生まれる頃か、それよりももっと前の時代に、お国の威信をかけて徹底的に排除されまくった」


 トゥーイの言葉を雑に引き継ぐオーギは、語尾をズルリズルリと引き摺りながら勇気を出そうとして。


 伸ばしかけていた手をやはり引っ込め、口内に滲む唾液をゴクリと飲み下すことしか出来なかった。


「いずれにせよ、今のご時世そんな物を、他人の精神を軽々しく改ざんできちまう奴が大手を振って歩けるはずがない」


 オーギはそれ以上何を言うでもなく、そしてメイはその沈黙の中に心を黙殺したくなって。


 だがそうする訳にはいかず、彼女はやがて舌の上に言葉を乗せて空気を振動させる。


「そうね、そうですね。………オーギさん、あなたのすいさつしようとしている事柄は、だいたいにして正解で、しかし、こんぽんてきなところが不正解よ」


 自分の頭上高みから見下ろしてくる、他人の瞳をメイはじっと挑みかかるように見返してみて。


 しかしすぐに体の力が限界を迎えて、視界の行く先はどこでもない宙を泳ぎだす。


「これは、今でこそ完全に私の所有物と言える状態にこそなっていますが。しかし、元々は別の方のコレクションの一部でした」


 手の中にある小さな金属の塊を、彼女はそれだけがこの世界に残された、たった一つのよすがの様に握りしめる。


「彼の、私にとって祖父にあたる間がらになる関係の男性。彼の所有物を私がお兄さまと……、ルーフという名の少年とともに故郷を移動したさいに、私こじんの意思と判断のもとで勝手に持ちだしたのです」


 ひと段落語り終えかけて、彼女はすぐに自身の言葉と現実の相違性にフルフルと微かに首を振る。


「いいえ、この言いかたはだいぶ語弊があるわね。これはただ単に、おじい様のあつめていた品々から私が、お兄さまに黙ってこっそりえらんで持ちだした、じゃなくて、盗みとったもの。これからおきるであろう事柄に、何か役に立つのではと、予想をつけてね」


 メイは手の中にある金色の判子を握りしめたまま、魔法使いたちを力なく見上げて一通り見回す。


「まさか、こんなにもはやく、こんな形で有効活用できる日がくるなんて、思いもよらなかったけどね」


 オーギが口を開こうとする、喉元から懸念すべき確認行為が膨れ上がってくる。


「なにも、みなまで言葉にする必要はないわ、いいたいことは分かっている。どうして私のような、無力で何の力もなさそうな幼子が、そんな事をできる知識をもちあわせているのか」


 追求したい事柄を先取りされたオーギは、居心地の悪さを苦々しく舌の裏で味わっている。


「そんなのは、教えてもらったのでしょう? その、錬金術師と名乗るお爺さんから、その使い道を……」


 キンシは今のところ、自分なりに考えられるすべての思考を以て答えを出そうとして。


 しかしその答えは一切受け入れられることなく、出題者たる彼女によってペケ印を着けられる。


「キンシちゃん、あなたは優しいのね。優しくて愚かで、そういうところ、すこしだけお兄さまに似ているわ」


 幼女は、自らを魔女と名乗る幼い、幼すぎる彼女は、もうこれ以上隠し事は不必要と、桃色の唇に自虐に満ちた微笑みを浮かべる。


「若い魔法使いさん、私は魔女です。生まれもっての魔女なのです、生まれるまえから魔女になる事を他人によって義務づけられた」


 苦しげな、絶え絶えと喘ぐような、それは肉体によるダメージをこえた領域における侵害によるもの。


「私は、とある一人の錬金術師が作成した、かつての時代にいきた優秀なる魔女を複製するために、それだけを目的として、その過程に生みだされた試作品。魔女にとてもよくにた類似品。魔より生みだされし、この世あらざるまがいもの」


 彼女は魔法使いに笑いかけ続ける、薄く開かれた瞳の隙間に鮮度の高い血液のような紅緋色が映えていて。


 やがて魔法使いからも離れるその先に、留められたのは一人の青年の姿。


「あなたと、トゥーイといっしょ、私は正確に純粋なる人間じゃない」


 ありったけの力を持って開かせられる秘密を曝け出そうと。


 しかしその辺でついにメイの体は限界を迎え、元々溜まっていた疲労に重ねる新たな疲労がその体から力を徹底的に削ぎ落とそうとする。


 トゥーイが察しよく彼女の体を支えたことにより転倒は免れたものの、彼女の心はそこの見えない深淵へと沈み込み続けている。


 片方に重みを、もう片方には何も握られておらず、宙ぶらりんに宙を漂っている。


 その手をそっと温かさが包む、何にも遮れられていない肌と肌が密着し合う。


 内にこもる熱が彼女の感覚に伝わる、それに導かれるままにメイはゆっくりと視線を動かして。


「メイさん」


 そこには魔法使いが、自分よりは大きな体を持っている、だがそうであったとしても若すぎる、余りにも年齢が少なすぎる体の魔法使いが。


「何を」


 何をしているのだろう?  

 

 自分の手をじっと、俯いたままの姿勢で握りしめている。


「……」


 魔法使いは言葉もなく、ただ黙って。


 閉じられた唇、その端々は微かに上を向いている。


 腹の肉が硬直し、喉の皮が蛇の腹のように蠢く。

 やがて頬にぶくぶくと空気が集合し、唇の間から音が漏出する。


「ふふ」


 笑っているのだろうか、何故笑う必要があるのだろう。


 ぼんやりと熱におかされている彼女の神経細胞は、何時もみたいに他人の顔色を窺うような器用さを発揮できず、キンシの笑みをそのままの風景としてしか受け取れない。


 メイの戸惑いを、その感情をしっかりと確認しつつ。

 キンシは笑みを途切れさせないままに彼女の手に添えていた両手の内、左側の方を真っ直ぐ自らの顔面へと伸ばして。


 そして迷いのない、古くなった創膏を外すかのような、そんな気軽な手つきによって顔のゴーグルを外した。


「はあ、ずっと着けっぱなしだったから、汗もを患いそうでしたよ」


 鼠色の布と細々とした金属の連なり、かわったデザインのゴーグルを外した。


 その下にある素顔は解放感に爽やかさを、微笑は相変わらず残されいる。


 笑みが深まるごとに豆腐ほどの強度しかなさそうな頬が。

 左側の顔面に刻まれている奇妙な形の痣が。

 

 痣? それにしては色が濃い。

 刺青なのだろうか、それにしては生の皮になじみすぎていて、まるで生まれた瞬間から持っている模様にすら見える。


 人の体の表面に救う模様は、さも当たり前のように内部の動きに合わせて歪んでは戻るを繰り返す。


 色と、色のない境目をキンシは左の爪でぼりぼりと掻き毟る。


「まあ、この顔だと幾らお肌が荒れた所で大したことは無いですけれどね。でも皮が捲れるのはなんともいただけないのですよ」 


 爪はやがてその皮膚ごと破り、内部が露わになりかける。


「ダメよキンシちゃん」


 メイの口から自然と、一体この体の何処にそのような余裕が潜んでいたのか、本人にも判らない程に彼女は強い口調で魔法使いをたしなめていた。


「肌はちゃんとお手入れしないと、だって……」


 彼女が言いかけた所でキンシが左の人差し指を、自らの体を痛めつけていたはずのものを、やはり自分の意志によって動かし。


 唇に押し当てているのか、それとも添えているだけか。


 どちらにせよ、ちょうど静謐を他人に求める格好となっている。


 幼い魔女は、自分と大体同じくらい幼さを引き摺ったままの魔法使いの、右側にしか残されていない肉眼を、その時初めて確認した。


 濃い茶色、チョコレートのような色をしている。


 そう思った彼女の口の中に、在るはずのない甘みが広がった様な気がして、それは一片の残骸を留まらせることもなく、あっという間に消滅していった。

ピネンも噴きりリモネンも吐き酸素も噴く

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