自己紹介は何度繰り返されるのだろうか
あいむ
それはつまりどういう、どういった意味があるというのか。
「大体において好き勝手に脚色はされているものの、その物語は根底そのものが事実に基づいているんだ」
キンシの理解力だけを置いてけぼりにして、オーギはごく狭い相手に限られた説明行為を続けていく。
「かつての世界で起きた実際の事件、それが人と人の耳と口を介していつしか伝説として扱われるようになった」
「えと、えっと? その、先輩、もう少しわかりやすく教えてくれませんかね」
キンシが要求する、懇願にも近しいそれをすぐに受け入れて、オーギは自分の知っていることを簡潔に、自分なりのシンプルさを突き詰めて言葉にする。
「つまり、お前が知っている昔話やらおとぎ話、あるいは伝説に出てくるお宝。俺達の御先祖なのかどうかも怪しい奴らがちょろまかした物品っていうのは、この世界に実際に存在していた物なんだよ」
なるほど、とせっかくの彼の厚意がようやく求めていた程度の成果を結ぶ。
しかし予想は外れて、彼が予想していた以上にキンシの脳内がそこから先の、定められた質問文の先に続く回答を勝手に導き始めようと。
「そいでもって」
後輩がいつになく高性能じみた脳細胞の働きをしようとしている。
それを他所に、それに構うこともなくオーギはさっさとこの話題の本髄を曝け出す。
「そのものすごい昔の事件で登場したお宝が、その実物が、今俺たちの目の前にある」
追いつかない脳細胞の信号、取り残された肉体の端っこで鼓膜から得られる音の振動だけが嫌と言うほど鮮明さを帯びている。
「はあ」
今日何度目かも判らなくなってきた、そもそもまともに数えてもいない沈黙が空間に走り、過ぎ去っていった。
「またまた、この人はいきなり何を素っ頓狂なことを言いやがりますのでしょうか」
まあまあにあたりまえの内側に属していると言える反応。
それを放置する形でオーギは後輩魔法使いのすぐ近くで、淡々と目の前の品物についておおよそ確定に近い確信のもとに鑑定を下してみた。
「えーメイ、さんとか言ったか。貴女が今その手の中に持っているそれは、その黄金製の印鑑は、まさしくその昔話に出てくる伝説の宝、そのうちの一つ。それで間違いないか」
どう考えたって普通なら、通常の日常においてそのような台詞を吐き出す機会など存在しない。
いっそ馬鹿にでもしてくれたら、今すぐに自分の目の前にいる幼女が高らかにキャハハと口元をほころばせてくれたら。
そうでもしてくれないと、幾らなんでもおかしすぎる。大爆笑を通り過ぎて、腹の肉が捩じ切れてしまいそうだ。
オーギは口を閉ざしたままで願いを乞うた。
だが現実は、彼の回答を一字一句聞き逃すことなく受け入れた幼女はおよそその肉体年齢に見合わぬ、不気味ささえある程の穏やかさで微笑むばかり。
それはまるで生まれて初めて知った足し算引き算で正解を書き上げた子供に対して、これから褒美の言葉を与えようとする保護者のようで。
今はただ、彼女の正体を一切知らぬ中においても、オーギにとってはその微笑みがこの世の何よりも不気味なものとして映り込んでいた。
「それで」
相も変わらず呑気そうな、あくまでもそういう風に聞こえなくもない平坦とした声音で、キンシは硬直している先輩に続きの解説を求める。
「メイさんが今持っているそれは、どういったお宝なのでしょうか」
今しがた知ったばかりのどうにも信じ難い、どこにも確固たる証拠など存在していない。
まるで自分の意見が真実そのものの様に扱われている、それを前提とした質問文に対して発言者がどう答えたらいいものか、うだうだとあぐねていると。
「これはね、魔女のハンコっていう名前で呼ばれている、らしいわ」
口をきこうとしていない、それはほんの一秒ほどの領域内にしか限定されていなかったにしても、それを目と鼻の先で実感していた。
メイが男魔法使いの困惑を気遣って、そしてそろそろいい加減他人の口ばかり借りているばかりでは申しわけないと思い始めて、ついに自らの口で己の所有物に対してポツポツと解き明かしていった。
「えっと、たしか、ね……。昔にいたらしい、あなたたち魔法使いとはちょっと種類かちがう、魔女って知っているかしら?」
しかしどうにもこうにも、それは単純に隊長がすこぶる不調であることも十分を満たす以上に関係しているのかもしれないが、それ以上に彼女自身の内側にて上手く確証のある情報が引き揚げられないで。
故にその言葉は酷く不明瞭で、全てを言い終わるよりも早く彼女自身の体力に限界が来される。
そのしおれた花束程に軽い重みその身に受け止め。
「魔女の判子、そう呼称される印鑑状の魔力内包道具について説明します」
彼女の横に立つ形で体を支えていたトゥーイが、なんてこともなさそうに、もののついでと言わんばかりにサラリと事の本質を音声にする。
「魔女、そう呼称される先天的、後天的の違いを問わず魔力を行使する存在の事をそう呼ぶ。かつては情勢に限定されていたが、現代では男性の存在も増えつつある。その場合には魔男と言う呼称を使用すべきか、論議が重ねられている」
まず最初にあまり必要性のない概要を並べ立てる。
そのまま一から十まで子細なる、融通の利かない情報を公開しようとする青年。
「魔女についての情報はキャンセルで、まずはこの判子の事について教えてください」
キンシが進みかけていた検索結果を中断して、この場において本来求むべき事柄の分だけ言葉を限定させる命令をする。
「…………………」
魔法使いからの指示に青年はその葡萄みたいな色の瞳を数回パチクリと、そしてすぐに求められた内容を首元の音声装置から発し始める。
「魔女の判子、それは魔女と呼ばれる存在、それに近しい者が自分の意思の思うままに従う、いわば下僕とされる隷属的存在を作り出すために使用される道具。非常に純度の高い貴金属を素材に、固定された表面へ特定の文字列を刻印させ、彫り込まれた溝に所有者、これはほぼ魔女に限定される、その血液を鮮度のある内に満たし、契約書のもとに隷属させたい対象者の肉体に刷り込む。そうすることで対象者にの肉体、主に皮膚上には契約の証として」
「なるほど、なるほど」
いつまでもどこまでも、とまではいかないにしても。
しかし長々と続きそうだったトゥーイの説明音声を、キンシは頃合いを見て一時停止させ。
「よく解りました、トゥーさんお疲れ様です、ありがとうございました」
そのまま検索結果をすべて見ることもせずに、内容を完全に遮断した。
「そうとなると、ですよ……」
そしてそのまま、青年に黙ることを命令したままの表情を、そろそろだいぶ顔色が悪くなってきている幼女に向ける。
「メイさん、貴女は魔女なのですか」
呼吸を一つ二つ、それだけでは足りなくてもっとたくさん、ゆっくりと循環を繰り返したい。
その欲求に喉元をひりつかせながら、しかし欲望以上にメイ自身の意識がそれを許さない。
彼女は魔法使いを見上げて、今更ながらに、遅れただなんてそんなレベルなど遥かに通り抜けてぶち抜いている。
「そうよ、私は魔女なのです」
自己紹介を、嘘偽りのない自己紹介を魔法使いにした。
ただの言葉のはずなのに、それはどこか禁断の部分を曝け出す蠱惑的な甘さがあるような。
そんな気がして、痛む体にジンと別の熱がともった様な気がしたが。
「そうですか、初めまして魔女のメイさん」
いたって普通そうに、どこか無関心さを匂わせるほどに単純な魔法使いの笑みを見て、それは錯覚でしかないと、どうでもいい思い込みとして彼女の内層は小さく収束した。




