二度目の時点で早くも鬼の顔
溢れだす。
それは絶え絶えとし過ぎていて、呻きでもなければ喘ぎとさえ言えそうにない。
ほんの僅かに、少しでも意識を逸らせばあっという間に海の音に掻き消され、意識の隅にすら入り込むことは叶わなぬ。
それほどの、それだけしかない言葉、余りにも弱々しすぎる命令文だった。
「お願いします、お願いします、お願いします」
メイの口から繰り返される懇願が発せられている。
それは魔法使いの脳細胞が状況と己の自覚の狭間にて、勝手に作り出した幻聴なのかもしれない。
だがもうすでにそれが嘘であるだとか、本当であるかの確認作業など全くの無意味、砂糖とバターを入れ忘れたビスケットのように、無味無臭のものでしかなく。
しかし、そうであるはずなのに、そうであればある程、その透明な言葉は魔法使いの体の内部、肉の底のぶるぶると柔らかい部分に、熱くどろりとした強迫観念を注ぎ込ませていた。
「そして、そう言うことに、なると、さっそく報酬のもんだいに、なってくるわ、ね」
立っているのも辛いはずだ、そうだ彼女は大丈夫なのか。
魔法使いが心配に思わず腕を動かしかける。
そんな心配をよそに、メイはぼんやりとしていながらしっかりとした質量をもつ熱が内部で荒れ狂う腕を動かして、手の中に潜めていた物品を暗がりでもしっかり見えるように、見逃さないよう天高く掲げるように。
ゆっくりと指を開いて中身を暴いた。
「それは……っ!」
幼女と向かい合っている二人の魔法使い。そのうちの背の高い、子供からすでに大人へと成長し始めている男の方が、反射的に息を吸って溢れかけた驚愕を飲み込もうとして。
しかし肉体がその程度で納得するはずもなく、眼球を内包する瞼は元の形を忘れてしまいそうなほどにパックリと見開かれている。
「ん?」
もう片方のより若い魔法使いの、状況がいまいち理解できていない間抜けな唇が、今はどうしようもなく虚しく震えている。
「えっと、メイさん? その手の中にある小さいキラキラとした金色の塊は、一体全体何なのでしょうか?」
留めたままに頑固として動かないでいたはずの足。
それを以外にもあっさりとその場から移動させて、キンシは腹部から膨れ上がる好奇心に突き動かされるままに、青年に殆ど抱えられている状態の幼女に近付いて手の中に乗せられている小物をもっと子細に観察してみる。
「えーっと……」
こうして近くで観察してみると、噂には聞いていたものの本物の肉と骨がきちんと伴った春日の子供を見るのは初めてで。
冷静に表面的な記憶を探れば、今までの大して長くもない人生において春日の幼年体をここまで近くで見ることは、まさしく生まれて初めての経験。
そんなどうでもいい人生初の中に。
ああ、本当に全身が柔らかい体毛に包まれていて、ふわふわして可愛いな。だとか。
でも手の部分、指の辺りだけは内部の皮膚が露わに。そこは体全体の柔らかさ、そしてN型の人間の肉を包む皮膚、それらとは遠く離れた硬質さを持っている。
ぶつぶつ、でこぼこ、ざらざらと、それは生き物と言うよりはまるで、フィクションの物語の中でけたけたと高らかに火を吹くドラゴンの様。
いや別に、ドラゴンのそれと現実に生きている人間の指を同列に語るのも、幾らなんでもそれはどうかと思うこともないのだが。
しかし、硬く白い指の先、その末端にある凍らせた桜の花弁のような、鋭くとがった爪を見ていると、キンシはどうしても彼女と自分が同じ世界に生きている存在だと、上手く認識することが出来なくなりそうになる。
そういえば、今更気にするような事ではないにしても。
彼女は、メイは一体どの型の春日なのだろうか?
エナガ系の血をひくシマエのように、その体は全体的に……、と言うかまさしく白その物。白色以外の色素がほとんど確認できそうにない。
こんなにも白い鳥が、はたしてこの世界にいたのだろうか。
白鳥、白鷺、白い鳩。
キンシは思いつく限りの白い鳥類を思い出そうとして、しかしそのどれもが上手い具合に目の前の、目と鼻の先まで近くにいる幼女のイメージにぴったりと当て嵌まらないでいた。
「あの……」
だがまさか、いくらミステリアスな幼女であっても、いくらなんでも存在しない生物であるはずがなく。
だとしたら彼女は一体、何者なのか。
「キンシちゃん!」
「はいっ?」
幼女の発達がまだまだ伴っていない舌足らずな叫び声を真ん前から叩き付けられて、キンシはそれまで浸っていた思考の沼から急速に意識を引き揚げる。
「あの、そんなにしんけんなお顔で手をにぎられると、ちょっとはずかしいのだけれど……」
「あ、あー、これはすみません失礼しました」
慌ててと体を離そうと、キンシは大げさな挙動で動こうとする。
そうするとメイの手の中にあった物体が、話題の本来の中心点に有るはず物がいとも簡単に、軽々しく落ちそうになって。
「た、あー危ないっ」
謝罪文を全て言い切るよりも早く、ほとんど条件反射に近い動作にて、キンシは幼女の小さな白い手の平から排水管の底面へ、零れ落ちそうになっていたそれを素早く器用に掴み取る。
そうすることによって、おのが指によって直にそれに触れることによって、キンシの意識はその物体へと集中させられる。
「危なかった。えっと、それで? この金ぴかは何でしょう」
キンシは偶然の親切とはいえ、他人が大事そうに携えていたものを自分の手中に収めてしまったこの状況にそれとなく興奮しつつ、しかしそれ以上の好奇心によってそれをもっと詳しく見ようと、玄関先のともし火に金色を寄せてみる。
「んー、んん?」
明確なる光源の元にそれを晒してみたものの、そうしてもなおキンシにはそれがどういった物体なのか、まるで見当がつかない。
それはいかにも金属的な光沢を帯びている。
大きさは文房具屋で販売している消しゴムのそれと大体同じ、その大きさにはおよそ見合わない重量がずっしりと、内部の密度を無言の内部にて表現している。
「なんでしょうかねーこれー」
もとよりその大部分を圧迫していた、その上にさらにショートケーキの苺のようにぽとりと意味不明を乗せられ、言葉の流れすらも濁らせ始めているキンシ。
「とても前衛的なデザインの、文鎮か何かでしょうか? だとすればとってもセンスが、」
「んな訳ねーだろ、このたわけが!」
とりあえず己の価値観の上で相談し合った論を結ぼうとする、そんな愚かしい後輩魔法使いを先輩魔法使いはキツめの一言によって黙らせた。
「うわあ? いきなり大声を出さないでくださいよ先輩、びっくりするじゃありませんか」
「それを言いたいのは、ビックリしたいのはこっちの方だ、このバカ後輩が」
バリエーションも少なめに貶してくる先輩に、キンシは奥歯を噛みしめて抗議の意を示そうとする。
それに関して全く意に介すことなく、それどころではないとオーギは後輩の指の間に挟まれているそれをさっと、それこそ流れるような動作によって奪い取る。
そしてそれをそっと、まるで少しでも刺激を加えたら四方八方を吹き飛ばさんとする爆発物でも取り扱うが如き動作にて、金色を幼女の手元に。元の場所へと安置して、冷たい深呼吸を一つ。
酸素と二酸化炭素の循環を一通り、血液と生命に必要な要素を整える。
その後に、オーギはぽかんとしているキンシにキッときつい視線を向ける。
「さて、貴重な同業者に知能指数の低さをいちいち指摘するなんて、そんなインテリジェンスな趣味を披露するつもりなんてないがな。しかしよーいくらなんでもよー」
やれやれ、とオーギが頭を抱えようとした。
その隙に。
「何をそんなに必死になっておられるんですかね、この人は」
全く懲りずに、また悪びれることもなく、キンシは己の関心と興味の赴くままにもう一度。
今度はもっと確実な情報を得るために、手袋をはずした手でメイの物に触ろうとして。
「待てって言っとるやんけクソガキ」
もうこれ以上言うことなどないと、二度目は許さんと言わんばかりに、キンシの頭頂部で先輩魔法使いによるチョップが炸裂していた。
挨拶に意味はありません。
貴方と仲良くしたかっただけだったんです。




