空き缶は転がり続けない
ゴミはちゃんと捨てましょう。
先輩魔法使いが己の所持する道具をなんて事もなさそうに、尻ポケットへ財布を仕舞い込むかのように、他人には視覚することのできない領域にて収納した。
そのタイミングを見計らって。
「大魔法使い」
「うへあ?」
やはり音を少なくして、先輩魔法使いの真後ろにてトゥーイが音声を発してきたので、オーギは自分でも軽く予想外なまでにビックリと肩を振動させる。
「な、なな、何だよ……、いつの間に、いきなり話しかけてくるんじゃねーよ、ビビるじゃねーか」
「申し訳ありません誠に遺憾ですすみませんでした」
過剰ともとれる、設定に組み込まれているとすれば逆に意地が悪いとも解釈できる。
そんな謝罪文の後で、トゥーイはそんな事はどうでもいいと言わんばかりの勢いにて、オーギに次々と主張を述べ始める。
「大魔法使い草原にて脈絡を要求しています」
そっと目線を、右側にしかない眼玉の方向を急ごしらえの患者ベッドへ。
そこに物言わぬ長物の如く横たわっている、手負いの幼女をじっと見下ろしている。
「大魔法使い外部にお願いします女神の初期設定は短歌に前例が無く貴方を見ることを私は深く望みます」
「……あー、えー、っと」
持ち主の脳味噌から伝わる電気信号を敏感に感知して、けなげに働く瀟洒なデザインの発音装置。
肯定的に見ればファッショナブルなネックレスのようで、限りなく普通の目線で見れば奇妙な作りの首輪にしか見えない。
けなげに働こうとして、しかし大本が呼称しているが故に本来の役目を果たせていない。
哀れな魔術道具は今日もこの時も、こんな状況ですら絶好調で、くぼみに引っ掛けられている心臓を模ったロケットが、青年の動きに合わせてチリンチリンと摩擦音を立てている。
「大魔法使い」
相手の理解を置き去りにして、もしくは自分がこの世界、この国の現代文化及び文明における通常の会話をすることが出来ない、そのことを忘却しているのか。
とにかく、トゥーイは先輩魔法使いの戸惑いを一切考慮することなく、片方だけの目で獲物に狙いをすます獣の如き眼光を向けてくる。
「女神にお願いします」
青年の方はもちろんふざけている様子もなく、だからこそ、そうであるが故にオーギはとにかく困惑を深めるばかりであった。
「あっと、つまり、だ……」
なりは自分よりも年上に見えるとしても、そうであっても相手は自分にとって生まれて初めてできた同業の後輩の内の一人。
オーギは何とかしてその言葉の、怪文法の意味を捕えようと努力したが。
「あーすまん、なに言ってんのかわかんねーや」
しかし無理なものは無理だった。
ただでさえ見知らぬ重体の幼女に治療魔法を施した後、とんでもない非日常に体の芯ごと疲労感を貫通させている状態。
これ以上意味不明に付き合える程、そこまで心がつよかったらオーギもこんな所にはいないはずで。
「………………………」
なので、これはどうしようもなく仕方ない事であると、特に大した反応もなくトゥーイは慣れた手つきで懐から小さなメモ帳と一本の鉛筆を取り出し、そこにサラサラと文字を書いて先輩魔法使いに見せる。
[先生が心配ですので、先輩が様子を見て来てくれませんか?」
あまり綺麗とも言えず、むしろ汚いの域に属している文字。
はっきり言ってしまうならば、まるでミミズがのたくった跡のような、そんな文字によって紡がれている短文。
オーギは多少視覚と認識に誤差とブレを生じさせつつも、しかしこの場の展開的におおよその予測をつけて、割かし素早くようやく、青年の意向を読み取ることに成功した。
「あーっと、外にいるキンシの様子を見てこい、ってことか? そう言うことか?」
「はい」
オーギの導き出した回答に、トゥーイはごく短く返答をする。
数刻、さして長さがある訳でもない間、男と男は視線を交わし。
片方は意思の疎通に成功した細やかなる達成感に温かみを、もう片方はいまいち納得のいかないが故のぬるま湯につかるような不気味さを。
しかしやはりこんな所でこんな事に関して言い争う必要性もなく、そもそもこれ以上自分がこんな空気のある部屋に居つづけることを望んでいるはずもなく。
「じゃあ、患者の容体に何か変化があったら、えっと……」
「情け深く全力を尽くして海に飛び込みます」
意思の疎通すらままならぬ野郎に、はたして急変の通告が出来るものなのか。
オーギは一瞬こそ疑問に思い、思いとどまろうとしたものの。
しかし相手の、トゥーイのあからさまにあまりにも強すぎる決意の眼力に、結局は折れることを選択することにした。
「はいはい、それじゃあ何かあったら、何でもいいからいい加減に適当な事でもいいから、叫びまくって俺に教えろよな。頼んだぞ」
全体的に重々しく痺れる体に発破をかけて、オーギはそろりそろりと部屋の外に移動し始める。
無駄に細長い部屋の中をふらふらと、無駄に開けにくい扉を開けて、廊下とは名ばかりの不使用排水管に立つ。
ひんやりと水の匂いがむせ返るほどに立ち込めている。
一応南の方向に進んでいるのだろうか、閉塞感故に位置感覚がいまいち掴めない、そんな廊下をそれとなく歩き続けて。
さして時間もかからぬうちにオーギの鼻先へ光の気配が、外部の空気が口元へと香ってくる。
内側から外側へ、躊躇いも思考もなく動き続ける。
オーギの脳内にはつい先ほどの、視界の隅に入り込んでいた情報が名残惜しくしつこく残響をいつまでも反響している。
トゥーイは自分に要求をして、それが伝わると分かった瞬間のそそくさと、もう一度眠っている幼女の元へと近づき跪いていた。
自分から容体を観察し続けることを指示したのだから、その行動は至って普通の、通常の、違和感のないものだと思う。
思いたいのだが、しかし、どうにも。オーギは先ほどの青年の挙動に違和感を、それを一段越えた不安にも似た感覚を抱かずにはいられなかった。
あんなにも? あいつがあんなにも他人に対して興味を、いくら大怪我をしているにしても、そうだとしたら。
考えようとして、オーギはそれをすることを止める。今は止そう、と思う。
考えて何になるというのだ、解らないことにいつまでもしつこく縋りつけるような状況でもないのに。
そうなのである、この先は一体どうすればよいのか、まずそのことについて考えなくては。
思考の行く先を決めた、他に何を思うことも出来ずに。
自分自身に向けられたその場しのぎの折衷案を噛みしめる、オーギの足元で。
カラン、と何かが転がる音がする。
予想外に発せられた異物の音に対して驚く暇も与えず、転がっていったのは一個の空き缶だった。
使用済みだった物を廊下に放置していた、それをたまたま足先にぶつけたしまったらしい。
ある程度驚いた後で、推進力を得た空き缶は動力源であるオーギの意識と肉体を置き去りにして、力が向かうままに転がり続け。
そしてやがては廊下の、排水管の終わりへと到達。
転がり転がり、転がり続けて。
人間の足から出発させられた無機物は、やがて別の人間の足元へと到着することになる。
カラン、
「……」
しかし物体に衝突させられた方の人間は、それに関して何の挙動を示さない。
オーギは開け放たれた扉をこえて、その先に立っている人物へ、キンシの近くへ接近してみる。
「……」
キンシは立っていた、言葉もなく、呼吸すらも怪しい程の静謐さの真ん中。
まるでこの世に一切自分の関心を引くものなど存在していないかのように、後輩である魔法使いはじっと海原を、そこに絶えず生まれ続ける潮騒を凝視していた。
朝も早く(大体午前四時ごろのこと)
朝食に豆腐を使用すること、それを予定している人間の真上に、そいつは住みついているらしい。




