彼女は 一人で 彼は何もできない 一人では
ボサノバ風味
痛い、ああ痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い、
痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い
痛い。
ああ、ああ、ああああ、
痛い! 痛い!! 痛い!!!!!
メイは体に、自分が自分として認識できる肉体の全てに痛みを感じていた。
そんな馬鹿な、と己を構成している細胞の僅かが懸命に反論を、それによる安寧を求めようとしているが。
だがそれは許されるはずもなかった、許されざる事柄。
意識は訴え続けている、肉体だけを置き去りにして、感情を振動させている。
夜の暗闇がすぐ近くで舌なめずりをして、自分の事をじっと見つめているのを感じていた。
甘い吐息が脳漿を震わせている。
誘いに乗る訳にはいかなかった、それだけはダメだった。
沈んでは、ずぷずぷと、それ以上深い所に行く訳にはいかない。
それだけはダメだった。
ダメだった。ダメ、ダメ、瞼を開けていなくては、視界を閉ざしてしまえばあっという間な気がする。
気がするのではない、それは確定事項だ。
「……」
メイは正体不明の要因にて霞む、霞みすぎてもはやそこに何を移しているのかどうかさえ定かではない、そんな視界にて己のやるべきことを再確認しようとする。
「……あ」
内臓が破裂しそうなほどに熱を帯びている。
それがなんだというのか、呼吸器系でも循環器系でも泌尿器系でも、何でも好き勝手に蹂躙されて破壊されてしまえばいいのに。
それがなんだというのか。
そんな事はどうでもよかった、どうでもいいのである。
メイは口を開こうとする、声を出すためだ。
唇を少し動かしただけで、肉体にあらかじめ組み込まれている再生機能によって癒着しかけていた部分がぴりりぴりりと微かな音をたてて、持ち主の意識の体の方向性の違いによる断裂のメロディーを奏で始める。
滲みはじめる血液、はて? これは血液でしょうか。もしかしたら血漿、リンパ液? それは無いか、でもとってもベトベトしている。
ああ、嗚呼、嗚呼、だけど、そんな事はどうでもいいのだ、そうだった。
むしろ痛みがある方がいい、少しでも体を動かしただけでいちいち脳細胞に、まるで母親の庇護のもとにある子供のように逐一報告してくるのは、正直って少々煩わしいものがあるが。
それでも眠くなるよりはずっとマシかもしれない、いいえ絶対にマシです。
何故なら眠くならないから、痛みさえあれば眠りを忘れることが出来るから。
眠る訳にはいかなかった、なんとしても眠ってはならない。
メイは声をあげる、声を発そうとする。
「助け」
助けを、彼に助けを。
ああどうかお願いします何でもしますから、彼を助けてあげてください。
そのために私は、私は。彼は、彼は私を置いて行こうとしていたのです。
そんな事は絶対にさせたくなかった。
彼は一人では何もできないのですから。
彼は私を置いて行こうとしていました、それは当然の判断だったのでしょう。
私は彼無しでは何もできないのですから。
だから。
ああお兄さま、ルーフが、彼が、私を見つめたまま。
見ないで、私を見ないで醜い私を見ないで、こんな私を見ないでください。
お願い目を逸らして、でも私の事をずっと見ていて。
何も見ることなく、あのままずっとわき目もふらずに逃げていれば。
せめて、もう少し私の足が速かったら? 飛べばよかったのかもしれない、飛んで逃げていれば、体の疲れがなんだというのか。多少の痛みを覚悟の上で、私はあの人を守るつもりじゃなかったのか。
ああ、それにしても痛いな、鬱陶しいな。
そんなんだから私は、お兄さまが連れ去れてしまった。黒い車だったような気がする、それに乗せられて。
手を伸ばそうとしたら、その手ごと黒いハイヒールに指の骨を砕かれた。
また元通りにくっ付くかしら、あのメイドさんは強かったな。
でももしかしたら勝てたかもしれない。
長く鋭い刃で皮膚を裂かれ、内部からイチゴ色の血液が噴出しようとも。
皮膚の下の真皮を抉られ、つぶつぶとウニのように艶めく脂肪が空気に晒されようとも。
白くて軽い骨が粉々に、神経が引き抜かれる雑草の根っ子みたいに弄ばれ凌辱されようとも。
破れた管から溢れる体液が、行き場を失い内部にて鈍く痺れ滞ろうとも。
それがなんだというのか。
そのぐらいの事、彼の内部に秘められていた苦しみにくらべれば、ほんの些細なことでしかない。
それなのに。
出来なかった、出来なかった、出来なかった、出来なかった、出来なかった、出来なかった、出来なかった。
だから。
「……私は」
……。
メイの意識はそこで途切れることになる。
少し前に打たれた魔法薬剤がようやく肉体に染み渡ったのである。
弛緩していくからだ、最早抗いようのない眠気。
閉じ行く瞼、薄れゆく意識の中で彼女はせめてもの反抗として眼球を少し、ほんの僅かに動かした。
夕闇の空のように不確かな色彩、片方が殴打によって若干腫れている。
瞳にはとある男性が映り込んでいた。
彼は彼女の事をじっと見下ろしていた。
見慣れぬ人物、姿かたち背格好、何一つとして彼女の記憶による情報に該当するものは無い。
そのはずなのに、何故か彼の姿は痛みを伴うほどに、彼女にとって懐かしさを錯覚させる何かが含まれていた。
彼女の名前は何と言ったか、確か「メイ」と呼ばれていたような気がする。
しかし名前などはどうでもよかった、
所詮オーギにとって、そしてメイにとっても、お互いはこの世界のありとあらゆるところに存在する他人の内の一人にすぎないのだから。
そうだとしても。
「それにしても、春日と木々子のハーフだなんて、あんなにも両種の感じを上手く受け継いでいる奴なんて、初めて見たな」
そんなことを言っている場合ではないと、そしてその感想が他の誰に向けられている訳でもないのに、オーギはついつい思ったことをそのまま口にせずにはいられなかった。
何か、何でもいいので自分の感情を外部に排出でもしていないと、絶対に崩してはいけない何かしらの均衡すら瓦解してしまいそうな。
そんな強迫観念がさっきからずっと、オーギの心に我が物顔で胡坐をかいて居座り続けている。
このままだと変な気分に、とてもじゃないが理性とは月の裏ほどにかけ離れた場所にまで意識が飛びそうで、これはいけないとオーギは何とか現実的な事を考えようとする。
メイの呼吸は、それを含めた彼女の全体的なバイタルはしばらく命の有無を彷徨うほどに低迷をしていたものの、しかし意外なほどに危機的状況は早々に解決した。
「……」
オーギは自分の手を、もうすっかり汗の引いた己の手の平を見つめる。
あの時はたして俺は震えていたのだろうか、彼女を治療した時、そうだとしたら後輩にそれを頼まれた瞬間に震動は開始していたのかもしれない。
何にしても、ことが終わった今では確かめようのない事ではあるが。
自分の手から目を逸らし、今しがた自分が治療行為を施した患者の方を見やる。
場所は後輩魔法使いが文字通りねぐらにしている、緊急事態としてかなり大雑把に片付けられた、まさしく、でもなれば、まるで、ですらない。
地下鉄列車をそのまま引っ張り出してきたかのような内装の、本来ならば座席部分に当たる所。
そこに患者である幼女は眠っていた。
遠目からでも呼吸は安定を確認できて、その様子を後輩の仲間でありこの部屋の同居人でもある青年が、ここからではよく判らずとも、きっと通常通りのあの無表情で。
まるで食い入るように、青年は幼女の寝顔を見続けていた。
……結局は人の意思でしかない。
遅れてやってきた疲労感によってひりつく眼球を、瞼の裏で潤す。
男魔法使いの耳の奥で、懐かしい声が子守唄のように反響する。
「結局は人の意思でしかないのさ、それだけが人間に癒しを、そして本当の痛みを与えることが」
はて、その次は、続きはあっただろうか。
オーギは思い出そうとする。
だが思い出せなかった。
なんかうねうねしている
正しさは一つに限定されていた
言葉で天国に行こう
ざわめきを嫌悪する塔の壁
安易を憎悪する蜃気楼
色気がヤバいよね
彼は後ろにいない
城に彼女はいる
意味深
髑髏と化した者共の
眼に白い花が咲いている




