椿は天高く勘違いをする
カメリアちゃんびっくり
二揃いの色の異なる眼球に、ほとんど睨みつけられる形で凝視されている少女。
彼女はマスクの上にある瞳を気まずそうに揺らし、いかにも普通の生き物らしく兄妹から目を逸らした。
「そう、そうなのね。そう言うことならば、とりあえずここではこう言うべきかしら、ご愁傷様です」
まさか兄妹の嘘を本気で信じている訳でもあるまい。
しおらしい動作で、白々しく兄妹の演技に付き合う少女。
下げられた頭に晒される頭頂部、ルーフがその毛髪の奥にある頭皮の白さを眺めている。
このまま騙され続けてくれる、なんてことは有り得るはずもなく。
「さて、と」
時間にして二秒ほどしか経過していない内に、少女は頭を上げて兄妹達をじっと見据える。
「長々と嘘に付き合える程、こちらは暇ではありませんからね。さっさと本題に移りますか」
もはやその表情には一切の彩は無く、無表情の中に二つの眼球だけが爛々と輝いている。
「ワタシ達は、ですね。お爺様の件について重要な情報を持っている……、いえ、あなた自身が情報そのものといった方が近いかしら」
少女は一拍言葉に迷い、その空白ですら少年にとっては恐怖そのものでしかない。
「とにかく、このままだと貴方はただの、この世界のありとあらゆる歴史上に普遍的な概念レベルで存在している、ただの身内殺しとして自警団のお縄になる。その前に、とある組織の関係者への元へと貴方は赴かなくてはならない」
ああやっぱりと、彼と彼女は少女からもたらされる供述に一通り納得する。
最初からこの少女たちは自分たちの、絶対に他人には明かしてはならない秘密について知っていた。
だとすれば今までのやり取りはとんでもなく下らない茶番劇、馬鹿の極みでしかなかったのだ。
「えーっと、こんな所だとあまり詳しいことは言えないけれど。これから行こうとしているのは曲りなりも貴方のおじい様の知り合い……いや、仲間? それも違うか……」
少女が上手い言葉を見つけられないでいると。
「この場合は同志、とでも形容しておきましょうご主人様」
黒髪の大人が口元に笑みを凝り固めたままで、上司に大した意味もない助言をする。
今気付いたのだが、あの格好はどう見てもメイド服にしか見えないではないか? 焦燥感の中において、この期に及んでルーフの現実逃避が場違いなファッションチェックをしようとする。
なんで、なんでこんな道端にメイド服の大人が。ゴシックなのかロリータなのかいまいち判別し辛い、灰色を基調とした少女のドレスと相対して、黒髪に黒いシンプルなデザインのワンピースが酷く明確化されてしまっている。
今時とはもう言えず、すでに一昔前の時間にて広く流行した、いわゆるミニスカートタイプのそれとは異なる。
ひざ下からふくらはぎまですっぽりと布で覆う、ロングタイプのそれ。
服装から服従の意を全身にて主張している。
しかし、服の下に内蔵されている人間本人にはまるでそれに相応しい思慮深さは感じられず、顔面は相も変わらず兄妹達に、主にルーフの挙動に向けられてキラキラと煌めく感情を向け続けている。
それは世の穢れをまだ自覚できていない幼子の瞳か、あるいはよく手入れされている銃身から放たれる標準装置のようで。
とにかくルーフは居心地が悪くて、そろそろ吐き気を覚えそうになる。
少年の反応を面白そうに眺めながら、黒髪のメイド服は白いエプロンをじっとりと雨に濡らしながら手の内にある傘を、雨水から上司である少女を守るための道具を、少しだけ持ち替える。
「少年さん、えっと、ルーフ君といった方がいいですかね。下手に反抗の意を見せれば、この場面においては誰も得しない事、君になら十分察せられますよね?」
すっかり黙りこくってしまった少年に対し、少女はメイドを引き連れながらソロリソロリと接近を図る。
「色々と思うところはあるかもしれないけれど、こんな所で辺に逆らっても仕方ないでしょうよ。さあ、大人しく保護を受け入れなさい」
何が保護だ、今更そんなことを言って、言いやがって。何も知らないくせに。
ルーフの中で全く相応しくない、そうであるはずの熱が膨張を開始する。
頭上の雨雲はより色を濃くしていて、灰色を通り過ぎてほとんど黒へと。
それは時間の経過による太陽の傾き具合によるもので、時間はそろそろ夜へと突入しようとしている。
当たり前の風景の中で、男と女は異常な感情に苛まれている。
どこかで、多分そう大して離れていないであろう、同じ世界の道の上で車が行き来する機械音が遠吠えのように鳴り響く。
「……………」
さてどうしたものか、思惑は異なれどこの場にいる全員がそう言った迷いに身を晒している最中。
「うーん……?」
少女は困惑しきった様子で、少なくとも外見上はそれっぽく演出している。
そんな彼女を見下ろしながら、黒髪のメイドはさも妙案を思いついたかのように、人差し指で唇を軽く突いた。
「ご主人様、いくら初対面とはいえど、自分の本名を呼んでくれない相手に信頼を任せようなどと、なかなか思えないのではないでしょうか?」
それははたして意識的だったのだろうか、そうでなかったとしても、むしろ無意識であったならば確実に少年の感情は爆発していただろう。
そんな行動を、メイドは主人に推奨しようとしている。
「ああ、あー……、そうね、そうした方がいいのかもしれないわね」
少女もまた無意識の思惑の中で、自分自身の中の価値観と相談の上に最善と思わしき行動をとる。
「こんな所まで来ておいて、ルーフだなんて名前で呼ばれるのもいい気分ではないでしょう?」
少女の口が動く、その動作を幼女はじっと見逃さない。
「ねえ、──さん。いつまでも偽物のままで……」
それはほんの少しだけの、朝焼けの中に響き渡る小鳥のさえずり程度の音量しかない。
だからはっきりとルーフの、自らをそう名乗る少年の聴覚器官に少女から放たれた言葉が完璧に届いたわけではなく、それは酷く不明瞭なものでしかなかった。
きっと言った本人ですらうまく聞き取れていないであろう。
だが彼女の目の前にいる女だけは、しっかりと唇の動きと共にその単語の正体を認知していた。
「お兄さま!」
「え、うわ?」
撥ね飛ばされるような動作で妹がこっちに振り向いた。
と思っていたら、次の瞬間少年の腕は妹の手に強く握られて、その小さな体の何処にそのような引力があるというのか、それほどの腕力によって彼の体は彼女によって引っ張られていたのだった。
「メ、メイ?」
兄からの問いかけに取り合うことなく、メイは唇を血が滲みそうになるほど強く引き締める。
瞬発力による勢いを失わぬままに、彼女は一目散と兄の手を引いて少女とメイドが存在している地点から、少しでも遠く遠くを目指してがむしゃらに走りだす。
「なっ何? どうしたんだよ、おい!」
今までも十分を遥かに超えるレベルで意味不明が満ち溢れていたのに。
ここへ来て唯一の、彼にとって最後の心のよりどころで会ったはずの女性。
そんな彼女の留めと言わんばかりの不可解な行動に対し、ひたすらに足を動かすことしか出来ない少年は、妹に向けて簡単な質問文を投げつける。
「どうするんだ、このまま、どこに行けばいんだ!」
それはただの叫び声でしかなかった。
いたって普通の、なんの思惑も含まれていない言葉の、音声の一つでしかない。
しかしメイにとっては、少年の妹である彼女の内層にある解釈はスベスベと絹糸のように滑らかな曲解の上で、それはきっと彼自身の悲鳴に違いないと。
自分勝手に解釈をしていて、だからこそ彼女は己の内部に萌ゆる決意を繁茂させた。
塗料飛沫防止マスク
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(アマチュアイラストレーターR所有の折り込みチラシより)




