身を削る意味が含まれている
鉛筆削り。
「まあまあ、まあ、落ち着いてくださいよシマエさん」
あえて苦笑いを演じつつ、キンシは男と女の会話劇に乱入していく。
「見ての通り、オーギ先輩殿はどこにも負傷をしていない、健康優良そのものじゃないですか。それもそのはず、何と言っても優秀なる後輩の僕が、しっかりきっかり職務を果たしたからで、痛い!」
茶番劇を一幕終えることも許さず、本物の苦々しさを口元に湛えているオーギが後輩のおふざけを拳によって諌める。
「馬鹿なこと言ってんじゃねーよ、大体お前は……?」
続きまして始まろうとしていた先輩と後輩の反省会。
しかしそれは結局幕を上げることすら叶わず、小さく無遠慮でいながら有無を一切言わせようとしない闖入者の存在が場の空気を支配しようとする。
「ふ、あ、あ、あ、 (‐0‐)」
縦向きの楕円形に唇を広々と開いている、ミッタの口内を涼やかな外の世界の空気が満たしていく。
おや、眠いのかしら。
キンシが幼児の疲労感を考慮している、それよりも素早くアクションを起こして。
「あら、あらあら?」
たった今気付いたのだろうか、およそこの空間に色々な意味においてそぐわない存在を視認して、シマエの瞳がくるくると丸くなる。
「え、えー? 何、どうしたのこの子。うわー小さい、小っちゃい!」
まずは最初に自分の感覚と感情のままに感想を。
そしてすぐさま彼女は当然の如き疑問を口にする。
「えっと、この子は誰? 誰の関係者なのかしら、こんな危ない所に連れて来て、どういうことかしら」
あって然るべき問いかけ、それらを改めてぶつけられる魔法使い共。
何よりも誰よりも答えるべき当人を含め、内側に生じる思考はさまざまであったとしても、皆一様に要領を得ない方向に視線を向けて沈黙する。
そのような対応をされたシマエはやはり困惑し、その瞬間良くも悪くも活発な彼女の想像力がいかんなく発揮されて。
「ハッ、まさか……。この子は誰かの隠し子で、秘蔵の宝物を保護する極秘のお仕事を……」
「それは違う」
オーギによってすぐさま否定されるシマエの空想。
しかし彼女の虚妄は止まることを知らず。
「じゃ、じゃあ。予想だにしていなかったところから現れた、遠縁の血の繋がりがあって」
「そんな訳ないだろうが」
オーギは後輩にしたのと同じような制止を、しかしその大部分を拳からそいだ状態で、少々ためらいがちにシマエの艶やかな毛髪の上にそっと置いた。
「あーえっと……」
ついついいつもの手癖が。
そう言い訳したくなるのを堪えながら、皮ふに甘い香りのする毛髪の気配を味わいつつ、オーギは苦し紛れに後輩の言葉を催促する。
「ほら、クソガキ共。ボケッとしていないで、早く知っていることを全部話しやがれ」
「あ、えっと。は、はい」
一体何を期待していたのだろうか、そこからこれ以上の発展をいかにも期待していたキンシは、自らの名を呼ばれたことによって幕が終了したことを若干残念がり。
しかし同時に自分がすべき状況報告を思い出して、全身に然るべき緊張感を張り巡らせる。
「えっとですね、この子はミッタさんと言いまして」
キンシが昨日の内に、そして今日この時まで起きた事々を口頭のみで、出来得る限りわかりやすく子細に説明している頃。
話の主なる要素となっているミッタ自身はふくふくと、小さな鼻腔から小鳥の呼吸のような音を出しながらキンシの脚部を覆う暗い赤色のタイツを、そこに織り込まれている模様を興味深そうに指でなぞっていた。
小さく無遠慮な刺激によって数回ほど身をよじらせて笑いたくなる欲求に襲われながら、それをどうにか強い精神力によって堪える。
異様に疲れる報告をキンシが負える頃には、シマエも幾らか落ち着きを取り戻していた。
「ふむふむ」
いかにも大人っぽく小難しい表情を作る彼女。
微妙に似合わないその顔つきのまま、シマエはキンシからもたらされた情報を自分の脳内で独自に解釈、整理し整合してそれなりに納得できそうな形まで取り繕い。
「つまりは、こう言うことかしら?」
とりあえず、現時点で理解できたことを唇の上に並べ立ててみる。
「昨日キンシちゃんたちは何時もの通りに朝起きてご飯を食べて、お仕事をしてお昼ご飯を食べようとヒエオラさんのお店に行こうとした。その時にはオーギ君はいなかった、私といっしょにいたからね」
語尾に登場したあずかり知らぬ情報に、キンシの見えざる触手が反応した。
だが今は到底そのようなことをいちいち気にしている流れでもなければ、それ以上に先輩魔法使いの突き刺すような視線に逆らうほどの気力もなく、仕方なしに今は欲望を隅に置いておくことにする。
「そうかあ、そうだったのねえ。私たちの知らない所で、そんな怖い彼方が出てきていただなんて。怖かったでしょ、キンシちゃん」
ささやかなねぎらいの後、シマエの自己流たっぷりな要約は続く。
「えっと、それでお店にたまたま居合わせていたメイっていう女の子が食べられちゃって、それを揺り籠から取り出すときに、そのミッタちゃんも中に入っていた。と、言うことかしら? これで合っているかしらね」
「流石ですシマエさん、おおよそにおいて大体が正解です。まるで小説のあらすじを見ているような錯覚に陥りましたよ」
若干過剰気味の賞賛を一つ送った後、キンシはいよいよタイツを爪で引っ掻き回し始めていたミッタ足元から引き剥がし、体の正面がシマエによく見えるよう方向を手で変える。
「そうなのですよ、そう言うことなのですよ。それでもって本日はバームクーヘンを資本とした取引の元、僕がミッタさんのお世話をすることになったのですが」
「バームクーヘン……?」
いきなり出てきた食品名にオーギが意味不明を脳内に浮かべている。
その間に、シマエの表情からは子供っぽい明るさが減少していって、その代わりにそれなりの年の層を感じさせる暗たんが唇に漂い始める。
「でもキンシちゃん、そういうのはあなた達だけで受け止めきれるようなことなのかしら?」
彼女は真面目な雰囲気の中でキンシの事を真っ直ぐ見つめてくる。
「身元不明の子供、そういうのはもっとちゃんとした所で、例えば自警団の人たちに預かってもらうだとか、そういったことをした方がいいと、思うのだけれど……」
「自警団」と言う単語が登場したことで、オーギの眉間の筋肉が無意識に近い形で引きつる。
その動きをしっかり自覚していながらも、シマエはやはりそのことについて追及をしない訳にはいかなかった。
どうしてか、仮に誰かに問われるとすれば、
「私は魔法使いじゃないから、つい不安になっちゃうのよ」
シマエの唇から冬のすきま風のような言葉がこぼれる。それが彼女による最大の答えであった。
「なるほど」
キンシは数回ほど頷き、
「貴女の言いたいことは十分に理解できますが、しかし」
まず最初に彼女の言葉に軽く同意した。その後に真顔で彼女の耳元に近付いて、何か一言では済まされない事柄を耳打ちする。
シマエは最初こそ信じられないといった表情で、しかし瞬く間にその瞳に驚愕を浮かべ。
キンシが唇を耳元から離す頃には、彼女の表情にはより深々とした思慮が満たされていた。
「そう、そう言うことだったのね、確かにそれは少しまずい、少なくともミッタちゃんにとっては良くないことが起きそうね」
一体何のことか、オーギが興味深そうに見つめてきていることすら気づかない程に、彼女は新たに与えられる新事実に慎重な選択をしていく。
「……キンシちゃん」
「はい」
彼女に名前を呼ばれて、キンシはすぐに返事をする。
自分より若い人間のその挙動を彼女はどこか寂しげに見つめる。
「あなたは、あなたは本当に、優しいのね。そのままだと世界中の全部に優しくしそうで、私は不安だわ」
言い訳じみた答えを引用して、笑いかける彼女の表情にキンシは微妙な笑みを浮かべるばかりだった。
その時。
ベイビーに苦しみましょうか。




