違いを認める必要性はあるのか
私は無いと思うのでした。
人が生きていて、そこには何かしらの文明が生じるのは必然であり。
集合体が個人を保っているのならば、その隙間には必ず好ましくない感情が生み出されるもので。
彼だったり彼女だったり、あるいはそれ以外の何かしら達だったり。
とにかくこの鉄国及びそれを含んでいる灰笛と言う都市においても、ここがそう呼ばれている場所であるが故なのかそうでもないのか。
卵が先か鳥が先が、どちらにしても人とのコミュニケーションにおいて好ましくない、丁寧さが求められる空間において口が裂けても言うべきではない、言ったとしたらそれこそ肉が裂かれるよりも辛く苦しい痛みを味わう羽目になるでろう。
つまりのところ、色々な意味において品のない言葉というものが存在するもので。
メイがたった今唇の隙間、口内の舌を蠢かせて呟いた言葉も一応、そういった常識の内に属するものであったのだった。
ルーフが眉をひそめつつも服の下では、他人には見えない皮膚の上でねっとりと冷たい汗を滲ませていて。
そうしながら男性の、ヨシダの反応を窺っていた。
またしても昨日の昼のような、見るも無残に醜い戦いがこの、一人暮らしには少々寂しいと感じるほどの広さがある部屋の中で繰り広げられてしまうのではないか。
破滅的予想を抱いて予期してみたものの。
「なるほど、なるほど」
しかし少年の思考とは反して、当のヨシダの方は至って穏やかな顔つきのまま、玄関先で最初に出会った時の顔色のまま、そこに全く赤みをさすこともなく平然とした態度のまま口を動かしている。
「いやいや、お兄さん、妹さんの言葉遣いは何も間違っているものではないよ。むしろこの町の文化を鑑みれば、変に上品ぶった言葉を使うことの方が、そのことの方が無礼にあたると、オレ個人としては思っているわけで」
言葉一つでつらつらと、何やら正体の掴めない持論を繰り広げていくヨシダと言う名の男性。
兄妹達がそれぞれ、似たような表情でポカンとしているのを確認したヨシダは、継続しかけていた言葉を中断して少し気恥しそうにする。
「ああ、えっと、すまない。ついいつもの、職業柄的癖が……」
取り繕うように、ヨシダは視線を逸らして窓の向こう、どこか遠くへと視点を合わせる。
「学校でこうして自由に持論を広げる機会も、そんなにある訳じゃないけれ……」
「いいい?」
せっかく相手が悦に入り、流れるままに会話を繰り広げているのにもかかわらず。
それでもルーフは流れを強引にせき止めてでも問い質した事々が余りにも。
あまりにも大量にぶち込まれてきた新事実に、少年のキャパは耐えきれそうにもなかった。
まずこの男性がこんなにも、これは玄関先で一服誘われたときにすでになんとなく考えていたことなのだが、こんなにも理知的でいかにも大人然とした態度で人と向き合えることが出来る野郎だったとは。
野郎なんて言葉遣いを脳内で使うのもはばかられる、だがやはりルーフの脳内では彼とまったく同じ造形をした顔面が、アルコールの魔力に染められて暴力を増長している光景が根強く残っており。
故に現在のギャップに吐き気を感じるほど違和感を覚えてしまい。
まあそんな事は、過去と今の認識など所詮は自分の中の問題以上にはならず。
しかしそれ以上の疑問点がルーフの脳天をガンガンと打ち鳴らしていて。
「あ、あ、あ………あんたって、その、働いていたのか!」
およそ不必要でしかない声のボリューム。
その大きさはもちろんの事、内容の方もどう取り繕ったところで礼儀がまるでなっていない。
それはどういう意味なのか、それを聞いたところで一体何になるというのか。
色々と気になる点はあるにしても、今度はメイの方が兄の言葉に対してあまり好ましくない感情を抱いているところ。
「まあ、そう言うことになるよな」
やっぱり彼は、一体どこにそのような寛大さが含まれているのだろうか、或いはただ単に鈍感なのか、どちらにしても平然さを堅牢に崩すことなく、若者の質問文に丁寧な回答を返してくる。
「働いていなかったら、こんな物品を注文するためのお金だって用意できないわけだし」
まず最初にほんのりと苦笑いを浮かべながら机の上の段ボールを見下ろし、すぐに少年の方へと視線を戻す。
「僕は一応学校で、灰笛内にあるとある大学にて非常勤をやらせてもらっているんだ」
「な、なるほど………」
学校だとか大学だとか、ヒジョウキンなる単語がいったいどのような意味を持っているのだとか。それら全てがルーフにとっては未知の事柄でしかなったのだが。
しかしさすがの彼もこれ以上自分勝手に疑問文をぶつけるようなことはせず、今は黙って目の前の男性の動向を探ることにした。
「それでも今日はこのように、身体上の不調で仕事を休ませてもらっている訳なんだけれどね」
そこで彼は自分の頭部を、そこに巻かれている白い包帯を見せつけてくる。
それは兄妹達にも十分わかっていることだった。
やはり玄関先で彼の事を確認したその時に、顔面の既視感の他に嫌と言うほど目に入ってきていて、それ故にあまり真剣に考えたくない事実を。
ヨシダはなんてこともなさそうに、軽い擦り傷を報告してくるような気軽さで、どう見ても大怪我にしか見えないその負傷をについての情報を報告してくる。
「昨日の昼辺りに彼方に襲われちゃったらしくてさ、その時にここの……」
彼は子供たちに出来るだけ解りやすく子細な情報を伝えたかったのか、わざわざしっかりとまかれていた包帯をはずして、その内部に守られていた負傷部分を見せてくれる。
「自分の鼓石を結構なレベルにまで負傷しちゃったらしくて。いやーまいったよね」
いまいち確信の足りない情報、それはまあ、色々と致し方ない事として済ますべき事なのだろうか。
その辺の真偽はともかく。
男性の側頭部、少年の体で例えるところの耳がある場所、その辺りが包帯の保護から解放されて熱を放射し、そこに埋め込まれている硬質な輝きを窓からの光に煌めかせていた。
話を少し反らして、こんな時になんだが、ルーフには前々から空想している疑問点がった。
血に含みがなく、斑入りと言う概念も知らず、生まれてこのかたスタンダードタイプの人間しか見たことのない奴が今の、ヨシダの頭部をみたらなんというのだろうか。
隣にいるメイの、ヘッドホンの下に隠れている赤色をみたら。
この集合住宅からはだいぶ離れた所、きっとまだ半壊状態になっているであろう「綿々」の店主、彼の耳に生えている花を見たら。
自分とは異なる世界に生きている人間は、どの様な感想を抱くのだろうか。
それそれとして。
ヨシダは少しばかり空想に浸っている少年を他所に、鼓石という安直なネーミングで呼ばれている自らの一部をそっと擦る。
「ちょっとばかしなら問題ないと思うんだけれど、医者が言う所によればこれはちょっと危ない状態らしくてね」
側頭部に生える石、のような形をしている器官。
あまり大きくもなく、もみあげ付近の毛髪を伸ばせば簡単に隠れてしまいそうな大きさの、キャベツの葉を千切って重ね合せたかのような結晶体、っぽい形状の聴覚器官。
この世界における斑入りの証、ことさら獣人と呼ばれる体に獣の特徴を宿した人間の、主に側頭部に備わっている、スタンダードタイプにはない煌めき。
ルーフもまたそれを持っていないため、そこを負傷するといったいどうなるのか全く、真の意味で解することは出来ない。
特に珍しくもない、せいぜいまぶたが一重なのか二重なのかの違い程度の、そのぐらいの価値観でしかない部分。
それをヨシダは慎重そうに、それこそまさしく出来たてのかさぶたに触れるかのような手つきで、自分の体に生えている石っぽい部分にそっと触れ。
自らの皮膚が負傷部分に触れる痺れをビクリと感じて、わずかに顔をしかめた。
ああそうか、痛みはあるんだな。
ルーフは他人行儀に、それ以外の事を考えられるはずもなく何故か自分の耳を。
日に当てても輝かず、色もついておらず透明度もない、肉と皮しかない自分の聴覚器官を触りたくなり、しかしその欲求はすぐに無意識の中へ溶けて跡形もなくなる。
しかしそれどころじゃなかったのです。




