彼は強引にでも願いを叶えるつもりなのでしょう
武器を構えろ。
「総員っ退避ーっ!」
そしてそのまま辛く厳しい現実から、例えばほんの一日前に赤い顔をして争ったばかりの相手だとか、そういうのから線路の果てまで逃げることが出来たならば。
しかしこの世界においてそのようなことが出来るはずもなく、そもそもこの場にいるキンシはそのような行為を好んで望んでいる訳もなく。
本人の本心がどうであれ、それを取り巻く現実の展開はそのような悠長なことで迷えるほどの余裕を許さなかった。
人々の、それは主に魔法使いで構成されているのだが、そういった人たちの様々な感情の伴った、しかし向かうべき目的は同様であるはずの悲鳴が所々で響き渡る。
人の肉の穴から奏でられる緊急時の音声。
それらを掻き消さんばかりの音量で、一体どこにそれがあるのか皆目見当がつかない。だが
とにかく鉄の樹木のどこかしらに設置されたサイレンが、非日常を赤ん坊のぐずりのようにけたたましく高らかに空気を震わせている。
キンシにとっての先輩、オーギという名前の魔法使いが何かを、周囲の人々にこの場から早急に逃避することを命令的に推奨する号令を、喉が張り裂けそうなほどの大声で呼びかけている。
彼の声に従い、あるいはそんなものも必要がないほどに、その他の魔法使いたちは次々に作業現場から離れ樹木の根元へ、つまりはビルの屋上へと降りていく。
「………! ………! (@-@;)」
急に展開する場面の一定した、それでいてそれぞれの個性が抗いようもなく吹き出る人々の動きの流れ。
目まぐるしく去っていく動きに、トゥーイの背中の上でミッタは灰色の瞳をくるくると丸くしていた。
その中でどこか冷静さを装って、はたしてオーギはみんなに逃げるよう言っているのだが、彼は逃げなくていいのだろうか? といった疑問が生まれ膨らんでいく。
イースト菌を含んだ小麦粉のようにむくむくと広がる疑問点は、そのままミッタの体を背負っている青年と、そして彼がいついかなる時も付き従う若き魔法使いまで、はてなの範囲に飲み込む。
「オーギさん!」
ミッタの注目を浴びる体が、そのことを一切意識する由もなく、自らのやるべき業務についての動作を忙しく行動している。
「大変にどえらいことになりましたが、目標は何処にいるのでしょうか?」
後輩に緊迫した面持ちで確認を問われたオーギは、前歯を固く風に晒した表情でとある方向を凝視する。
「目測じゃあなんとも言えないが、まあ、俺の予想では大体あの変だろうな」
感情を一切崩すことなく、オーギはとある方向を重々しく指し示す。
そこは鉄の樹木、魔法使いの作業現場、人の手によって本来不可侵のはずだった空中に造られた場所。
枝の先から、地上で測れば数十歩ほど離れた、そのぐらいの距離があるなにもない空間。
オーギは言葉もなくそこを、何もないはずのその場所をじっと見つめている。
睨んでいる、の方が言葉としては正しいのかもしれない。
その瞳の中に含まれている感情は誰にも共有されず、彼らは沈黙の中でその場所を凝視する。
一つとして共通のない、人の感情が大量に伴った視線の数々。
まさかその動作に反応した、そんなことがあるとも思えないのだが、しかしこの場にいる全員の注目が集まった、いかにも丁度が良すぎるタイミングにおいて。
「aaa--...a-.a-1 aa-1」
空気しかないはずの、……いや、空気を基本とした魔法の鉱物が眠っているであろう、とてもじゃないが生き物が存在しているとは思えない、その場所から人間の寝息のような音声らしきものが漏れ聞こえてきた。
「おやおや、さすがオーギさんですね。今回も大体においてドンピシャですよ」
キンシがそこを、怪物が眠っているその場所を見る。
ゴーグルを度合いを調整したり、はたまた血液でレンズを作成したり。わざわざそのような道具を使用する必要すらもなく、キンシの目にはしっかりと起こりつつあるそれが確認できていた。
「u-,u-u.u3--0ieeee---1」
空気がたわむ、切り刻んだ皮膚のような膨らみが伸縮して、しかしそれは内部からの爪によって強引にぶちぶちと引き裂かれ、ぶちぶちと繋がりを引き千切られていく。
内部からの刺激によって開かれていく傷口。
薄墨色の揺らめきがだらだらとこぼれ流れ落ちて、石灰色の背景に溶けて消失する。
ぽろぽろと透明な魔法鉱物の欠片が、実体を得ることも叶わず氷のように解ける。
それらの現象をただの、道中に茂る藪の如く軽々と掻き分ける。
顕現せしは怪物なり、雄大なる黒き指が求む獲物は何ぞや、肉に皮に発芽せん目玉は水を飲む。
「何と言いましょうか……、随分と人間っぽい物が……?」
キンシが簡素で簡潔な感想を述べようとして。
「いや、やっぱり違いますね」
しかしすぐに自分の意見を否定する。
その感想に限定するならば、その場にいる全員が賛同を示すことが出来ただろう。
傷の中からめりめりと、母の体から血を浴びて生まれ出でる赤子のように世界へ出現する怪物。
「444-41 x]]]e1」
やはり寝息のような音をたてている。
だがその体はとても赤ん坊のものとは呼べるものではなく、それどころか人間の形状ですらない。
巨大にふとましい上半身。
どんなに頑張って少なく見積もったとしても、腕と呼ぶべき部分には関節が三つ以上視認できる。
分厚い肉と皮と、外からは窺えないがきっと骨もある。それらのいかにも生き物らしい物質で構成されている胴体には、どうしようもなく生き物らしくなく、複数のぎょろぎょろとした目玉のような器官が埋め込まれているように生えている。
人間的にはちょうど心臓が内包されているであろう、その辺りにはひと際大きな球がある。
輝きがぎょろりとこちらを睨み返してきたような気がして、ミッタは慌てて視線を下に反らす。
そうすると怪物の下半身が、ひょろひょろと短く細い、全体の体を見た後だとどう考えても貧相で軟弱が過ぎる足の、もぞもぞした蠢きを見る羽目になってしまう。
「あーあ、まったく」
オーギが、それはもう心の底から、何一つとして嘘偽りのない感想を言葉にする。
「相も変わらずあいつ等は、本当に忌々しいほどに気持ちが悪いな」
誰に向けたものでもない、そうであるが故にキンシは何かしらの反応をすることはせず、ただ単に目の前の現実について思いを巡らせる。
「それにしても、最近なんだか彼方さんの動きが激しくないですか? あんな大物、去年の頃は二ヶ月、いえ、半年に一度あるかないかだったはずですよ。それが、はて? 今月だけでも一体何回目なのでしょう?」
する必要のない、出来るはずもない計算をキンシはしようとして、指を数回曲げた所ですぐに諦める。
「さあな、何にしても相手は俺達の予想をいつだって上回りやがるんだ」
オーギは怪物が埋もれている場所から目を離すことなく、来ている服の袖をまくる。
「回数なんて関係ねえ、こうなった現実に対して俺たちがやるべきことは限られている」
あらわになった腕。
そこには何か、黒い模様らしきものが。
「限られたことの中に、俺が選ぶべきことはもう決まっている」
はて、ほくろや傷跡にしては違和感のある。それをオーギは指で撫でる。
すると次の瞬間、オーギの手の中で空気がたわみ震え揺らめき、やがてそれは一つの形となって実体をえ始めた。
そう足して大きくもない、金属と木材によって形成されている。
あれは鉄砲なのか? 形状からミッタはおおよその予想をたてる。
オーギは自らの肉体から出現させた鉄砲を、さも当たり前のように握りしめる。
自らの武器を持ち、
「俺のやるべきことは」
望む相手のためにそれを強く握りしめる。
「生き残るために戦う、死にたくないから戦う、ただそれだけだ」
取扱には注意してね。




