早くしないと御昼が終わる
雨はまだ止みそうにない、たぶんこのまま夜まで降り続けるだろう。
びしょびしょに濡れている小さな魔法使いの元に、フードを被ったトゥーイが歩み寄ってくる。
彼はキンシの指令で、キンシ一人きりでは受け持ちきれない区域の監視を行っていた。彼も一応魔法使いとして、事務所に名を連ね働いている。
といっても、彼はとある面倒臭い事情によりあまり魔法が得意ではなく、本来ならば健全な職業魔法使いとして働くための条件をクリアしていない。
それでも、とてもとても親切で親身な先達の魔法使い殿、要するにオーギの甲斐甲斐しい助力によって、彼は何とか誤魔化しを重ねつつ今日に至るまでキンシと共に業務を果たしていた。
それこそ正真正銘の魔法使いであるキンシよりも、真剣に仕事に取り組んでいる。
だからこそ彼はしっかりと休憩時間を把握し、そしていつもの如く碌に時計も確認していないキンシに、まめまめしく時の流れを教えようとした。
「先生」
すっかり雨水を吸い込んで、濡れ雑巾状態になっているキンシに話しかける。
「先生」
キンシが音もなく振り向いた、長く伸びた前髪がぴったりと顔に張り付いている。
かなり長く、そして複雑な考え事でもしていたのか、話しかけられているにもかかわらず若者の目線は、目の前にいるはずのトゥーイをいまいち認識できていないようだった。
トゥーイはそれに特に大して構うことなく、淡々と提案を語りかける。
「しませんか?することを推奨します、昼の時刻で休息を」
彼の音声は絶え間なく落下してくる水分によって、掠れ具合をより増しているような気がした。
「あらら、もうそんな時刻ですか」
そこでようやくキンシの焦点が、空の色と負けないくらい暗い色の雨合羽を着こんでいる青年の元へと当て嵌まる。
空想と思惟の世界に一旦の別れを告げて、キンシは現実で実体のある呼吸をするために、唸りをあげて背伸びをする。
「うああー…っと、疲れましたなトゥーさん」
「そうですね先生」
「疲れるようなことは特に何も起きなかったし、してもいないけれど、疲れましたなトゥーさん」
「そうですね先生」
トゥーイは合羽からはみ出している尻尾を、ぶるりと震わせる。
「休憩を推奨します」
そして重ねてキンシに提案をした。
「わかってますって、でも…」
キンシは濡れそぼった唇に指先を当てて思い悩む。
「今日はどこで昼休憩を取ればよろしいのでしょうか…?」
普段の流れならば、頼れる先輩オーギが率先して休憩を取り、キンシ達後輩はその後にくっ付いて行くはずなのだが、生憎ながら本日はその彼がいない。
彼は今頃、日々の仕事よりもスリリングでデンジャラスなミッションをこなしているだろう。
となれば我々後輩にできるのは、後輩の身の力で本日の業務を安全に終了させることのみである。
キンシはそう考えると、俄然やる気を出して休憩に取り組めるような気がしてきた。
「悩んでも仕方がないですね、オーギさんがいない今、僕たちが頑張って無事に誠心誠意を込めてお昼休憩をこなさなくては!」
「………その通りですね先生」
休憩如きにやる気を出すよりも、仕事の方に力を込めるべきじゃないか?的なことをトゥーイは疑問に抱いた。
「その通りだと私は思います先生」
しかしこれ以上休憩時間が短くなるのも嫌だったので、彼は何も言わないでおいた。
相手に挨拶をする際には、雪や雨や霰や雹や雷や槍やら矢やら、色々なものから頭部を守るための雨具を脱がなくてはなりません。着用したままの挨拶はよほど相手を信頼しているか、あるいはとてつもなくナメ腐っている場合のみ限定されます。
~『魔法使いの基本的な社会マナー』より抜粋~




