灰笛続き 1月13日 2つ 1403 魚とウサギはよく人生を最悪にしてくれる
ラクは尾びれをぺたぺたと地面につけたり離したりを静かに繰り返している。
彼が見ている先にてキンシが六十秒ほど語る、内容を終わらせようとしていた。
「──……ですので当該作品における世間一般に「魔法少女もの」としてのルールを変えた影響は計り知れないものなのですよ。
それに書き加えて様々な恋愛感情の形を表現したのは、やはり作家さんの元々の性質が為せる技量だったのかもしれませんね。いまでこそカラフルに、あらゆる境界線を越えた恋愛感情は推奨の道を辿ろうとしていましたが、しかしまだツナヲさんが生きていた時代の痕跡は色濃く残っております。
であればやはり、このマンガが目指したところの世界はかなりあ、ああ……あどばんす、なモノであったそ相違ないでしょう。ええ、そうでしょうとも。
ちなみに僕はやはり主人公の……──」
「はい! そこまで!」キンシの耳へメイの抑制が透明な矢を撃っていた。
「わくわくしているところ悪いけれど。キンシちゃん、ラクさんが困っちゃっているわよ」
「んるえ?」
キンシはようやく自分がかなり興奮状態であったらしいこと、そのことに気付いていた。
「あ……すみません、なんだかひとりで勝手にドキドキしてしまって……」
「いや、別に悪いことは無いよ」
ラクはキンシをなぐさめようとしている。
そうする必要性がある、と思う他に彼には一つ確信的な予感があるらしかった。
「すくなくとも今日のネタには事欠かないよ、おかげでな」
「ネタ?」
キンシが不思議そうにしているところで、ラクの首元へ伸ばされる指があった。
「よいしょ」それはツナヲの指だった。
老齢に差し掛かったニンゲンがもつ擦り切れた気配を持っている。
指はほとんど迷うことなくラクの首元、刺さったままになっていた白い矢を抜き取っていた。
「うひぃい?!」
その時点まで体に食い込んでいた異物が一方的に乖離させられた。
ラクは形容しがたい違和感、ゾワゾワと神経を震わせる感覚にこぼれ落ちるような悲鳴をあげていた。
「いきなり何しやがる?!」
ラクは首元を抑えながらツナヲの方を睨むようにする。
「ほら」ツナヲはラクに理由を語る。
「ずっと刺さりっぱで、邪魔くさそうだったからさ」
ツナヲは冷やしたサイダーのように甘く爽やかな笑みを浮かべている。
右手に白色の矢をたずさえたままで、とりたてて悪びれる様子も無い。
そんな魔法使いの姿に、ラクは大きく体力を削ぎ落とされたような息を吐き出していた。
「そうだとしても、なにかしら事前に警告するなりなんなりしてくだいっす……」
ラクは冷えた指先で首の皮膚、矢が抜けきった部分をさする。
「そういえば、なんですけど」
キンシがふと思い出したように質問をする。
「メイお嬢さんの矢はどうしてラクさんの命を奪わなかったのでしょうか? 普通、首は生き物の弱点のひとつであるはずなのに」
獲物を得るのに攻撃すべき部分と言えば? と問われればかなりの上位に食い込むであろう部位のこと。
「ああ、それは」
キンシからの問いにラクは自分の首を撫でながら答えている。
「まあ、ただ単に俺が「普通」の人間じゃないってだけ、ただそれだけの事だろうよ」
ラクは首から手を離して、両の指で自らが身に着けている刺繍入りのロングスカートをたくし上げている。
キンシはハッと目を覆いそうになる。
他人が衣服の中身をさらけ出そうとしているのが、どうしても少女には羞恥心を引き起こす行動であるとおもえて仕様がないようだった。
「恥ずかしがるこたァねえよ、魔法少女さん」
ラクはそこで少しだけ面白いものを見つけたかのように、魔法少女の方を見て笑っていた。
「ただのしがない魚の下半身だ」
ティースプーンひと匙ぶんの愉快さ。
ラクはスカートの下側、魚のような形に固定された肉体を露わにしている。
「チアキ君、だったっけ?」
ツナヲがラクの名称を確かめるように呼んでいる。
「君の呪いもまた、なかなかに個性的な感じでスゴそうだけど」
ツナヲから言葉を受け取った。
「そりゃあまた、光栄の限りだな」
ラクは人魚のような下半身、尾びれをぺたぺたと地面にくっ付けている。
金魚のような色合い。
鱗のそれぞれは腹部の下側に真珠のような白色を、背中側へ進むごとに紅珊瑚のような溌剌としたカラーを発している。
「モノホンの魔法使い殿に個性的だなんて褒められたら、俺みてェなしがない一般市民人間クソ野郎なんざ簡単に塵芥も残さず天高く舞いあがっちゃうだろうよ」
そこはかとなく他人事な様子がある。
「別に褒めたわけじゃねェよ」
ラクのことをツナヲが否定していた。
「それにしてもそれだけ「人間」の形を失っておいて、よくもまあ、理性が吹っ飛ばなかったもんだよ」
ツナヲは珍奇な珍客を見つけたかのような視線をラクに向けている。
「なに」
ラクは少し恥ずかしがるようにはにかむ。
「俺なんかただの、「普通の人間」に似ていた塊に過ぎないよ」
「人間」が絶滅危惧種になりつつある世界において、そんな世界を当たり前だと受け入れてきていた魔法少女に彼の憂いは理解できそうになかった。
少なくとも今のところは。
今はそれよりも。




