灰笛続き 1月12日 1401 魚は真の名前を知らないで鱗を目から落とす
キンシはぶわぶわと髪の毛を逆立てている。
上着のフードの布地の下側、子猫のような形状の聴覚器官が烏賊のヒレのようにペタリ、と平たくなっている。
「やってみせましょう、ええ……どうにかしてみせましょうとも!」
キンシは左手を少し上にかざしている。
左側の指先はまっすぐに、ラクが乗車してきた車両の尾灯へとかざしている。
尾灯は粉々に砕かれてしまっていた。
理由は当然キンシにあった。
魔法使いモドキの少女が運転した車がラクの車に攻撃……もとい激突してしまった。
紛うこと無き交通事故、見事なる悲劇の結果がキンシの指先に展開されてしまっているのである。
「やる気があるのは有り難いが……」
破損した車の持ち主であるラクがなにやら思い悩んでいる。
彼の思考に合わせて肉体の一部、下半身が動いている。
ウネウネと柔らかく、鮮魚のようにピチピチと跳ねている。
まさしく魚のそれとしか表現しようのない下半身。
ラクは人魚のヒレをピチピチピッチと動かしながら考えを巡らせる。
「大丈夫なのか? ホントに、頼むから無理だけはしないでくれよ」
ラクの言葉は相手のことを思いやる感情に由来している訳では無さそうであった。
もちろん魔法使いモドキの少女のことを心配する気遣いが全く無いのか? と問われれば断言できてしまえるほどの思い切りがある訳でも無いようである。
人魚のような彼に見つめられている。
視線の先でキンシは魔法を使おうとしていた。
「すぅ……はぁ……」
一呼吸を意識して行う。
実行はキンシという名前の少女に魔的な現象をまずもっての結果として付与してきていた。
若葉が少女の手元にひらめいた、ような気がした。
そう見えたのはキンシの魔力の気配であった。
光の小さな明滅の後に、キンシのもとへ魔法の武器が発現している。
「万年筆だ」
ラクは視界に確認できた物体について、自らが知り得ている記憶から相応しいと思わしき言葉をすぐに選び終えている。
人魚らしい、彼がそう表現しているとおり、キンシの手元には一本の万年筆らしき道具が握られていた。
黒色を基調とした持ち手には翆玉のようにしっとりとした質感の緑の線が映えている。
「ようし……!」
キンシは蓋の無い剥き身のままの万年筆を握りしめる。
気合十分、といった様子で全身を緊張感に硬直させている。
体内に流れる魔力、魔法少女の血液に含まれている要素が目的のために高まっていった。
変化はまるでくべられた薪を舐める炎の気配のようだった。
最初は赤ん坊の呼吸のように弱々しく、しかし時間の経過と共に確実な熱と光を帯びだしている。
「おお……?」
ラクがほんの一時、キンシへ向けた期待の念に目を少しばかり輝かせた。
人魚っぽい彼が希望を抱いてしまえるほどには、魔法使いモドキ少女の魔力の増幅は目覚ましいものには違いなかった。
「すごいな」
ラクは小さい声、しかし確固たる存在感を帯びた発音でキンシの様子についてをひとりごちる。
「こんなにも大量の魔力、ヘタしたら俺の車なんて簡単に動かせられそうだ」
質量については十二分。
しかし問題はその次だった。
「……でも、たかがテールランプにそんな量の魔力をぶつけたら……──」
ラクが心配している。
内容について、ラクは「まさか」とかりそめの安心を演出しようと試みた。
まさかそのような、馬鹿な真似をするはずがないだろう。
一応ながら「魔法使い」を自称するのだ、魔力の適切な運用方法ぐらい簡単に想像できるはずだ。
結局は期待に過ぎなかった。
そして彼の期待は叶わなかった。
「よいしょー!」
キンシが元気よく、気合をギンギンに昂ぶらせた一声を上げている。
なんということか、キンシは彼が憂いを抱いた事とほとんど同様の行動を起こしてしまっているのであった。
ギンギンに漲る、パンパンに膨れ上がった魔力をなんの工夫も抑制も、自省も規制も書き加えようとはしなかった。
「あ?」
ラクが驚愕を言葉にするよりも先、尾灯は魔力の気配に耐えきれずに破壊へと道を進もうとしていた。
パリリーン!!!
破片はまるで血飛沫のように周辺へと飛び散っていた。
「危ない?!」
ラクは考えるよりも先にキンシの体を包み込むように抱きしめていた。
破裂する、赤いガラスの破片たちが重力に従って完全に攻撃性を失っていく。
そんな頃合い。
「……はあ」
湿り気をたっぷり含んだラクの溜め息が聞こえてくる。
彼の呼吸の気配を頭上、上着のフードごしに感じ取るキンシがまぶたをぱちくりとさせている。
「んるる? な、なにが起きたのでしょう……?」
「でしょうも塩コショウも無いってーの、馬鹿チン」
ラクがキンシの体から手を離し、しかして距離感を詰めたままで拳をぐりぐりと少女の側頭部に捩じり押し付けていた。
「んにゃっ?!」
頭部にお仕置きを喰らっている、キンシが悲鳴をあげていた。
「んぎゃーっ!」
「あんなどエラい重さの魔力ぶつけたら、テールランプどころか俺の車が大破するっつうの」
実際かなり危ない状態であった。
魔法少女のことを懲らしめる、ラクの腕からパラパラとガラスの破片が血の雫のように零れ落ちていった。




