灰笛続き 12月30日 1つ 1384 「危ないから離れてください」ということは寄ってこいということなのだろうか
今さらながらに俺は実感させられていた。彼女には肉体が無く、「普通の人間」のような造形をしているものは、所詮はただの真似事に過ぎないのである。
偽物でしかない。今は仮の器、造形を「普通」っぽく演出する工夫、いわば気遣いと配慮でしかないのだ。
破壊された右腕の部分。怪物の攻撃から俺を守る……? というべきなのだろうか、この言い方ではあまりにも自分主体すぎる気がする。
表現方法にいちいち憂慮を描き加えたくなるほどには、彼女の行動はあまりにも結果を中心にし過ぎていた。
だってほら、今この瞬間に彼女は破壊された右腕から自分の本体を放出している。
しまくっている。
プルプルと、プニプニと、プヨプヨと、ベタベタと。
粘度のある液体、「それ」はまさにスライムとしか形容しようのない柔らかさだった。
粘り気は柔軟に姿を変えて、やがては一振りの巨大な砲撃を繰り出すための形質を確立していた。
なんという早業、健康な左目では到底動体視力が追い付きそうになかった。
だから俺は不健康である右目、自分の一文になってしまっている呪いを使わせていただくことにした。
それは言うなれば拳銃の先端で、火薬の爆発で凶悪な推進力を得た弾丸を吐き出すのにまこと丁度が良さそうな造形をしていた。
しかしながらモアは銃口から弾を放射することをしなかった。
弾丸を持っていない、といえばそれまで。
古城の女王である彼女であるのならばもしかしたら? なにも無いところから弾丸を拵えることなどお茶の子さいさいであるはず。
……と言うのは俺の勝手な願望でしかないのだろうか?
いずれにしてもモアはただ衝撃波を発した、ただそれだけに行動を終わらせようとしていた。
行動としてはどこか詰めが甘いような、彼女らしからぬ油断、思慮の余裕を感じさせる。
でも彼女の油断大敵具合に関しては配慮した攻撃方法もさもありなん、なのだろうか?
……ああ、だめだ、どうにも納得できない。
俺が個人的に不満を感じている。
そんなくだらない個人的主観などお構いなしに、人喰い怪物はただ一身に古城の女王の衝撃波をもろに食らっていた。
特筆すべきはその範囲、そして衝撃波の質量であった。
甘い、と表現したくなるのは彼女がこの空間の全てを破壊し尽くせる技量、技術、能力を持っていながらその行動を実行しなかった。
という予想、というよりかは確信から為せる苛立ちにのようなものだったのかもしれない。
気付くことが出来たのは、彼女の攻撃があまりにも簡単に恐ろしき……恐ろしいはずの人喰い怪物を翻弄しているからだった。
もはや「している」という表現すら使うのをためらわれるほどである。
「しまくっている」、「やりまくり」であった。
怪物の放った渾身の金の輪っかの攻撃はいとも容易く破壊されていた。
輝きは衝撃波のもとに細やかな粒となって霧散されてしまっていた。
瑠璃の美しさを構成する大事で大切で尊いはずの黄鉄鉱の輝きが、古城の女王の前ではただの黄色と白色の流砂でしかなく、それ以上の価値など受け取らないようだった。
圧倒的な拒絶の力によって、怪物の渾身の攻撃はいとも容易く否定されている。
勢いは人喰い怪物の攻撃からその肉体に限定されるはずもなく、当然の事のように俺にも影響を及ぼしていた。
とは言うものの一撃の衝撃波はほとんど怪物が身に受けたため、俺はただちょっと体のバランスを崩した程度に収まっている。
その点においては人喰い怪物に感謝をしなくてはならないと思った。
古城の主である女王の攻撃そのものからは、怪物の巨体によって被害を被ることは無かったのである。
食べられるはずだったヤツが捕食対象に感謝の気持ちを捧げるのも、どうにも奇妙で不気味な話ではあるのだが……まあその辺については無視することにする。
というよりかは、もっと注目しなくてはならない事象が起きようとしているのである。
モアの放った衝撃波は確かに恐ろしき怪物にとてつもない痛手を負わせていた。
渾身の攻撃は無残にも打ち砕かれ、頑強であるはずの肉体は埃のように軽々と吹き上げられてしまっている。
波の力は強力で、それこそ俺がまごついている場所にまでごろごろと転げまわってくるほどだった。
「……ッ!」
怪物の体がこっちに向かってきている。
というよりかは飛ばされてきた、と表現すべきなのだろうか。
ともあれ俺は急いで飛行魔術式を稼働させて回避行為へと移らなくては、とそう思っていた。
……しかし俺の思考を否定する声が聞こえてきた。
「逃げないで」
それはモアの声だった。
「聞いてみて」
怪物の体がこっちに飛んできている。
非常事態にどうして彼女の声がこんなにも明瞭に聞こえてくるのだろうか。
理由について考えて、答えは割とすぐに見つかってしまっていた。
どうやら彼女は衝撃波に乗せて自分の声、意識を伝えてきているらしかった。
そうまでして、何を俺に伝えようとしているのだろうか。
命の危険が差し迫っている最中にて、俺はもっと彼女の理由に耳をかたむけることにした。




